「とよまゆ」は準エリートか?

 自民党の元官房長官河村建夫衆議院議員が、豊田真由子氏の暴言・暴行報道に対し「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」[i]と述べたことが批判されている。もちろんこの発言は、ご自身のFacebook上で即日撤回されている[ii]

 テレビでは、官邸から帰るところで記者に答えている場面が放送されている。河村氏は党の党紀委員会の副委員長でもあるので、今回の問題への対処に関し説明してきたのかと思ったが、Facebookのコメントを読むとそうではないようだ。しかし、テレビ画面では豊田氏への同情のニュアンスが伝わってくる。思わずホンネが口をついて出たのだろう。

 僕には、河村氏のおっしゃる意味がよくわかる。党選対委員長は、自民党候補全ての選定を取りまとめる責任者で、新人候補から見れば雲の上の人だ。個々人とは深い付き合いがあるわけではない。それでも選挙の大先輩として新人候補の苦労は推して知るべしであり、同情的になっているのだ。

 選挙は「我こそは!」と自ら手を挙げるものである。学者や評論家は「出たい人より出したい人を」と言うが、現実の選挙は「出したい人」がすんなり勝てるほど甘いものではない。国会議員は立法こそが本来の仕事であるが、法律など読んだこともなく、行政の仕組みについても高校生程度の知識もない人も、議員バッチをつけさえすれば国政を動かせると信じ、人生一発逆転を夢見て集まってくる。いきおい自己顕示欲の異常に強い人の比率が高くなる。だから、変人列伝には事欠かない。

 既に鬼籍に入られた大物代議士が、車が渋滞にはまっただけで、運転している秘書を「なんでこんな道を選んで走っているのか?」となじり、靴を脱ぎその靴で秘書の頭を後ろからガンガン殴るという逸話を聞いたことがある。自分の秘書を殴るという噂の議員は十指に余るくらい知っているし、某省の部長を自殺に追い込んだという逸話のある議員もいる。その議員の決め台詞は「お前の人生をめちゃめちゃにしてやる」というものだった。当時の通産省ではそのくらいの暴言は日常茶飯事であったので、個人的には気にもしなかったけれど。

 河村氏の世代の暴言・暴力議員は大抵、地方名望家の御曹司だ。学校を卒業して、社会人経験はせいぜいファミリー企業の部長か役員を数年やり、親族か地元の国会議員の地盤を引き継いで若くして国政に出るというコース。その間に秘書経験があればまだよいが、皆無という人もめずらしくない。田中真紀子氏もこのカテゴリーに入る。この手の人は、そもそもが普通の人ではない。「若、ご乱心」が漏れないのは、先代の番頭だった古参秘書ががっちりガードしているからで、たいていは歳を重ねて人格も丸くなってくる。

 小選挙区制の今、こうした人はほぼ絶滅している。特に豊田氏のように公募で地縁も血縁もない場所で選挙に出る人は、それなりに苦労する。それでも「魔の2回生」と呼ばれるように、小選挙区では個人の資質ではなく党への評価が投票行動に決定的な影響を与えるから、個人の資質で選別が進むのは、個人がそれなりに知られるようになってからになる。小泉チルドレン小沢チルドレンもそうして選別が進んでいる。安倍チルドレンも同じことだ。

 

 ワイドショーでは、多くのコメンテーターが、桜蔭高校、東大法学部、厚生省キャリア、ハーバード大学院というキーワードに注目して、「自分が頭良すぎて、周りの人がバカに見えちゃうんでしょうね」とか「順風満帆のエリート人生で人間的に何か欠如してしまっているんでしょうね」とまとめている。

 しかし、これはちょっと待ってほしい。どこのグループにも、変わった人はいるものだ。「お勉強できすぎると人格悪くなるのね」という結論は短絡的すぎる。「勉強なんてできても社会では役立たないぞ」、「勉強できるのと、頭がいいのは違うぞ」、「不良は本当はいいやつで、ガリ勉は嫌味で人間味のないクズ」そうした言葉が、あまりにも安易に「勉強できる子」に投げかけられる。学園ドラマじゃ、勉強できる子は性根が腐った嫌なやつで、ヤンキーや落ちこぼれは本当は心根の優しい少年・少女と相場は決まっている。

 これって本当だろうか?ヤンキーの中にも、仁義に篤い立派なやつもいれば、とことん性根の腐ったやつもいる。逆に勉強できる子の中にも、いいやつもいれば困ったやつもいる。その比率は多少違うかも知れないけれど、そこの社会にもいいやつもひどいやつもいるだけのことだ。「ヤンキー先生」だって、今じゃ正論なんかこれっぽっちもはかない中間管理職の悲哀そのものじゃないか。この辺りは、ちょっと前に流行ってた前川ヤスタカ氏の『勉強できる子 卑屈化社会』(宝島社 2016)[iii]に詳しい説明がある。

 22日の読売テレビ「ミヤネ屋」に出演した弁護士の住田裕子氏が、「超じゃない、準エリートくらい」と発言している[iv]。「本当にそこ(厚生省)に入りたかったのか。本当に福祉をやりたかったのか私は疑問です」と述べたうえで、経歴の画面を見ながら「その道のりを見ても、次官コースの超エリートではない。(なので)どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのではと、同じ東大だから思うんですけど」とし、「順風満帆に見えつつ、内心ではたまりにたまったものがあって、選挙も必死なのでドブ板やって、だからちょっとしたミスでもああやって八つ当たりしてるんだなって」というのが住田氏の感想だ。

 「次官コースでない」と判断するのは合併官庁のことでもあり一応疑問が残るが、全体としてはおおむね当たっていると思う。厚生省には、成績上位者が結構集まる。僕の周りでも、極めて優秀で厚生行政がやりたくて厚生省に入った先輩もいるし、公務員試験の成績が3番くらいで厚生省第一志望の同期もいた(そいつは結局大蔵省に行ったけれど)。厚生省の人は、文部省の人と似ていて、よく言えば誠実、悪く言えば鈍くさいイメージの人が多い[v]。これは組織の文化のようなものであって、良し悪しでも優劣でもない。制度の安定運用を担う組織と、経産省のように多動性が命の組織の違いである。でも、厚生省に多くいる人は性格が優しいので、通産省経産省)に入ってしまうとたいてい「いじめられっ子」になってしまう。通産省は、いじめっ子文化だからだ。だから、豊田氏も通産省に入っていれば、そんなに歪まずにすんだのかもしれない。

 いずれにせよ、今回の事件をステレオタイプ化して理解してはいけない。豊田氏の問題は彼女自身の問題であり、彼女自身が背負うべきものだ。

 

[i] http://www.asahi.com/articles/ASK6Q619TK6QUTIL04B.html

 

[ii] https://www.facebook.com/takeo.kawmaura

 

[iii] https://www.amazon.co.jp/%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%AD%90-%E5%8D%91%E5%B1%88%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E5%89%8D%E5%B7%9D-%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%AB/dp/4800259436/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1498418288&sr=1-1&keywords=%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%AD%90%E5%8D%91%E5%B1%88%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A

 

[iv] https://www.daily.co.jp/gossip/2017/06/22/0010304713.shtml

 

[v] ここで「厚生省」「文部省」というのは、合併することになる「労働省」や「科学技術庁」とは明らかに文化の差があったからだ。