解散の予兆の感じ取り方

 2週続けてHBCラジオでコメントしていたので、今週も水曜日に話をすると思われていくつかご連絡いただいたが、残念ながら今週は出番がなく次回は9月28日になる。国会開会日であり、解散となる予定日である。

 

解散の予兆の感じ取り方

 

 日々の政局の動きを一番よく知っているのは、もちろん最前線で取材している大新聞の政治記者である。本当にご苦労なことだと思うが、与野党の中堅以上の政治家に張り付き、決して使われることのなさそうな発言でも全てメモにして、政党や官邸といった担当ごとに配置されているキャップに報告する。そうしたメモを基に記事を書き、本社のデスクにあげて、そこで調整して記事が成立する。従って、新聞社には毎日大量の情報が蓄積されているが、記事にされているのはそのうちの本当に一部なのだ。

 しかし、新聞社の外にいる一般市民はそういうことはわからない。なら、どういうことでその予兆を感じ取ることができるのか。

 

 今回の解散への意思決定過程がだいぶ明らかになってきた。それによると自民党は9月上旬に情勢調査を行い、その結果は「自公で過半数は確実」や「自公で2/3近くいくのではないか」と解釈されるものであり、それが決定的影響を与えたようだ。9月上旬実施といっても、世論調査実施を決断してもすぐできるわけではない。もともと都議選前には、8月27日の茨木県知事選に勝利して10月の補欠選挙に全勝すれば年内解散という見通しが多数だった。加計問題で、今治市の隣の愛媛3区での苦戦が伝えられると、それなら補欠選挙に総選挙をぶつけて吸収してしまえばよいという意見もあったが、都議選で惨敗し、内閣支持率の急落も明らかになってそれどころではなくなってしまった。だから、9月上旬の調査は、6月くらいの段階でそもそも予定していたものを、内閣改造後、支持率が急回復していることを受けて、そのままやってみたということだろう。

 ちなみに、9月に入ってから発表された内閣支持率調査の結果は以下の通りである。 

実施日

実施社

支持(%)

不支持

9月2~3日

JNN

44

36

 

共同通信

44.5

46.1

 

毎日新聞

39

36

9月8~10日

NHK

44

36

 

朝日新聞

38

38

 

読売新聞

50

39

 

NNN

42.1

41

 

各社調査方法が異なるし、各社の立ち位置を反映して質問の順番が違うので[i]、単純な比較はできない。電話でも機械の音声で聞くのと、オペレーターが聞くのでは反応が異なるし、「〇〇新聞ですが、調査にご協力いただけますか?」と切り出されるとその社に反発する人は回答を拒否する場合が多く、その社のスタンスと思われるものに迎合する回答が多くなることも知られている。しかし、趨勢を見れば支持率は回復傾向にあることは明らかである。現在の小選挙区制下では支持率1位の政党が議席配分では圧勝することになるから、2/3近くの議席を取れることになるというのも納得である。

 今明らかになっている情報では、9月10日の夜、安倍総理は麻生副総理を私邸に招き1時間半(20時20分~21時50分)懇談し、その際、総理の方から「近く会談したい」と切り出すと、以前から早期解散論を唱える麻生副総理はそれに強く賛成し10月22日の補欠選挙にぶつける案を主張したとされる。翌日、総理は官邸で、規制改革推進会議に出席した後、二階幹事長を呼び会談し(11時25分~59分)、その後山口那津男公明党代表が入り与党党首会談を行っているから、総理の決断が伝達されたのは10日であったことは間違いがない。しかし、11日は新聞の休刊日であって、2日分の総理動静は12日の新聞に載っている。政治記事も2日分が1日分の紙面になるから、この段階ではこうした動きを解説する記事もない。その段階では関係者の情報管理も完璧であったのだろう。もちろん、後からテレビ各局は副総理の車が総理私邸を訪問するところを報じているから、政治記者は会談内容の確認に走り回っていたはずであるが、解散が報じられたのは実際に公明党が選挙準備に動き出した後の17日夕方になる。

 

 僕自身は、総理動静を毎日チェックしているわけでもないから、こんな動きは全く知らない。今回の解散の予兆を感じたのは、総理訪米の予定がなかなか発表されなかったことだった。9月13日に、夏休み中のHBC小川アナに代わって番組を進める加藤アナから「『トランプ大統領訪日要請を検討』とこの時期に発表されるのは北朝鮮情勢の緊迫化と関係があるのか?」と聞かれ、「総理が国連総会に出席するのは恒例行事であり、ニューヨークまで行けば大統領との首脳会談となり、その際の『お土産』として11月ベトナムで開催されるAPEC首脳会議出席のためにアジア歴訪の際の訪日を要請しておくのは当然のことである」との解説をさせてもらった。その際に、外務省の報道発表を確認したが、その時点では総理の国連総会出席が発表されていなかったのが気になった。そこで、大手新聞社で国際政治を扱う友人に聞いてみると、「総理は臨時国会冒頭解散を諦めておらず、国会開会日をまだ確定していない。そのために訪米日程も発表できていない。」という情報があった。外交日程は相手のあることであり何か月も前から交渉されていることなので、その読みはどうなのかなあと思っていたが、9月15日の朝、Jアラートでたたき起こされた時、選挙が近いと確信した。国際情勢は、日増しに緊迫化する。危機の時、現職総理は強い。まして、前回も今回もJアラートから20分後には官邸にほとんどのメンバーが集結し、テレビが登庁の絵を押さえられないほどの機敏な危機対応を見せる内閣である。今後も津軽海峡上空をICBMが完成するまで何度も実験飛行を繰り返すだろうことを考えれば、早めの解散総選挙に大きな異論はでないと考えるのは自然である。北朝鮮建国記念日の9月9日に再度のミサイル実験を行うのではないかと言われていたから、9月10日に麻生副総理を私邸に招いた時点でミサイル実験が実施され国内政治が危機管理モードに移行していることを予想していたのかもしれないと今にしては思う。この時点で事情通である政治学者の友人に聞くと、「選挙は想像以上に近いみたい」とのこと。

 だから、17日の「総理解散決断へ」という情報には驚きはなかった。「この内閣は、ちゃんとしているなあ」という感想である。

 

 日程管理こそ政治の提要と考えていた竹下登元総理の逸話に、「竹下カレンダー」というものがある。竹下氏は、その長い国会対策の経験で、毎年の予算編成や法案審議のスケジュールを手帳に記録し、これから扱わなければならない課題をそのスケジュールにはめ込んで処理するかを考えてきたため、解散といった政治日程の見通しをほとんど正確に言い当てることができた。このため、竹下氏のいう日程の見通しを政治記者が「竹下カレンダー」といったのである。その要素の一つは外交日程である。年次の日程で重要度ナンバー1がG7サミットと国連総会。国会日程で、それぞれの法案の審議時間といった情報は、それぞれの院の事務局に聞かなければならないが、外交日程は事前に公表されているから簡単にチェックできる。

 

 そういえば9月19日は平和安全法制成立2周年ということで、マスコミ各社が取り上げていた。あの時は会期切れ寸前に加えて、総理のロシア訪問の日程も確定していた。当時、自民党の武藤貴也議員が知人に「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」などと持ちかけたとして金銭トラブルとなっていたことが週刊誌で報道され8月に離党していたことから、民進党が9月上旬の段階で懲罰委員会の開催を求めれば、自民党も拒否できない状況にあった。このため、開催まで行かなくてもこの問題で国会日程を1日でも空転させていれば、会期内に平和安全法制を本会議採決に持ち込むことはほぼ不可能であったのに、民進党は、武藤議員の問題を取り上げることなく、法案が成立した。このため僕は、今でも民進党のいわゆる保守派の議員は内心では平和安全法制に賛成だったのであろうと理解している。長島昭久議員はもとより、前原代表だって過去の発言を聞いていれば憲法9条2項の削除に賛成であり、集団的自衛権の限定的行使には賛成であることがわかるというものだ。

 

[i] 「現在の内閣を支持しますか?」と聞き、「支持(あるいは不支持)の理由は、以下のどれが該当しますか?」と聞くのに対し、例えば「北朝鮮情勢にかんがみ、憲法9条の改正を急ぐ安倍政権の姿勢を支持しますか?」と聞いてから「あなたは現在の内閣を支持しますか?」と聞けば、内閣支持率は低めにでる。こうしたバイアスがあるかどうかをチェックするために、新聞社は世論調査の質問の全文と各問への回答の比率を、原則公開している。

第三次安倍再々改造内閣の人事から読めること

 

 政治学者と政治評論家の一番の違いは、目の前で起こっている政局報道にコメントするかどうかだと考えている。学者としては手を出していけない領域だろう。しかし、祭りの日にお座敷がかかった電波芸者としては、気の利いたことを言わなければならない。ちょうど組閣の8月3日にラジオでコメントした。それを、当時用意して使わなかった部分も含めてここにご紹介しておこう。

 ちなみに、北海道の皆様、HBCラジオ夕刊おがわ、次回出演は来週23日です。

  

1.圧勝だった田崎史郎

 組閣人事は、政治記者の花形仕事である。どうせ翌日になれば正式発表されるけれど、各社の予想の正誤が明白になるから勝敗は決する。今回は、田崎史郎氏の圧勝である。

 焦点は、岸田文雄氏がどう動くかであった。支持率低迷に苦しむ安倍政権を見捨て、閣外に去って次を狙うのか。それとも政権を支えるのか。支えるとしてもどういう立場で支えるのか。ポイントは、岸田氏の外相離任がどの段階で決まったのかということだ。田崎氏は、当初から7月6日、欧州連合(EU)との経済連携協定EPA)交渉の大詰め協議に出席するため安倍総理と岸田外相が同席したベルギー・ブリュッセルで交渉終了後二人だけで懇談し、その際、岸田氏は安倍氏を引き続き支えるが、希望としては閣外に出て党側で支えると伝えたと発言していた。更に、7月20日に安倍氏と岸田氏は二人だけで2時間にわたり夕食を共にし、この席で党三役への転出がほぼ決定とも発言していた。

 讀賣新聞は、基本的な流れは田崎氏の発言と同じであるが、それぞれの日程での二人の会話のニュアンスが違う[i]。7月6日に安倍氏の方からポストの選択を求め、20日に岸田氏が党三役を求めたという流れだ。

・・・・・

「どのような立場になっても、安倍政権を支えていきます」政権運営への協力を明言した岸田氏に、首相は「岸田さんには長く外交を支えてもらった恩義がある。どんなポストでも選んでくれていい」と促した。この時は返事を保留した岸田氏が回答したのは、帰国後の同20日。東京赤坂のホテル内の日本料理屋で首相と会食した席で「外相は外してほしい」と伝え、暗に党三役を求めた。首相はうなずき、「宏池会(岸田派)のことは大切に考えている」と応じた。

・・・・・

 これに対し、朝日新聞は7月20日の時点で岸田氏の外相続投が決定したが、稲田防衛相辞任というショックを受けて政調会長起用に決断せざるを得なかったとを書いている[ii]。支持率急落を受けての反応として、讀賣は岸田派の協力が不可欠だから岸田氏の希望である政調会長就任を決断したとするのに対し、朝日は以下のように書く。

・・・・・

 首相にすれば、東京都議選の惨敗や内閣支持率の低下に直面する中、岸田氏が閣外に出て首相批判の受け皿になれば、一気に党内が「ポスト安倍」に向けて流動化する恐れがあった。外相続投はいわば「封じ込め」の策だった。

 ところが、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で稲田朋美防衛相への批判が高まり、改造まで続投させることができずに稲田氏は辞任。首相は麻生太郎副総理に防衛相兼務を打診したが、麻生氏の都合がつかず、数日間のショートリリーフながら外相の岸田氏に兼務を任せるという事態になった。

 岸田派後見役の古賀誠元幹事長から「首相に言われたらすべて『イエス』と言った方がいい」と助言されていたこともあり、兼務人事もすんなり受け入れた。稲田氏辞任で更に痛手を負った首相としては、改造人事で「骨格」を維持するだけでは党内基盤の安定も望めない。岸田氏の本音が「党三役」にあることを知っていたこともあり、岸田氏の転出を最終的に決断した。

・・・・・

 「ブリュッセルの誓い」は8月1日付けで発行された『選択』8月号でも言及されている[iii]。もちろん『選択』は担当記者が自紙の紙面では書けない情報を持ち寄りで書くと言われているから、讀賣の記者が書いているのかもしれないが、「ブリュッセルの誓い」はあったと考えておく方が正しいと思われる。安倍政権との距離が、讀賣、産経と朝日、毎日では異なるのは有名だが、そうした普段の距離が内部情報へのアクセスの違いとなっているのだろう。朝日の記事は、悔し紛れの言い訳に見える。

 田崎氏は、首相動静に首相と会食していることが度々報じられていることもあり、ネットでは「田崎スシロー」と揶揄される向きもあるが、政権中枢との近さはホンモノである。NHKや産経にも政権中枢直結と言われる記者がいるが、裏話を直接聞かせてくれはしない。今までは、元TBSの山口敬之氏がディープなネタを明かしてくれることで田崎説を相対化してくれていたが、これからはどうすればよいのだろう?

 

 

2.党内バランスは「挙党一致」

 今回の人事はマスコミの間で評判は高くない。内閣支持率の低下の原因として一番多い回答が「総理が信用できないから」だから、総理を替えない限り人事をいじっても人心一新はできないと指摘されているからだ。その意味では、安倍氏麻生太郎副総理・財務相菅義偉内閣官房長官という内閣の骨格は不変である。

 しかし、安倍内閣に対するこれまでの評価をとりあえず棚上げし、もしあなたが総理側近で人事のたたき台を作成する立場だったらと考えてみてほしい。現時点で安倍総理として何ができるのか。批判する側でなく、政権を支える側だったら、見える景色は相当違う。

 お友達内閣と批判された第一次内閣の反省に立ち、実力者を配し、次期総裁選で戦う可能性のある人物を幅広く要所に配した布陣は、来年9月の総裁選を睨んだシフトとなっている。僕は第2次政権スタート時に原点回帰した「再スタート内閣」だと考える。

 

(1)挙党一致

 今回の人事のミソは、党三役から総裁派閥が引いたことである。細田派は、今回の内閣支持率の低下の原因が、稲田氏の辞任、豊田真由子氏の暴言といった派閥メンバーに多くあったことで「今回は自粛」として猟官運動は低調だった。細田博之氏が総務会長を離任し、三役は二階俊博幹事長、竹下亘総務会長、岸田政調会長となり、選挙対策委員長として塩谷立氏が加わる。党三役に選挙対策委員長を加えて党四役と近年称されているが、これは選対委員長を古賀誠氏が就任するにあたり党三役と同格待遇とすることとしたためであり、細田派の事務総長だった塩谷立氏は総裁派閥として総選挙を仕切るという感じにはならないと言われる。ここから、総選挙は総裁選の後だという観測が出てくる。

 ちなみに、竹下亘氏は国会対策委員長として森友学園加計学園自衛隊日報問題と苦しい言い訳と難しい国会運営に苦慮してきたことへの処遇と考えられるが、昨年10月以降額賀派では総裁候補として影が薄い額賀福志郎氏に会長交代論が浮上していると報じられており、竹下氏の党三役への起用は安倍総理として派閥の代替わりのアシストとも解釈できる。他派閥の人事に手を突っ込むようなことをして、平成会メンバーは心中穏やかなのだろうか。

 

(2)総裁候補を複数作ることによる均衡維持

 閣内を見ると、注目されるのは、野田聖子氏の総務大臣河野太郎氏の外務大臣起用である。前回の総裁選で最後まで出馬を模索した野田氏の起用は、野田氏の封じ込め策だとか、小池百合子東京都知事とのパイプ、あるいは逆にこれから立ち上がる「都民ファースト」国政版に野田氏が連携してくることへのクサビといった説があるが、基本的には「封じ込め」だろう。野田氏としては閣僚として安倍内閣を支える立場になったから、次期総裁選に勝負をかけるというよりは閣僚として力を蓄えるという方向にならざるを得ないのではないか。

 全体として見ると、ポスト安倍と目される人物は石破茂氏を除いてほぼ網羅している。前回安倍氏の体調不良後を引き継いだ麻生氏は、きちんとNo. 2として存在感を示しているし、総裁選出馬を公言する野田氏も入閣した。岸田氏も党の顔として処遇されている。これまで安倍氏の最大の強みは、野党民進党が低迷する中で、党内にもポスト安倍として求心力を持ちそうな人物は石破氏ぐらいだったことであった。その石破氏は、第2次政権発足時には幹事長として処遇したが、昨年8月に地方創生相を退任し閣外に去った後、その発言が取り上げられる機会が減少していた。こうしたNo. 2を作らせない作戦は、支持率低迷の中でもう維持できないとみて、ポスト安倍候補を同列に処遇し逆に一人だけ図抜けたNo. 2を作らせない作戦に転換したのだと考えている。

 石破氏に対しては、石破派の看板となりそうな政策能力の高い斉藤健氏を農林水産大臣に抜擢するとともに、石破氏に近いながら石破派には加わらなかった梶山弘志氏、小此木八郎氏をそれぞれ地方創生相、国家公安委員長に起用して石破氏の手足を封じた形となっている。ポスト安倍候補は、岸田氏60歳、野田氏56歳、と年齢的に若く、リスクを承知で来年の総裁選に勝負をかける必要は小さい。この政権で一年間着実に実績を上げ、支持率40%台を維持しつつければ、総裁三選を狙える可能性は見えてくるのではないか。窮地に陥った安倍総理が人事権を行使して、来年9月の総裁選をどのように戦おうとしているのかが明確になったと考える。

 

(3)「仕事師内閣」の実像

 最近の閣僚は、実務能力を求められる。国会中継は昔から行われているが、野党の意地悪い質問と雖も立ち往生すれば、そのシーンが切り取られて繰り返し放映され、内閣支持率に大きく響く。1980年代末の消費税導入時には、テレビ番組で税制改正の説明をするのは大蔵省の主税局長だったが、政治主導が謳われて久しい現在では政策課題の議論は国会議員が行わなければならない。実務能力の高さに定評のある政治家は、困ったときに繰り返しお声がかかる。「ミスターピンチヒッター」のあだ名のある林芳正氏はその代表格であるが、今回も小野寺五典氏の防衛大臣への再起用、上川陽子氏の法務大臣への再起用と目立つ。

 今回の閣僚では、東京大学出身者が7名、法学研究科修士課程を卒業している小野寺五典氏を含めると8名と比率が高いことが指摘されているが、確かに高学歴が並んでいる。

 しかし、それ以上に目立つのは19名のうち11名という二世議員の比率だ。一昔前なら、政策能力の高さといえば官僚出身者だったが、官僚出身者はなんと3名しかいないのである[iv]。この国の政界は、完全に階級社会になってしまっていることがわかる。

 

 

3.「河野太郎外務大臣」というサプライズ

 今回の組閣で唯一といえる「サプライズ」は河野太郎氏の外相起用である。田崎史郎氏の圧勝という評価も、彼が事前に「サプライズがあるでしょう。『彼』にとってもサプライズになるでしょう。」と予測していたことにある。田崎氏以外にこれを予想していた評論家はいない。

 僕が今回の内閣を「再スタート内閣」だと考えているのは、河野氏を外相に起用することで北朝鮮関係の打開を目指していると思うからだ。安倍氏が総裁候補として一気に浮上したのは、拉致問題で毅然とした態度を示したことにある。原点回帰なら、北朝鮮外交で得点を挙げることだ。

 

(1)「河野太郎首相」の可能性はあるか?

 政治家として首相を目指すなら、一昔前ならまず派閥の領袖になることであった。カネを集め、それを配る。自らの派閥に所属する議員を増やし、領袖間で行われる合従連衡の駆け引きに勝ち残り、総裁選での勝利を目指す。その過程で、初入閣で軽量級の大臣ポスト、再入閣で自らの得意分野の大臣ポスト、そして大蔵大臣や外務大臣といった主要閣僚ポストを務めるとともに、党務でも国会対策を経験した上で党三役、中でも幹事長を経験する。そうして政策能力も調整力も資金力も高めていく。それが、従前の自民党政治だった。三角大福中といわれた領袖たちの競い合いの結果、5人は全員総理になった。

 しかし、派閥の領袖が派閥の票をまとめて総裁選に勝利した事例は、1998年の小渕恵三氏を最後に登場していない。森喜朗氏は、小渕総理が脳梗塞で入院したのを受けて後継指名を受けたとされている。しかし、この段階で小渕総理は人事不省に陥っており病室に集まった5人の談合で当時幹事長として党のNo. 2であった森氏が決まったのではないかとの疑惑がついてまわった。森内閣の支持率低迷を受けて行われた2001年の総裁選では、地方票で圧倒的勝利を収めた小泉純一郎氏が、国会議員票で優勢を伝えられた橋本龍太郎氏を逆転して勝利する。その後、総理・総裁の座は、小泉氏から安倍氏福田康夫氏と継承されるが、二人とも小泉の属する清話会のメンバーであり、派閥の領袖は森喜朗氏である。その次の麻生太郎氏は、派閥の領袖の勝利という意味では当てはまるように見えるが、実質的には福田氏の突然の退任に伴い解散総選挙の実施を託された後継指名であり、直後に発生したリーマンショックに際し解散をためらったため翌年任期末解散で大敗し自民党は政権を失う。野党に転落した直後の総裁選で勝った谷垣禎一氏は、派閥の票をまとめた勝利であるが、谷垣氏が所属していたのは古賀誠氏が会長を務める宏池会である。谷垣氏の次が安倍氏であるが、この時安倍氏の所属する清話会の会長は町村信孝氏であり、町村氏自身も総裁選に出馬していた。

 こう見てくると、自民党の総裁選のシステムは変化してしまっている。小選挙区の下、公認権は党本部中枢に一元化され、派閥は総裁選を戦うグループとしては存在するものの鉄の結束を誇る組織ではなくなった。総裁選では、党員票が大きなウエイトを占めるし、各議員は自らの次の選挙を念頭に「誰が総裁なら勝てるのか?」を最優先に行動するようになった。現在ポスト安倍と目される人物で、派閥の会長を務めるのは岸田氏だけだ[v]。最近の総裁選を見ていると、「この局面を突破するならこの人しかない」という世論の期待を受けるという「逆転サヨナラホームラン」戦略の方が、政治資金を醸成し派閥を養い数を頼んでという戦略より確率が高いことがわかる。

 それでは、河野太郎氏が首相になる可能性はあるだろうか?『一匹オオカミ』の直言居士で知られるから、無派閥のイメージが強い。しかし現実には、当選直後こそ無派閥であったものの、麻生太郎氏の説得で宮澤喜一時代の宏池会に入り、1999年に麻生氏と父の河野洋平氏が宏池会から離脱して河野グループを結成した時にこれに従い、現在は麻生派に所属している。彼を変人扱いしているマスコミは多かったため、2015年に入閣した時に持論を封印して職務に徹したことを意外と評価する向きが多かったが、人間的にはもともと変人ではない。

 それでは、河野氏が期待を集める局面として予想されるのはどのようなケースが考えられるだろうか。本人も「逆転サヨナラホームラン」戦略を意識しているのか、2009年の総裁選に出馬した時のウリは、年金改革だった。河野氏は、河野洋平氏に対する生体肝移植のドナーとなったこともあり、臓器移植法は私案も作成したこともあるし、可決された法案の提出者でもある。かかるように厚生行政には詳しい。反原発の立場を取ることも有名であり、自然エネルギーの利用促進を目的としたRPS法の成立過程でも大きな役割を果たしている[vi]。Johns Hopkins大学留学経験がありワシントン政界に太いパイプを持つ一方で、日韓議員連盟の交流はもとより韓国との関係も熱心であったことから、現在の北朝鮮を巡る情勢で活躍も期待できる。問題は、「河野談話」の息子ということで、安倍政権では外交で活躍する場面はないと思っていたが、ここで外務大臣に起用ということになった。

 外交でホームランを打てば、総理への期待が広がる。幸いにして拡大しつつある麻生派には、76歳の麻生太郎氏以外に総理候補はいないから、一気にポスト安倍レースの先頭に立つことだって可能かもしれない。

 

(2)北朝鮮との打開策

 田原総一朗氏が、稲田朋美氏が防衛大臣を辞任した7月28日に1時間半にわたり首相と面会しており、田原氏本人が首相に「政治生命をかけた冒険をしないか」と言ったと発言して注目を集めたが、だれがどう考えても「冒険」の内容は北朝鮮外交の打開だろう。田原氏は「小泉のように平壌に行け」と言ったのだろうと個人的には思うけれど、首相が平壌に乗り込むためには事前の裏交渉が必要である。

 安倍政権においては、これまで飯島勲氏が密使として動いていたが、ここまでは成果を上げていない。安倍外交は、外務省の正式ルートとは別に、官邸の国家安全保障局長を務める谷内正太郎氏の動きがあったり[vii]、ロシア外交では今井尚哉首相秘書官を司令塔とする経産省ルートがあったりして、複雑である。

 北朝鮮関係は、特に機密性が高く、わからないことだらけだ。小泉訪朝に至る経緯すら、未だに明らかになっていない。当時、田中均外務審議官の交渉相手であった北朝鮮側のミスタ―Xなる人物がどのような人物であったかが一つの論点であるが、僕も当時田中外務審議官とミスターXの仲介役をしていた外務省の朝鮮語を使える人物にインタビューしたことがあるが、「そもそも北朝鮮は情報が少なすぎる。キムとかパクとか朝鮮半島では一般的な名前を名乗るものの、学生時代の同級生だとか、昔の職場の同僚も一切わからないから、素性を確認する手段もない。結局、交渉してみて、金正日の了解を取ってこれたとか、相手が結果を持ってくるようになって少しずつ交渉するに足る相手だということがわかるだけだ。」という話だった。僕は、首相はそういう国との交渉に「冒険」することは許されないと考えている。だから、リスクを取るとすれば河野外相だ。北朝鮮は、アメリカとしか話をするつもりはないという姿勢だが、アメリカ側の言質をある程度とって仲介にあたる日本の外相なら大きな役割を果たせる。

 しかし、問題はやはりトランプ政権だ。McMaster大統領安全保障問題担当補佐官Tillerson国務長官、Mattis国防長官が不規則発言を続ける大統領を羽交い絞めにしているが、それでもTwitterは止まらない。Tillerson長官が考える国務省の人事に大統領府が介入したこともあり、8月だというのにいまだに国務省の人事が定まっていないのでは外交にならない。Tillerson長官が経験あるのは石油を巡るロシアとの交渉だけで、外交経験はない。その他は軍人ばかりだ。北朝鮮問題の専門家の誰が大統領に対してアドバイスするのかわからないのでは、河野外相としても頭が痛いところだろう。

 

 

4.僕の予想と異なる人事

(1)甘利明

 7月2日、都議選で歴史的大敗が明らかになったころ、オテル・ドゥ・ミクニで、安倍総理は麻生財務相、菅官房長官甘利明前経済再生相と会食したことが話題になった。

 この4人は第2次安倍政権スタート時の骨格である。その後消費税増税延期を巡り、麻生氏と菅氏の間がきしみを生じていた時に甘利氏が緩衝剤となっていたから、甘利氏が閣外に去ったことでバランスが崩れるのではと心配されていた。だから、僕はこの報道を受けて今回は甘利氏が処遇されるのだろうと考えていた。その際、国会で野党から攻撃を受ける閣僚ではなく、官邸で問題が起こるたびに甘利氏が間に入ることが自然なポストということで、甘利政調会長、岸田総務会長という布陣を予想していた。

 甘利氏を処遇しなかった理由はなぜか。週刊現代は、安倍総理は7月31日にトランプ大統領と1時間も電話会談を行った際、大統領派は「北の建国記念日である9月9日に空爆してやる! 」と言ったと書いている。必死に自制を促したけれど、青くなった総理は、防衛相に小野寺氏の再任、外相に河野氏を決断、甘利氏を経産相にと思っていたがTPPの立役者だからと諦めたという解説を載せている。反安倍の気色鮮明な週刊現代の書くことでは信憑性は高くないが、あるかもしれない。

 今回河野氏を抜擢したことで新麻生派に麻生氏以外の総裁候補を作ることになるが、このことを麻生氏がどのように思うか。大宏池会構想を進め、岸田氏のキングメーカーとなろうとしている、それとも安倍氏に何かあった場合に自らリリーフ登板を心中深く期しているのか。山口敬之氏のレポートでは安倍氏と麻生氏の間には特別の盟友関係があるとされるが[viii]、今後二人の関係がきしむとき、甘利氏の不在は致命傷になるかもしれない。

 

(2)西村康稔

 僕は、地方創生・規制改革担当相は西村康稔氏を予想していた。

 加計学園を巡る問題は、法律的に複雑なものを含み、しかも先日の閉会中審査において「加計学園獣医学部を国家戦略特区の枠組みの中で申請していたのは、正式に決定する1月20日の諮問会議の直前の事前レクまで知らなかった」と総理が言い出したことで、話がややこしくなっている。わざわざ「1月20日まで不知」としたのは、それ以前の度重なるゴルフや酒食を共にしたことが大臣規範に反するからという解説になっているが、矛盾する過去の答弁の方を「誤解があった」と訂正しているのであるから、大臣規範といった生易しい問題を想定した方針転換ではないだろう。

 その中で、今後の国会審議を含めた問題収束のための司令塔の役割を果たすには、国家戦略特区制度制定時の担当内閣府副大臣であり、経産省人脈の結節点である西村氏がふさわしいと考えていた。閉会中審査において柳瀬唯夫経済産業審議官が、今治市が国家戦略特区に申請する以前の2015年4月の段階で、総理秘書官として今治市の課長らと面会していたのではないかと質問され「記憶にない」を7回繰り返したたことが注目を集めたが、午前中の衆議院での質疑で詰問された柳瀬氏に対し、午後の参議院での質疑の前に何事か耳打ちをしていたのが内閣委員会筆頭理事であった西村氏である。

 今回、西村氏は萩生田光一氏の後任として官房副長官となった。当選5回だから入閣してもおかしくはないが、能力の高い西村氏としては働きどころである。

 しかし、加計問題をどう処理するつもりなのかますますわからなくなった。「前任の時代の話だから」と梶山弘志地方創生相に言い切らせて済むと思っているのだろうか。

 

 

[i] 読売新聞「首相、岸田氏に配慮」スキャナー、2017年8月3日付

[ii] 朝日新聞「『ポスト安倍』起用の思惑」時々刻々、2017年8月3日付

[iii] 「安倍と岸田の『密約』」『選択』2017年8月号

[iv] 加藤勝信厚労相(大蔵省)、斉藤健農水相通産省)、中川雅治環境相(大蔵省)の3名

[v] もちろん麻生太郎氏を忘れてはいけないが。

[vi] この経緯は法律制定に向けた市民活動の中心人物であった飯田哲也氏が詳細を書き残している。ただし、この時点で飯田氏らが目指した固定価格買取制度は実現せずRPS(再生可能エネルギーを電力会社があらかじめ定められた一定量を買い取る仕組み)となった。固定価格買取制度が実現されたのは東日本大震災後である。飯田哲成「歪められた『自然エネルギー促進法』

http://www.isep.or.jp/images/press/02iidaEnvSociology.pdf

 [vii] もちろん谷内正太郎氏も外務次官経験者であるが、現役組とは異なる動きをしている例が散見される。

[viii] 山口敬之『暗闘』幻冬舎 2017

稲田朋美防衛大臣を辞任に追い込んでも解決しない問題 ―小野寺新防衛大臣に問うべきこと―

 0.時効の中断

 加計問題で、立証責任問題についてコメントを頂いている。7月10日の閉会中審査における審議、特に参議院での青山繁晴議員の議論の詳細を分析しておく必要があると考えていたが、議事録が参議院のHPにアップされたし、7月24日及び25日の衆参・予算委員会での審議も分析したうえで、近日中に議論する。

 

1.稲田大臣への集中砲火で見えなくなっている問題の本質

 国会を含め最近のもう一つの焦点は、稲田朋美防衛大臣の日報隠蔽了承疑惑だ。さんざん議論し時間も労力も消費して上で、稲田大臣の辞任という結末。現時点では前大臣の閉会中審査への出席も自民党は消極的ということだから、このまま幕引きとなる可能性がある。結論から言うと、稲田氏個人の問題は既に明らかで、2月13日に報告を受け隠蔽を了承していたことにはほとんど疑念の余地がないから、これ以上議論するのは時間の無駄だ。稲田大臣の記者会見や国会での答弁の迷走には、弁護しようがない。そもそも都議選での応援演説における「自衛隊防衛省防衛大臣としてもお願い」発言で、その直後(北海道内でしか放送されてないけれど)ラジオでもコメントした通り、一発罷免相当だったと考える。

 しかし、問題の本質は何も解明されていない。何が問題なのかが分析されていないから、それに対する対処も取られていない。記事や有識者のコメントのまとめの部分に断片的に出てくることがあるが、まともな対策を考えるなら総合的に分析しなければならない。南スーダンの治安情勢が悪化しPKO五原則の前提が崩れたと判断しうる状況が生じたのなら、素直に情勢を報告し部隊を撤退するという判断ができなかったのか。治安情勢の悪化に直面する現地展開部隊の客観的報告を共有して、引き続きとどまって活動するかどうか、更に「駆けつけ警護」といった新たな任務を付与するかどうかを政治プロセスの中で判断するという当たり前の意思決定過程が機能していないのか。

 シビリアンコントロールとは何よりもこうした手続きの問題である。大臣が知っていたかどうかに矮小化されて良い問題ではない。

 

 

2.「21世紀のPKO」の厳しい現実

(1)「保護する責任」

 言うまでもなく我が国の場合、憲法9条が武力の行使などを「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めていることから、国連PKOへの参加についてもおのずから制約があるのであって、具体的には以下の5つの基本方針を堅持することされており、国際平和協力法にこれを反映する規定がある[i]

・・・・・

① 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること

② 国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。

③ 当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。

④ 上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。

⑤ 武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

・・・・・

これがいわゆるPKO5原則である。

 しかし、21世紀の国連PKO活動は、国連軍は最初から紛争の一方当事者になる可能性を覚悟している。1994年のルワンダ内戦において、最後まで残った旧宗主国のベルギー軍司令官からの増派要請を無視し、Peace Keepingなのだから部隊兵士の命の危険はかけられないと撤退した各国の行動が、大虐殺を十分予想しながらみすみす発生させてしまったことは関係者にとってトラウマになっている。そのために1999年以降「保護する責任(Responsibility to Protect)」という概念が生み出されたのだ[ii]。現代では、多くの市民は戦争によって殺されるのではない。市民を守るために存在するはずの自ら属する主権国家によって拷問され虐殺されたり、主権国家が破綻する中で正規軍やその反乱軍たる部隊によって殺傷されたりする人数の方がはるかに多い。主権国家はもちろん人々を保護する責任を伴うが、その国家がそうした責任を果たせない時には、国際社会がその責任を果たさなければならない。国際社会の人々を保護する責任は不干渉原則に優先すると考えるのである。

 したがって、国連でのPKOの実施及び参加部隊の派遣国の派遣意思決定時点において、関係者の停戦が成り立っていたとしても、その後の状況変化により住民の生命に危険が及んでいる場合には、たとえ内戦の一方当事者に加担しているように反対当事者から見えるような状況においても、武力行使が必要になることは覚悟しておかなければならない。PKO部隊に参加しておいて、武力衝突の危機が迫ってきている時あるいは現実に武力衝突が発生してしまった時に、「憲法9条がある我が国は、武力行使と一体となる行為には加担できないし、そもそも派遣している部隊は道路整備などの施設部隊だから、徹底させていただきます。」などという言い訳は、「国際社会からバカにされる」などといいう生易しいものではなく、一般市民を見捨てる行為にほかならない。そもそも治安に不安のある地域で軍の施設部隊が整備する道路は、何よりも武器、弾薬、兵員輸送に使用するものであり、施設部隊(工兵隊)は派遣部隊(Peace Keeping Force)の一体的一部である。銃弾が飛び交おうとミサイルが飛ぼうと、おいそれと危険にさらされる住民をおいて撤退するわけにはいかない。「停戦合意が成立」していると判断することが疑わしい状況になってきている場合や、部隊が「特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守」していては民間人が目の前で殺傷される場合においては、法的疑義は生ずるとしても現実にはある程度の区切りまでは持ち堪えなければならないのだ。

 

(2)「治安情勢変化」を理由とする撤退

 2011年9月の南スーダンの独立は、長年にわたるスーダン情勢の解決として国際社会から暖かく迎えられたことだった。これに先立つ7月、国連安保理がUNMISS(国連南スーダン派遣団:United Nations Mission in South Sudan)の派遣を承認し、国連が日本に部隊の派遣を要請した時点では、停戦が実現されていた。潘基文事務総長から要請を受けたのは菅直人総理であり、実際に派遣を決定したのは野田内閣であるから、民進党もこうした事情は十分承知している。それでも民進党が強気なのは、南スーダンを含めた9回の自衛隊PKO派遣の歴史の中で、ただ一度だけ治安悪化を理由として撤収を決断したことがあるからだ。2012年12月の中東、ゴラン高原におけるUNDOF(国連兵力引き離し監視軍:United Nations Disengagement Observer Force)からの撤退決断である。

 第4次中東戦争後、ゴラン高原におけるイスラエルとシリアの停戦監視を行うため、UNDOFの活動は1974年から行われており、日本は1996年以降部隊を派遣していた。国連PKOの歴史の中でも長年安定した治安情勢を維持してきた活動であり、ゴラン高原への派遣経験を持つ隊員が、その後別のPKO等の重要任務を遂行する例があったことから「PKOの学校」と部隊内で呼ばれていた[iii]。しかし、アラブの春の余波がシリアに及ぶと、強権的なアサド政権への抵抗運動に端を発し国内は内戦状態となり、2012年秋にはゴラン高原付近の治安情勢も不安定になっていた。防衛政務官であった参議院議員大野元裕氏は、元々中東の専門家であったこともあり現地で情報収集し情勢変化を確認した。これを受け、「日に日に(現地の)情勢は厳しくなっており改善の兆しが見られない」(森本敏防衛大臣、2012年12月18日記者会見[iv])とし、隊員の安全確保が困難として、12月21日に2013年3月末までの派遣期間の終了を待たず撤収することを閣議決定し、13年1月に撤収を完了した。この決定は、自民党とも調整済みであったが、国連は現地で活動を続けていたことから「国際社会は歓迎しない」(政府筋)と懸念する声もあると伝えられていた[v]。しかし、こうした異論は、自衛隊撤収直後に治安情勢は更に悪化し、翌年には主力であったオーストリア軍も撤退することとなり、収束することになる。

 2012年当時、陸上自衛隊では輸送部隊44人とUNDOF司令部要員3人が活動していた[vi]。そもそもUNDOFはイスラエルとシリアの停戦合意監視であり、個人的にはなぜシリア国内の内戦がイスラエルとの国境地帯であるゴラン高原の治安悪化につながるのか疑問を持っていた。旧日本陸軍陸上自衛隊のOB会の発行する雑誌に撤退時の派遣部隊指揮官のインタビューが掲載されているが、Damascus市内の反政府派鎮圧のためにアサド政権軍がサリン等の化学兵器を使う可能性があり、その場合Damascus市内から40キロ程度の場所に駐屯している派遣隊員の生命も危険にさらされることも一つの考慮要因だったようである[vii]。このインタビューでは、PKO5原則に基づき個人防護用の最小限の武器しか携行できず、装甲車すら武器に当たるとされ装備されず、輸送任務に際しても防弾車両がない現実に対する素直な怒りと、任務途中で撤退する口惜しさや他国部隊との関係で撤退手続きが極めてデリケートな問題であることが吐露されている。

 

(3)南スーダンを巡る情勢

 今回の南スーダンのケースにおいては、撤退判断は更にデリケートだったはずだ。南スーダンの治安情勢の変化について日本語で詳細をまとめたものは、外務省・防衛省のホームページを含めてネットでは見つからない。情勢は昨年7月に激しい内戦状態となった後、いったん沈静化するかに見えたが、引き続き散発的な戦闘は収まっていない。大量に発生した避難民に対する保護が必要となる一方で、更に治安回復を名目とした政府軍兵士による多数の検問所の設置により人道的活動に対する制約も厳しい。そもそも報道機関の退去や放送設備の強制終了などが行われたたために、現地情勢の把握も困難な情勢が続いている。

 古代にさかのぼる歴史を持つスーダンは、北部の乾燥地帯と南部の熱帯地帯とで相当な環境差があるが、1899年以降英国とエジプトとの共同統治が行われ南北を分断する統治が行われてきたことから、1956年の独立後もアラブ系民族でイスラム教徒の世界である北部と南部の非イスラム民族との対立が続いてきた。1980年代に南部で石油が発見されたことが対立を一層深刻化させる、非イスラム民族においても部族間の対立が深刻化した。スーダンにおける石油開発の歴史は、独立直後の1959年イタリアのAgipが地質調査を開始したことに始まる[viii]。当初、紅海の沿岸地帯が有力とみられたものの発見できず、1974年にやっとChevronがPort Sudanの南東120キロ地点でガス田を発見したものの石油は発見できなかった。このため調査の中心は南部および南西部に移行し、Chevronは1979年に南西部のMuglad盆地、1981年南東部エチオピア国境に近いMelut盆地にAdar-Yale油田を発見する。しかし、この地域の埋蔵量は小規模と考えられたことや治安悪化の中で1989年にイスラム強権体制を目指すバシール(Omar al Bashir)政権が成立しその人権侵害に対する批判が国際的に集中したことから、欧米企業は撤退しChevronも1990年に撤退する。Adar-Yale油田の開発権は1997年にスーダン企業に引き継がれたが2000年中国との合弁でPetrodar Operation Company(PDOC)が設立される。その後の調査によりAdar-Yale油田だけでは輸出のためのパイプライン建設が引き合わないとされたことから、Muglad盆地の地質調査が強化され、両地域から算出される石油はKharoumを経由して紅海に面したPort Sudanから輸出される体制が形成された。スーダンの石油開発は、発見こそ欧米企業であるが、育てたのは中国である[ix]

 バシール政権下のスーダンでは内戦が続き、特に2003年から続く西部ダルフールにおける紛争は2年間で40万人以上が殺害されるという民族浄化を伴う闘争が進行した。この紛争は現在に至るも解決されていない。オサマ・ビン・ラディンも1991年からアフガニスタンに出国するまで5年間、その拠点をKharoumに置いていたように[x]スーダンは様々なテロリストの温床を形成する破綻国家の典型例である。南北対立を停戦させた2005年の包括和平合意(Comprehensive Peace Agrement : CPA)では、当初南スーダンの独立は選択肢の一つに挙げられたに過ぎなかったが、南スーダン石油資源開発のためにアメリカがテロ指定国家解除をちらつかせてKharoum政府に独立を認めさせた[xi]南スーダンの独立は住民投票の結果であり、圧倒的多数を以て独立が決議され、これを国際社会が承認した形になっているが、その背後には大国の石油を巡る利害対立がある。

 21世紀に入り、アメリカにおけるショールガス開発が商業的に成功したことに隠れてしまっているが、世界中で石油資源探査が進み、これまで知られていた中東や北海油田以外にもロシアや南アメリカでも埋蔵資源が多量に確認され、国際政治地図は一変した。アフリカにおいても、西アフリカのナイジェリアやアンゴラ、サハラのアルジェリアリビアといったOPEC加盟国ではなく、2005年以降東アフリカ大地溝帯に沿って、ウガンダケニアでも油田が確認されている[xii]。こうした油田を発見しているのは英国Tullow Oilの探査チームであるが、その背後には東シナ海日中中間線天然ガス開発を推進する中国海洋石油総公司(China National Offshore Oil Cooperation: CNOOC)がいることは忘れてはならない。東アフリカの石油開発の問題点は輸出方法であり、ケニアのLamuまたはMombasa、あるいはタンザニアのDar es Salaamといった港までのパイプラインを建設することが必要になる。しかし、国際パイプライン建設は政治的には容易なことではない。南スーダン原油生産は、このまま新規発見がなければ減退により10年程度で生産が半減する見通しと言われる[xiii]ウガンダで石油開発を進めるTotalが南スーダンの新規有望鉱区の開発を進めているが、その場合Kharoumを経由するのではなくウガンダからケニアを抜けるルートに接続できれば南スーダンの石油開発の展望は広がることになる。

 このように、南スーダン独立の背景は複雑である。独立してイスラム教徒の影響は一応排除されたものの[xiv]、民族対立は残った。今回も対立は、最大の民族であるDinka族のSalva Kiir大統領と二番目に人口の多いNuel族のRiek Machar副大統領の対立である。Macharは独立時に副大統領であったが、2013年7月に突然解任され首都Jubaから逃亡する。Kiir大統領は後に、彼がクーデターを計画していたと告発し、本人はこれを否定するが、これをきっかけに両派間で武力対立が発生し、数万人が殺害され、数百万人が難民となる内戦となる[xv]。そのMacharが、Kiirと講和し、平和合意(the Agreement on the Resolution of the Conflict in the Republic of South Sudan :Peace Agreement)に基づき、副大統領に再指名され2016年4月にJubaに戻ってきたのである。Kiir-Machar体制で国家統一移行政府(Transitional Government of National Unity)が設立されたが、治安維持機構の改革やJubaの軍政から回復といった問題は何も解決されていなかった。

 こうした南スーダン情勢は、BBC等のメディアでは連日報道されていた。僕自身もアメリカのニュース局のラジオをよく聞いているので関心を持っていた[xvi]。しかし、断片的な報道では全体像をつかむことはできない。現在分かっているところによれば、Marchar着任後Juba市内でも7月までいくつかの小競り合いが報告されており、国連施設の位置するエリア近くでも銃声が聞こえていた[xvii]。しかし、7月7日の両派の衝突をきっかけとして、大規模衝突に突入した。衝突は11日までに大統領派がJubaの大部分を制圧したことにより安定化し、Kiir大統領は一方的に停戦を宣言し、Marcharもこれを追認する声明を発した。しかし、その後2週間、大統領派は副大統領派掃討作戦を実行し、Marharは支持派とともに逃亡した[xviii]。8月1日にはKiirは国家移行立法議会(Transitional National Legislative Assembly)で演説し、和平を再度誓うとともにそれまでに頻発した性暴力に対し全く認めない(zero tolerance)姿勢を宣言した。こうした7月における一連の衝突の経緯及びそれに伴う非人道的行為についてはUNMISSが国連人権高等弁務官事務所the Office of United Nations High Commissioner for Human Rights (OHCHR))と共同で今年1月の報告書にまとめている[xix]

 この報告書で注目すべきところは、国連PKO軍が管理する民間人保護サイト(the UNMISS Protection of Civilians (PoC) sites)に現地住民が多数避難してきていたが、これが狙い撃ちされたとされていることである。大統領派(Dinka族)と副大統領派(Nuel族)の間に民族対立があり、意図的な民間人(Nuel族)を標的とする攻撃が行われたことが認定されている。こうした大統領派(SPLA)による攻撃は、市内各地で行われただけでなく、国連PoCサイト内に対してもロケットランチャー(rocket-propelled grenade:RPG)や迫撃砲を用いた攻撃が執拗に繰り返され、11名の女性、17名の子供を含む53名が殺害され、49名の女性、50名の子供を含む234名が負傷した。その他、市内での殺傷の報告は多数あるが、Juba郊外の少なくとも6地区で家屋、ホテルをしらみつぶしに捜索しての市民への殺害行為が行われたと認定されている。7月の衝突でKiir大統領は300名以上の兵士が殺害されたとしか発表していないが、民間人の死者はそれをはるかに上回ることは明らかである。更に11日の大統領派による市内大部分の制圧後も、国連PoCサイトに避難した民間人が食料や薪の調達のためにサイト外に出ることを狙い撃ちしした攻撃や女性に対する性暴力事案が多数発生していた。

 8月以降の治安情勢についても、国連安全保障理事会へのUNMISSからの定期報告がまとめられているが、情勢がどの程度安定しているかを認定するのは容易ではない。少なくとも7月の大規模衝突のような事態は発生していないものの、治安情勢は不安定なままであり、UMMISSの活動が困難になっていることも報告されているが[xx]、参加60か国以上の部隊の中で治安情勢の悪化を理由として撤退を検討しているという報告はこの時点ではない。しかも、南スーダン政府軍と衝突したMacharとその一派(force)は、少なくともJubaから、Marcharと幹部は国外に逃亡しているのであるから、治安情勢はある程度回復されたと判断することは間違いとは言えないだろう。

 自衛隊は、UN House地区の司令部に司令部要員も派遣しているが、人数として大部分である施設部隊の宿営地は北東部のTomping補給基地にある[xxi]国連PoCサイトはTomping基地周辺に3つあり、そのうち2つが攻撃されたのであるから、7月の攻撃は自衛隊PKO部隊宿営地のすぐそばであったはずである[xxii]自衛隊の名誉のために言っておけば、治安維持は自衛隊(施設部隊)の任務ではない。独立国である南スーダンの治安維持に関する責任は、一義的には南スーダン警察と南スーダン政府軍にあり、UNMISSの部隊はこれを補完するものであり、具体的にはUNMISSの歩兵部隊の任務である。UNMISSにおける日本の自衛隊の役割は道路や避難民向けの施設整備及び物資輸送であって、住民保護ではないから、PoCサイトへの攻撃に対する反撃及び抑止は自衛隊の任務ではない[xxiii]。実際にUNMISS司令部から自衛隊に対する出動要請はなかった。法制上は、むしろ「南スーダン国際平和協力業務実施要領」の「部隊長等は、状況が隊員の生命又は身体に危害を及ぼす可能性があり、安全の確保のため必要であると判断され、かつ防衛大臣の指示を受ける暇及び事務総長等と連絡を取る暇がないときは、国際平和協力業務を一時休止する」との規定に基づき、宿営地内にこもることが求められており[xxiv]、その通り行動したのである。

 しかし、UNMISS部隊の宿営地近傍、数百メートルしか離れていない場所で民間人殺害や性暴力行為が数多く行われ、更に人道援助活動を行う国際NGOの職員まで襲われているのである[xxv]。それなのにUNMISSの歩兵部隊は、悲鳴と言える救助要請を無視し、何も対応しなかった。8月末を過ぎて治安情勢が一定の安定を見た段階以降で、日本として「自衛隊の施設部隊の近傍でNGO等の活動関係者が襲われ、他に速やかに対応できる国連部隊が存在しない、といった極めて限定的な場面で、緊急の要請を受け、その人道性及び緊急性に鑑み、応急的かつ一時的措置としてその能力の範囲内で[xxvi]」いわゆる「駆け付け警護」の新任務付与の必要性を検討するのは、極めて自然なことだと言わざるを得ない。

 

(4)自衛隊PKO部隊の撤退を判断する基準

 南スーダンPKOへの自衛隊部隊派遣が問題となっているのは、7月段階で治安情勢が極度に悪化し内戦状態に突入していたのではないかということである。PKO5原則の1番目の「紛争当事者の間で停戦合意の成立」という条件が崩れているのではないか。そうであれば、本来は撤退を決断しなければならない。しかし、現実には日本政府は撤退を決断せず、10月25日に部隊派遣継続を決定し、11月15日には「駆け付け警護」等の新任務を付与することを決定した。こうした判断は、国民的な議論を生んだ集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制の改正により自衛隊PKOに新設された新任務を付与した実績を作りたいという政府の政治的思惑に基づいており、「停戦合意が崩れている」という事実を歪めた決定なのではないかという批判を受けているのである。

 7月以降、断片的な銃弾の飛び交う衝突は国際的には何度も報道されていた。そうした情勢を総合的に判断して、8月以降も自衛隊の活動するJuba及びその周辺における治安はPKO活動を継続できるほどに回復したと言えるのか、更に「駆け付け警護」を行うとしても日本のPKO協力部隊、しかも施設大隊の保有する装備で隊員の安全は確保できるのかといった問題について判断する必要がある。日本政府は、派遣継続を決断した10月25日の段階において、「治安情勢が厳しいことは十分認識している」としながらも、「世界のあらゆる地域から、62か国が部隊等を派遣し」ており、「7月の衝突事案の後も、部隊を撤退させた国はない」と説明している[xxvii]

 しかし、11月に入りケニア軍が徹底したことで、話がややこしくなる。この撤退は、UNMISS司令官であったケニア軍のGeneral Johnson Mogoa Kimani Ondiekiが7月の衝突事案への対応に際し指導力の欠如、準備不足、指揮命令の混乱などの責任を問われ解任されたことへの抗議とケニア政府は説明している[xxviii][xxix]。しかし、日本の一部マスコミからは「ケニア軍は危険すぎるとして撤退したのではないか」と指摘されている。更に、11月30日付けで、UNMISS国連事務総長特別代表を務めていたデンマークの外交官であるEllen Margrethe Løjが退任して空席になったとも報じられた[xxx]PKOミッションにおける国連事務総長特別代表とは、国連事務総長に成り代わり軍事オペレーションも含む当該ミッションの全てに権限と責任を持つポストである。Løj の退任により特別代表と軍事部門の統括司令官の両方が空席になった。もともとLøjの任期は8月末までであったが、7月の武力衝突事案を受けて本人の希望により事態の鎮静化まで任期を延長していた。「12月になっても後任が決まらないのは「危険すぎる任務として誰も引き受け手がいないからではない」という指摘がされたのである。ただし、国連事務総長は12月13日付でニュージーランドのDavid Shearerを特別代表に任命した。Shearerは、長く国連でキャリアを重ねており、イラクレバノンパキスタンアフガニスタンといった国連PKOミッションでの活動経験を持つ。直前まで務めていたニュージーランド下院議員を2016年12月末で退任するため、指名がこの時期まで遅れたというのが国連の説明である[xxxi]。この部分は、日本のマスコミは報道していない。

 国際的な報道を事後的に補足して日程を追って流れを確認すると、自衛隊の派遣継続、新任務付与という判断が不適切であったとまで結論付けられるかどうかは疑問がある。日本の一部のマスコミには、政府批判のポジションをあらかじめ決めた上で国際報道を断片的につまみ食いするような姿勢があることは認めるが、説明責任は政府の側にある。少なくともここで僕がまとめている程度の説明は、情報の出所を明示していることで証明されるように昨年から順次可能であった。政府の判断が間違いだったとは僕は考えていないが、説明は明らかに不十分である。

 

 

3.「特別防衛監察」で明らかになったこと

(1)「特別防衛監察」を巡る経緯

 今回の日報問題の出発点は、フリージャーナリストの布施悠仁氏の情報開示請求である。布施氏は、昨年7月初め頃、海外メディアが戦車や戦闘ヘリも出動して激しい戦闘が行われ数百人の死者が出ていると報じていたにもかかわらず、政府は現地の状況は「散発的な発砲事案」「自衛隊に被害なし」と発表し、「武力紛争は発生しておらずPKO参加5原則も崩れていない」と結論つけていることに疑問を持ち、防衛省に文書開示請求をおこなった[xxxii]。2015年9月に安全保障法制が成立したが、ゴラン高原PKOからの撤退により、この時点では自衛隊PKO南スーダンしか残っていない。今後、いつどこでPKO自衛隊を派遣するかどうかわからない。だから、治安情勢が極めて悪化しており撤退を検討せざるを得ない状態であったにもかかわらず、派遣延長を決定し「駆けつけ警護」等の新しい任務を付与し、実績を作りたかったのではないか。一連の過程の結果公表された日報によれば、自衛隊が活動しているジュバを含む南部3州においても「戦闘が生起しており、暫定政府および新28州体制に基づく新州行政機関の治安統治能力は地方においては十分発揮できていない」と明記されているが、こうした文書が7月19日と10月3日の二回行われた情報開示請求に基づき公開されていれば、秋の国会では大議論になっていたわけだから、11月の新任務付与決定はおろか、交代部隊の派遣自体が決定されていなかった可能性があるというわけである。

 7月28日に公表された特別防衛監察の結果は、焦点となっていた稲田防衛大臣の日報隠蔽了承疑惑につき、以下のような記述がある。

・・・・・

 平成29年2月15日の事務次官室での打合せに先立つ2月13日に、統幕総括官及び陸幕副長が、防衛大臣に対し、陸自における日報の取扱いについて説明したことがあったが、その際のやり取りの中で、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。

 さらに、平成29年2月15日の事務次官室での打合せ後に、事務次官、陸幕長、大臣官房長、統幕総括官が、防衛大臣に対し、陸自における日報の情報公開業務の流れ等について説明した際に、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。

・・・・・

 この部分は、監察結果本体文書の7ページ目の脚注19として記載されたものであるが、原案ではこの部分は存在せず、2月15日に事務次官室において事務次官が、陸幕長らの報告を受けて「陸自に存在する日報について、管理状況が不明確であるため、防衛大臣に報告する必要がない旨の判断を示し」、防衛大臣には(文書でなく)データとしての日報がコンピューター上に残っていた旨の報告がなされないままで大臣の了承を得たという結論になっていた。

 しかし、7月20日にフジテレビ系列のFNNが「『稲田大臣に事前説明』複数証言」として、2月13日に大臣が陸自幹部から、陸自内に日報のデータが残っていたという報告を受けていたことが、複数の政府関係者への取材でわかったと報じる[xxxiii]。この報道では、陸自ナンバー2の湯浅陸幕副長の「パソコンの端末内に日報のデータが残っていた」との説明を受け、翌日の定例の会見を控えていた稲田防衛相が「けしからん。あした(会見で)なんて説明しよう」と述べたという詳細まで暴露された。この報道を受けて、当初の監察結果公表の日程が延期されたが、更に報道を裏付ける手書きの個人メモなるものまで流出する事態となったことを受けて[xxxiv]、上記記述が脚注の形で挿入されることとなったと報じられている。

 7月20日とは、既に監察結果の原案がまとまっており、防衛省幹部への説明が行われていたころである。原案が報道の通りであるとするならば、今回の問題の責任は陸自の制服組にあり、せいぜい事務次官が報告を受けていたが、大臣には全く責任がないということになる。この結論に反発した制服組からの報道機関へのリークではないか。そうであれば陸自の反乱だと大騒ぎになった。

 稲田防衛相は7月19日に記者団に対して、「報告があったという認識はない」と否定しており、20日も事前の報告の有無については一切答えなかった。しかし、こうした対応が、報告を受けていたのであれば隠蔽を了承した上で国会で虚偽答弁を行ったことになるが、報告を受けていたなかったのであれば大臣を飛ばして方針が決定されていたことになり大臣として機能していないではないかと、集中砲火を浴びることになった。そして、監察結果に脚注が挿入され、28日に稲田大臣の辞任とセットで公表される結果となる。

 

(2)「特別防衛監察」で明らかになったこと

 こうした経緯で発表された監察結果の評価は、一般には低い。肝心の大臣の関与部分がここまであいまいでは、全体としての信頼性も揺らぐ。ここでは大臣関与の部分以外は信頼できる報告であるという前提としておくが、今回の報告には有益な情報も浮かび上がっている。ここでは3つの点を指摘しておきたい。

 第一に、情報開示請求への当初の対応方針が陸自の部隊司令官(具体的には「中央即応集団(CRF)副司令官(国際)」)のレベルで実質的に決定していたということである。部隊運用の基礎データである日報は、戦史研究の基本であり破棄されるなどということは原理的にあり得ない。その日報に激しい戦闘の詳述があり、それがPKO5原則に照らして公表することが問題となることが予想されたとしても、それを判断するのは大臣以下防衛省全体の責任においてなされるべきことである。部隊司令官がすべきことは、請求に該当する文書をすべて示したうえで、当該文書が公表された場合におきる不適切な事態の指摘を付することだけだ。しかし、当初の開示請求内容がピンポイントで日報を要求するものではなかったことから[xxxv]、CRF副司令官は「日報以外の文書で対応できないか陸幕に確認するよう指導した」というのである。防衛省内の用語で「指導」とは、どの程度のことを意味するのかはわからないが、CRF副司令官(階級は「陸将補」)による「指導」が軽いものだったとは考えられない。実質的に「開示するな」と言ったということだろう。監察結果でも「当該指導により、陸幕及びCRF司令部関係職員の間において、行政文書としての日報が存在しているにも関わらず、日報は個人資料であるとし、日報を該当文書に含めないとする調整により、日報が該当文書より除かれた。」とされている。

 情報公開において、どの文書のどの部分を公開するかどうかの判断は、当該文書の作成・保管部署の意見は聞くとしても本来情報公開を司る部署がすべきものである。この場合、防衛省内局の大臣官房文書課情報公開・個人情報保護室(情個室)ということになる。しかし、情報公開窓口は窓口業務の位置づけであり、組織内政治における影響力は低い場合が多い。実際、情個室長の上司に当たる文書課長ですら平成3年入庁の防衛事務官であるから、内局背広組と制服組という制度上の区別はあっても、現実には陸相補との格の差はあるだろう。従って、情個室長や文書課長は政治的判断を必要とするものについては、自らの判断で行わず、官房長、事務次官、政務三役とレベルを上げていく。これによって階級差とのバランスを埋めるのである。

 個人的には、日報データそのものを部隊派遣継続中に公開する必要はないと考えている。今回黒塗りされている部分は他国軍部隊から得た情報とのことであるが、日報データには防衛機密に属するものもあるし、食料在庫のような厳密には防衛機密と言えないものでも部隊の士気を判断する材料になりうるわけであるから、後日公開の方が適切だろう。

 情報公開請求者から見て必要な情報は、衝突事案の詳細とそれに対する自衛隊の認識及び対応であって、特に重要なのは衝突事案の経緯において副大統領派がどの程度組織として大統領派である南スーダン政府軍と対峙したかである。治安情勢の悪化は、UNMISSの治安維持以外の業務、即ち自衛隊施設部隊の担当する道路等の整備業務が行えなくなるということであり、「部隊がそこにいても意味がない」という実質的妥当性の問題にとどまる。しかし、衝突の一方当事者が組織された部隊であったということになると、「国に準ずる組織」であることになる。南スーダン政府軍と「国に準ずる組織」との交戦に際し、「駆け付け警護」にせよ「宿営地の共同防護」にせよ武力を行使することは、憲法9条の禁ずる「国際紛争を解決する手段」としての武力の行使と見なされる可能性が生じ、法的妥当性の問題に直結する。その意味では、どの程度の砲弾が飛び交ったのかより、副大統領派が「国に準ずる組織」と言える程度に組織化された部隊であったのかの方が重要な問題であると思われる。国会答弁において稲田大臣は「戦闘」という文言が日報に記載されていたかどうかをしきりに議論していたが、開示請求があったのは「7月6日~15日の期間にCRF司令部と南スーダン派遣施設隊がやり取りした文書すべて(電子情報を含む)」であったのだから、その期間に施設隊野営地周辺で「戦闘」が行われた旨の記載があっても、そのことが「紛争当事者の停戦の合意」が崩れたという結論に直結するわけではない。7月16日以降、南スーダン政府軍により治安が回復されUNMISSの活動が再開可能な状態となったのであれば、部隊を撤退させる必要はない。更に、7月の衝突事案を検討して、治安維持行為という講学上の警察権の執行の一部として「駆け付け警護」を新任務として付与することも全く不自然ではない。

 しかし、7月の武力衝突事案が「国」である南スーダン政府軍と「国に準ずる組織」である「副大統領派」との間の衝突であるとすれば、問題は全く異なる。「国」と「国に準ずる組織」との衝突は「国際紛争」であり、民間人保護とはいえその場面に際し武力を行使することはまさに憲法9条の禁ずる「国際紛争を解決する手段」としての武力行使と判断される可能性が生ずるからである。従って、たとえ一部マスコミから指摘されているように、防衛大臣の政治判断として国際平和協力法の改正によって追加された新任務の付与の第1号の実績を作るために危険を承知で強引に派遣継続及び新任務付与を決定したのだとしても、この段階で説明すべきことは「戦闘行為があったかなかったか?」ではなく、「治安を乱している副大統領派の戦闘行為がどの程度組織として秩序だったものであったか?(秩序だったものではなかったので「国に準ずる組織」とはみなされないと結論できる!)」の方であるべきであったはずである[xxxvi]

 防衛省の内局としては、こうした事情を総合的に判断するならば、「不開示」と結論した理由を「日報は破棄されたから」などという稚拙な言い訳をすべきではなかった。財務省経産省と言った霞が関で「一流」と見なさされる役所では、後でばれるような稚拙な言い訳を考えることを一番卑しむ。10年近くそういう環境を経験した僕は、この問題の最初から「なぜ捨てちゃったから出せない」など素人臭い言い訳を不開示理由にしたのかが疑問であったから、行政事務の素人である稲田大臣本人が「そんな後で問題になりそうなものはなかったことにしてしまえ」と言ったのだとすら推察していた。今回の「特別防衛監察」では、日報データは存在しないことにしてしまえという判断は、最初の段階で陸上自衛隊内で行われてしまっているとされている。これでは意思決定過程に、内局の法的あるいは政治的判断は関与していないということになる。シビリアンコントロールとして問題がある。内局を信用して、相談すべきであった。

 第ニに、防衛省の情報の取扱いに関する問題点を指摘して解明する際に大きな役割を果たしたのは、自民党行政改革推進本部であったということである。10月の2回目の開示請求に対する12月2日付けの不開示決定も、それだけでは世間的には大きな問題とはならなかった[xxxvii]。この不開示決定が問題視されたのは、日報データが既に破棄されていることを理由としての不開示決定を報道で知った行革推進本部長であった河野太郎氏が「行政文書としての扱いが不適切」だと問題視し、12月12日に日報データの存否を再調査するよう要求したことで、対応せざるを得なくなったからだ[xxxviii]。「特別防衛監察」によれば、これ以降陸幕長を中心に対応を協議し、防衛大臣に報告した上で本年2月6日に日報を自民党行革本部に提出する。河野太郎という強い個性を持った政治家が、日報という部隊運用の基礎資料が破棄されるなどということはあり得ないという行政事務の実態に関する正確な知識を踏まえ、自民党行革本部長という立場で行動するという条件がそろっていなければ、今回の問題は明らかになっていないことになる。シビリアンコントロールが機能不全に陥った時に、係る条件がそろわなければ修正できないというのでは問題であろう。

 第三に、今回問題になった日報データは2月6日の時点ですべて公開されているということである。稲田大臣が隠蔽を了承したのではないかと問題になったのは、2月6日時点では陸自内でも統幕本部には日報が保管されていたと発表していたが、それ以外にも陸幕及びCRF司令部の複数パソコン端末にデータが残っていた。しかし、それは既に公開したデータと同じものであるから、わざわざ再度対外的に説明する必要はないとの判断が事務次官以下でなされ、それが大臣にも報告されていたにも関わらず、大臣は統幕以外の部署におけるデータの保管の有無及び保管の事実の隠蔽については報告を受けたこともなければ、隠蔽を了承した事実もないと言い続けたのである。しかし、そもそも本件日報データは陸自内では、一定の関係者で情報共有すべく陸自式システムの掲示板に日々順にアップされていたものであるから、物資調達や予算といった関連業務のために各部署でダウンロードし保管している方が自然である。従って、陸自内のどの部署にデータが残っていたかは本質的な問題ではない。河野太郎氏が指摘するように[xxxix]、各部署で隊員が自らの仕事のために個人的に保管していたデータは「組織として活用すべく共有しているもの」ではないから「行政文書」には当たらないと判断し、「行政文書」なら探し方が足りなかったので他の部署でも保管されていた旨公表し謝罪する必要があるが、「個人データ」だからわざわざ公開の必要もないだろうと考えたものであり、「隠蔽」という意図はなかったという可能性がある。少なくとも大した罪悪感は持っていなかったのではないかと思う。批判されるべきは、日報に関してはそれまでいろいろとあったわけだから、自分たちで判断するだけではなく、内閣府の公文書課や国立公文書館といった情報公開に関する政府内での有権解釈当局に、きちんとした判断を仰ぐべきだったのではないかということだ。その通りだと考える。稲田大臣の頭の中がきちんと整理されておらず、発言内容がぶれるから集中砲火を浴びる。秘書官を始め大臣を支えるべき官僚の任務懈怠である。

 

 

4.小野寺防衛大臣に求めること

 8月3日の内閣改造により、岸田外務大臣の兼務が解除され、小野寺五典氏が防衛大臣に着任した。8月10日に行われる閉会中審査に稲田前大臣の出席を自民党が拒否していることが話題になり、隠蔽の当事者が不在で何を議論するのかという批判がマスコミの主要論調であるが、本質的な議論に戻るべきだ。

 第一に、日本は何のために国連PKOに参加するのかということである。21世紀の国際政治において問題になっているのは、20世紀にたくさんあった主権国家を多数巻き込んだ総力戦より、独裁国家や破綻国家の内部における人道問題である。このために、国連が「保護する責任」を掲げて、内戦や内乱に介入する。平和国家として現行憲法の制約の下では、こうした国際社会の要請の全てに対応はできないし、すべきでもない。南スーダンPKOへの参加は何のためか。今世紀最悪の殺戮が行われてきたダルフール地方の隣である。そのような地域への派遣、しかも司令部要員やリエゾンオフィサーの派遣ではなく、数百人規模の施設部隊の派遣を決定するには、単なる国際貢献以上にリアルに我が国の国益上の必要性が求められるのではないか。

 前述のように、東アフリカの油田開発は近年注目を集めている。しかも、中国が着々とこの地域への影響力を強めている。しかし、油田開発の商業的成功には越えなければならない障壁はあまりに多いし、現時点での確認埋蔵量は国際的に見れば少なく、中国と競い合ってリスクを取りに行く必要があるほどとは考えにくい。むしろ、2011年の派遣決定自体が、包括和平合意に基づく住民投票の結果としての独立というストーリーを信じた安請け合いだったのではないかと思うのだ。安全保障法制の成立により、自衛隊の活動範囲は拡大された。派遣される部隊の責任もリスクも、より大きなものとなる。日本の世界戦略の問題として、どの地域のどのようなPKO活動には積極的に参加するが、それ以外のものについては最小限の貢献にとどめるという基準を「安倍(河野?、小野寺?)ドクトリン」のような形で明示することが必要なのではないかと考える。

 第ニは、派遣部隊の撤退の判断基準である。2012年のゴラン高原からの撤退は慎重に過ぎ、2016年の南スーダンの派遣継続は大胆に過ぎたのではないか。政府として、この整理をすべきである。安全保障法制によって付加された新任務負荷第1号の実績などということよりも、この二つの事例を、政府部内できちんと比較検証した上での評価を明らかにすべきだ。その際、自衛隊活動地域においてどのような危険があり、あるいは危険があり得るとの認識を持っていたのかついても詳細を公開する必要がある。

 最後は、部隊派遣継続中の事案における治安等の状況報告の公開方法である。国際的には山ほど衝突や殺傷事案の報道があるのに、政府からの公式な説明は「現在は比較的落ち着いている」とされているだけでは明らかに不十分である。布施悠仁氏らはそのギャップを問題視したわけであり、最初は情報公開請求の対象を何にすべきかすらわからなかったために、部隊運用の基礎資料であって絶対に存在するはずの日報の公開を請求することになった。しかし、定期的に情勢報告が公開されていたら、機密情報を含む部隊運用の基礎資料の公開範囲をいちいち判断する必要もなかっただろう。防衛省内でのシビリアンコントロールの問題としても、治安関係情報を含む情勢報告の制度化を図る必要がある[xl]

 

 稲田朋美はもういない。辞任の経緯を巡る国民の記憶は、彼女に二度と大きな政治的役割を担わせることを阻む。政治家の責任の取り方とはそういうものだ。実益のなくなった議論に拘泥する暇があったら、さっさとやるべきことをやるべきだ。

 

 

[i] 外務省HP

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/q_a.html

 

[ii] Responsibility to Protectに関する議論としては、国際法では「人道的介入」の文脈で議論されるため文献がたくさんありすぎるが、ネットで拾えるものの中でまとまっているものとして、いささか古いが以下のものを挙げておく。

川西晶夫「『保護する責任』とは何か」 国立国会図書館調査及び立法考査局『レファレンス』2007年3月特集号(総合調査―平和構築支援の課題)

http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200703_674/067402.pdf

 

[iii] 半田滋「違和感だらけ―南スーダン撤退を決めた政府の『本当の事情』」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51198?page=3

 

[iv] 防衛大臣記者会見2012年12月18日 防衛大臣が公式の記者会見で、「治安情勢に改善の兆しなし」と発言しているのはこの日であるが、この記者会見で森本大臣は撤退を否定しており、正式に撤退命令が発令されたのは21日である。既に12月8日には共同通信が撤退へと伝えていたが、現地国連PKO隊司令官に対して撤退を通告したのは実際に撤退命令を現地部隊が受けた21日のことである。この直前、カナダ軍3名がPKO司令官に通告せず撤退したことが批判されていた。自衛隊としては、撤退準備を進めた上、命令発令時点で通告することになった。(後述の喜田邦彦を参照)

http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2012/12/18.html

 

[v] 日本経済新聞「政府、ゴラン高原のPKO撤収を確認」2012年12月21日付

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21008_R21C12A2EB1000/

 

[vi] その他に、航空自衛隊ゴラン高原空輸隊(空輸隊(約80名)も参加していた。

[vii] 喜田邦彦「ゴラン高原PKО「撤退作戦」の検証-最後の隊長・萱沼3等陸佐に聞く-」『偕行』2013年12月号 40キロであれば風向きによっては3時間程度で野営地に到達すると判断されている。

http://fuwakukai12.a.la9.jp/Kita/kita-golan.html

 

[viii] Tong Xiaoguang and Shi Buqing, “Changing Exploration Focus Paved Way for Success,” GEO ExPro, May 2006

 

[ix] 正確には、インドとマレーシアの国営企業も参加している。

[x] ビン・ラディンハルツームで具体的に何をやっていたのかは、当時様々な報道があったが未だに明らかになっていない。

https://www.theguardian.com/world/2001/oct/17/afghanistan.terrorism3

 

[xi] 平野克己 「新国家南スーダンの命運を握る米中の連携」日本貿易振興会アジア経済研究所(IDE-JETRO

http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Africa/Radar/20110720.html

 

[xii] 藤井哲哉「活発化する東アフリカ・リフト堆積盆の探鉱」 JOGMEC『石油・天然ガスレビュー』2010年9月 Vol.44 No.5 65~80page

https://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/3/3660/201009_065a.pdf

 

[xiii] 竹原美佳「東アフリカ陸上(ウガンダケニア南スーダン)における石油開発と輸出パイプライン構想、JOGMEC 2013年7月25日

https://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/4/4897/1305_out_eastafrica.pdf

 

[xiv] 最大の収入源である石油の販売については、現時点では全てKharoumを経由してPort Sudanに通ずるパイプラインしか手段がないため、ハルツーム政府がパイプラインの利用制限及び使用料金徴収を通じてコントロールできる状況が続いている。

[xv] BBC, “South Sudan's Riek Machar profiled”

http://www.bbc.com/news/world-africa-25402865

 

[xvi] 僕がいつも聞いてるのはボストンから放送されているNational Public Radioの支局WBURである。http://www.wbur.org/ 携帯電話に適切なアプリを落とせば、タダで聞ける。NPRの国際ニュースはBBCを流しているので、アフリカ情勢について手厚い。

 

[xvii] Juba市内にはUNMISSの拠点は、南東部の司令部(UN House)と北東部のJuba国際空港近くのTompingに補給基地(UNMISS logistics base)の2つがある。

[xviii] Macharはコンゴを経由して、8月にはKharoumに医療目的で滞在しているとSudan情報相が発表している。Al Jazeera, “South Sudan's Riek Machar in Khartoum for medical care,”

http://www.aljazeera.com/news/2016/08/south-sudan-riek-machar-khartoum-medical-care-160823161508776.html

 

[xix] UN Office of the High Commissioner for Human Rights and UNMISS, “A report on violations and abuses of international human rights law and violations of international humanitarian law in the context of the fighting in Juba, South Sudan, in July 2016”

http://www.ohchr.org/Documents/Countries/SS/ReportJuba16Jan2017.pdf

 

[xx] 例えば本年4月のSecurity Council Report は以下の通り。

http://www.securitycouncilreport.org/monthly-forecast/2017-04/south_sudan_30.php

 

[xxi] 防衛省「UNMISSにおける自衛隊の活動について」平成29年4月

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf

 

[xxii] 国連報告書にも防衛省発表資料にも、Tomping基地周辺の詳細な地図情報は記載されていないため、どの程度の位置関係であったかはわからない。

[xxiii] 現実にUNMISS司令部から自衛隊に出動要請はなかった。

半田滋「日本政府が伝えない南スーダン国連PKO代表』不在の異常事態」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50357?page=2

 

[xxiv]南スーダン平和協力業務実施要領(施設部隊等)(概要)」

http://www.pko.go.jp/pko_j/data/pdf/03/data03_27_5.pdf

 

[xxv] しかも襲ったのは南スーダン政府軍兵士と報道されている。報道は多数あるが、例えば

Jason Patinkin AP, “Rampaging South Sudan troops raped foreigners, killed local”

https://apnews.com/237fa4c447d74698804be210512c3ed1/rampaging-south-sudan-troops-raped-foreigners-killed-local

 

[xxvi] 内閣官房内閣府・外務省・防衛省「新任務付与に関する基本的考え方」平成28年11月15日

http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/heiwa_anzen/kangaekata_20161115.pdf

 

[xxvii] 内閣官房内閣府・外務省・防衛省「派遣継続に関する基本的な考え方」平成28年10月25日

http://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/161025unmiss.pdf

 

[xxviii] Ben Quinn, “South Sudan peacekeeping commander sacked over 'serious shortcomings',” the Guardian, November 2, 2016

https://www.theguardian.com/global-development/2016/nov/02/south-sudan-peacekeeping-chief-sacked-alarm-serious-shortcomings-ondieki

 

[xxix] Reuters, “Kenya withdraws first batch of troops from U.N. South Sudan mission”

http://www.reuters.com/article/us-southsudan-un-idUSKBN1342AH

 

[xxx]半田滋「日本政府が伝えない南スーダン国連PKO代表』不在の異常事態」

[xxxi] UN Biographical Note, "Secretary-Genral appoints David Shearer of New Zealand Special Representative for South Sudan," SG/A/1691- Bio/4910-PKO/617, 13 December 2016

https://www.un.org/press/en/2016/sga1691.doc.htm

 

[xxxii] 布施悠仁「稲田大臣辞任だけで終わらせてはいけない『日報隠ぺい』本当の問題点」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52482?page=2

 

[xxxiii] http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00364816.html

 

[xxxiv] https://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00365230.html

 

[xxxv] 7月19日の開示請求の対象は「2016年7月6日(日本時間)~15日の期間に中央即応集団司令部と南スーダン派遣施設隊との間でやりとりした文書すべて(電子情報を含む)」であった。(「特別防衛監察の結果について」)

[xxxvi] 民進党はこの部分を追及すべきであったと、個人的には思う。国際的に報道されている情報を整理し、解任されたケニア軍司令官及びその後のケニア軍の撤退が司令官解任への抗議だけではないことを立証するとともに、国連安保理への公式報告なども踏まえ、7月事案において副大統領派である(SPLM/A-IO)の戦闘行動が部隊として組織されたものであり、8月以降も南スーダン国内、とりわけ首都Juba周辺でも活動が続いていたことを立証すれば、政府の判断が誤りであったと指摘することができる。野党は当たり前のことをやっていないと思う。

[xxxvii] 開示請求を行った当人である布施悠仁氏自身が「私も正直、自分が行った2本の情報公開請求が、よもやこんな「大事件」になるとは思ってもいなかった。」と書いている。布施前出

[xxxviii] 東京新聞「「廃棄した」PKO部隊日報 防衛省、一転『保管』認める」2017年2月7日付朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017020702000114.html

 

[xxxix] 河野太郎南スーダン日報問題」『ごまめの歯切り』2017年7月20日

https://www.taro.org/2017/07/%e5%8d%97%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%80%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%97%a5%e5%a0%b1%e5%95%8f%e9%a1%8c.php

 

[xl] 外務省・防衛省においては、定期的に記者ブリーフが行われているのだろうと思う。しかし、報道されていない以上担当記者ではない僕は知りようがない。内閣府PKO本部を含め、タイムリーな情勢報告はホームページ上には発見することができない。

わかりたい人のための加計問題 Part 5 特別篇その2

獣医学部新設に関する設置審の独立性

 

 以下のようなコメントもいただいた。これも大事なご指摘であると考えるので、本体部分で扱っておく。

・・・・・

大学勤務の経験があるものとして加計学園問題や前川氏の発言に無関心ではいられず、ブログを拝読いたしました。特区の議事録を読み込むうちに、大きな気がかりが生じてきました。先生はこのPartで、文科省の設置審が特区の選定とは別の次元で行われる筈と断定しておられますが、本当にそうなるのでしょうか? 私もつい最近まで特区では、文科省の「門前払い」が解除されただけのように判断していたのですが、告示をよく読むと、平成30年4月の開学はすでに内定とも解釈できるのです。ですから設置審では、助言や留保付きの指導はあっても、「不許可」はできないのでは? 前川氏がこの時期に問題の顕在化を図ったのは、告示によって設置審が無力化されることへの危惧だったような気がします。 告示は以下です。

http://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kokkasenryaku_tokku/2017011402.pdf

・・・・・

 僕も、全く同感である。設置審の審査が、政治的に影響されることを懸念している。前川氏がこの時期に本問題を顕在化させたのは、まさにそういうことなんだろうと推察している。

 

 山本幸三担当大臣も諮問会議民間議員、Working Groupの有識者委員も口々に、加計学園獣医学部新設に消極的だった文科省を批判している。彼らが今主張している理屈は、以下のようなものである。

 獣医学部新設が「日本再興戦略改訂」に盛り込まれた以上、新設に向けて前向きに検討するのが規制改革の基本的考え方である。従って、問題があるとすれば「規制担当省庁においてきちっとその正当な理由を説明する必要[i]」があり、石破4条件の最後の部分に「本年度内に検討を行う」との記述があることから、それは2016年3月までに行わなければならない。しかし、その期限までに、規制を担当する文科省側は獣医学部の新設が困難あるいは不適切であるという理由を説明できなかった。従って、この時点で獣医学部の新設は決定している。2016年度になって、京都府獣医学部の新設構想を相談してきたこともあり、内閣府としては延長戦として検討してあげたのだが、文科省は「ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的需要」を明らかにすることも、「近年の獣医師の動向」も明示できなかったので、11月9日に新設方針が決定した。

 しかし、この文科省に挙証責任があるという議論は全く成り立たない。このことについては郷原信郎氏が詳述する通りであるので[ii]、ここでは繰り返さない。あと知恵で構成した無理筋の理屈である。

 

 現在の懸念は、官邸や内閣府文科省にものすごい政治的圧力をかけており、官邸に幹部人事まで握られている以上、文科省としては従わざるをえないのではないかということであるが、その懸念は国家戦略特区法の仕組みによっても補強されるように見える。

 各特区ごとに具体的事業を推進する主体となるのは、各特区ごとに組織される国家戦略特別区域会議(「区域会議」)である。この区域会議のメンバーは基本的には国家戦略区域担当大臣と関係地方公共団体の長に限定され(第7条第1項)、これに当該特区で具体的に事業を行うことになる事業者が加わる(第7条第2項)。もちろん利害関係を有する省庁の大臣を構成員として加えることはできるが、それは「国家戦略特別区域担当大臣及び関係地方公共団体の長」が「必要と認める」場合に限られる(第7条第3項)。内閣府と地元自治体が合意しなければ、各省庁は区域会議に出席することすらできないのである。区域会議が決めた事項は内閣総理大臣の認定によって法的拘束力を持つものとなるが、関係省庁はその際に内閣総理大臣(具体的には内閣府)から協議されることになる。その際も「この場合において、当該関係行政機関の長は、当該特定事業が法律に規定された規制に係るものにあっては第12条の2から第25条までの規定で、政令又は主務省令により規定された規制に係るものにあっては国家戦略特別区域基本方針に即して第26条の規定による政令若しくは内閣府令・主務省令で又は第27条の規定による政令若しくは内閣府令・主務省令で定めるところにより条例で、それぞれ定めるところに適合すると認められるときは、同意するものとする。」(第8条第9項)と規定されている。要するに、規制法令を所管する省庁であっても、国家戦略特区の場合においては、内閣府と地元自治体と実際に当該事業をする事業者が決めた基準に合致すれば合意を拒否できないということである。

 本年1月4日付け内閣府文科省共同告示は、今回の決定に従って今治市の特区で獣医師養成系大学・学部を新設する構想であって、平成30年度に開設する1校に限られるものについては「当該大学の設置に係る同項の許可の申請の審査に関しては、大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る許可の基準第一条第四号の規定は適用しない」と記載している[iii]。大学の新設や学部の新増設に関しては、昭和51年に私学振興助成法により、私立大学に対する公費助成を行う代わりにその教育・研究の質を確保する観点から学部の新増設は基本的に認めないという方針がとられてきた。しかし、2000年代における総合規制改革会議における議論を受け[iv]中央教育審議会において、大学の質の確保を量的規制に係らしめるのではなく、設置審査の基準を告示以上の法令で定めることにより一覧性を高め、明確化を図り、こうしたあらかじめ明示された基準を満たしている場合については原則同意するといういわゆる「準則化」の方針が決定した[v]。これに基づいて平成15年に、審査の一般的基準に関する(設置審の)内規(「審査基準要綱」等6本)及び抑制方針に関する内規(「審査の取扱方針」等4本)など計11本を廃止して、最低限の基準として必要なものに限って大学設置基準や告示などが規定された。獣医学部は、医学部や歯学部と並び、こうした数量抑制方針の撤廃時においてもその例外とされたことから、文科省告示として明記された。今回は、この学部新増設の申請すらできないという規定を、1校のみに限り外すとしたのである。

 従って、国家戦略特区法第8条第9項が規定する同意義務は、設置審への学部新設の申請という点について発生するものであり、設置審の審査内容を拘束するものではない。審議会というものは、その事務局たる各省庁の意のままに動かされており、官僚機構の隠れ蓑、箔付けのための機関だと批判されることが多い。しかし、多くの大学関係者が実感しているように、設置審の審査は厳格に行われている。いじめではないかと思わされるほどたくさんの資料を何度も提出することを求められる。これがいやがらせではなく、厳格かつ独立して審査が行われるものと信じたい。

 ちなみに、僕はどちらかというと文部科学省は好きではなかった。通産省時代には仕事上直接のお付き合いはないが、先輩たちが生涯学習振興法といった法案折衝で「創造性のかけらもない規制墨守官庁」と揶揄していたのを側聞していたし、大学に職を得てからは副学長クラスでも平気で廊下で待たせる体質に怒りに打ち震える大学幹部の姿も見てきたからだ。しかし、北大を離れていろいろな私大の非常勤講師を務め、設置認可の準則化後設立された学生定員割れに悩む大学の現実を見るにつけ、「ダメなものはダメとハッキリ言え!」と応援しなければならないと強く思う。設置審で現在審査に当たっている委員におかれては、獣医学者としてのプライドをかけて使命を果たされることを期待している。

 

 [i] 衆議院内閣委員会・文部科学委員会合同審査会(2017年7月10日)における民進党緒方林太郎議員に対する山本幸三担当大臣の答弁

[ii] 郷原信郎ブログ『郷原が斬る』「加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊」2017年7月9日付

https://nobuogohara.com/

[iii] 「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る許可の基準」平成15年3月31日文部科学省告示第45

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_shiryou_s_2_3.pdf 

 

[iv] 総合規制改革会議「規制改革の推進に関する第2次答申」平成13年12月11日

[v] 中央教育審議会「大学の質の保障に係る新たなシステムの構築について」平成14年8月5日答申

ちゃんとわかりたい人のための加計問題-Part 4 (特別篇)

閣議決定である「石破4条件」に反する決定は違法か?

―閉会中審査で山本大臣が嘘をついたのは明白ではないか?―

 

1.タイトル変更

 「ちゃんとわかりたい人のための」と大見えきって書き始めた時には、僕自身この  問題のややこしさをちゃんと理解していなかったし、ここまで問題が拡大していくとも考えていなかった。「前川問題」というタイトルにしたのは、前川前次官に対して、①「政権が怖いし讀賣新聞にあそこまで書かれちゃってるのに筋を通してエライなあ」という意見と、②「『前次官』とはいえ、やってることは現在進行中の設置審での学部認可に影響するし、文書の真実性云々となると現職の高等教育局長と専門教育課を中心とする一部部局の職員の責任問題を直撃してしまうので、一発で政権を倒せるだけの材料がない以上、何してくれちゃってるんだろ?やるんだったら現職の時に体張って抵抗してくれよ。」という意見の両方が僕の周りにあって、どっちもあるなあと思いつつ、個人的には前川さんの筋の通し方もそれなりの正解だと考えるということを書こうと思っていたからだ。

 しかし、特区のことをあらためてきちんと調べてみると、いろいろ面白いことがわかってきた。僕は、特区については小泉政権時代の構造改革特区も含めて直接の担当をやったことがないけれど、一般的には法律とか制度の作り方はだいたい知ってはいるし、今話題の担当の面々は昔から知っている。テレビに出てくるコメンテーターの不正確な理解に基づくコメントが気になるから、それを補足するくらいのつもりだった。でも、調べてみると、文科省のいわゆる怪文書は、現在公開されている議事録をきちんとつなぎ合わせれば内容が本当であることを証明できるし、その後の展開も含めれば、行政学の官僚制研究とか政治過程論の意思決定研究の実証素材としてかつてないほど価値のあるものだと確信してきている。

だから、この連載のタイトルも「前川問題」を「加計問題」に変更する。ちなみに、前川問題についても、後日きちんと論じる予定である。

 

2.「石破4条件」を無視した決定の違法性

読者の方から以下のようなコメントを頂いた。

・・・・・

北村直人氏の発言を引用して「総理が決断さえすればどんな規制改革もできてしまう」という記述があるが、それは間違い。国家戦略特区法には基本方針を閣議で定め、総理はそれに従う義務が明記されている。「石破4条件」 はその閣議決定された基本方針(日本再興戦略)の一つなので、4条件を無視しての特区指定は違法。

・・・・・

 この指摘はこの問題のややこしさを象徴している。今回の問題は、特区の認定プロセスの議事録の多くが公開されており、事実関係を整理してした上で、この議論を整理するつもりであったので、この段階ではスルーするつもりしでいた。

 しかし、終盤国会において都議選をにらんだ与野党の駆け引きの中で、議論が過度に政治化し本質的な議論が見えなくなっていると感じる。ご指摘を受けたのは良い機会であるので、コメント欄でスルッと応対するのでなく、きちんと本体部分で議論しておくことにする。以下、現時点での国家戦略特区制度に関する僕の理解であり、事実誤認・間違い・勘違いはあり得る。この話について僕より詳しい人は、内閣府担当者含めてたくさんいるわけであるから、ご指摘いただければ幸いである。それが原稿段階のものをブログで公開する意味でもあるわけなのだから。

 

 この批判に対する僕の対応は、3つのレベルに分かれる。

① 「ご指摘の通り、適切でない」

 石破4条件は、アベノミクス全体の方向性をまとめている「日本再興戦略」に盛り込まれて閣議決定されたものなので、獣医学部の新設の可否はその4条件に合致するかどうかを吟味する必要がある。しかし、公開された議事録の中に4条件に関する吟味の経緯が書かれていない以上、特区指定が適切だったとは言えない。

 テレビの情報番組や新聞記事で扱っている議論は基本的にここまでである。この文章を最後まで読んでいただければわかるように、僕も基本的にはその通りだと考えているので、スーパーで買い物している時に話しかけてくるおばさまとか飲み屋で同席するおじさまに「そうだろう」と言われれば、「その通りですね」と返事をする。番組のコメンテーターを務めている場合でも残り時間じゃきちんとした説明はできないから、そう言う。

 しかしこれでは、そもそもの疑問である「違法かどうか?」に対しては答えていないことになる。

 

② 「国家戦略特別区域法上は、違法なことは何一つしていない」

 さて、もう少しプロっぽい議論である。今回ご指摘の内容は「国家戦略特区法には基本方針を閣議で定め、総理はそれに従う義務が明記されているから、閣議決定された文書の中に書いている4条件を無視しての特区指定は違法である」というものである。ここでの問題は「違法性」が認定できるかどうかである。違法性の有無が重要なのは、この問題を突き詰めていくとどんな疑獄事件に発展するのか、政策の当否だけなら大騒ぎする必要などないという意見があるからである。

 結論から言うと、国家戦略特区法上の瑕疵はなく、違法とは言えない。

 そもそも国家戦略特区法(以下「法」という。)が「基本方針を閣議で定め、総理はそれに従う義務を明記」しているという理解は、不正確である。法が「閣議で定め、総理はそれに従う義務を明記」しているのは「国家戦略特別区域基本方針」についてだけであり、そこには全体の手続き規定のようなものが盛り込まれているだけである。それぞれの特区における特定事業に関する意思決定は、特区ごとに設定される「区域会議」で行われる。「区域会議」も、それぞれ「区域方針」を定め、事業者を選定し、それに対する支援策を検討するのであるが、「国家戦略特別区域基本方針」とは異なり、「区域会議」が作成した原案を、総理大臣が認定すればそのまま法的効力が発生する。区域会議のメンバーは、内閣府と当該関係自治体の協議で決まるため、各省庁は出席して意見を述べることすら彼らの了解なしにはできない。(こうした制度の詳細は後日説明する。)

 確かに「石破4条件」は閣議決定された「日本再興戦略」に盛り込まれたものであるが、「日本再興戦略」は国家戦略特区制度も含めたアベノミクスの成長戦略の全体を俯瞰している文書であり、「法」には直接的な位置づけを持たない。従って、「法」の定める手続きに従って意思決定がなされていれば、「石破4条件」を満たしているかどうかという検討は必要的検討事項ではないことになる。この法律には経緯があるので、構造がややこしいのだが、現時点で新聞・テレビでコメントしている人にはきちんと理解しておられない方が少なくない。

 この点に関し批判を浴びているのが、民進党玉木雄一郎議員である。5月24日フジテレビ「ゆあたいむ」出演の際に、ゲストコメンテーターだった俳優の別所哲也氏から、今後文科省文書が真実だと確認され獣医学部新設に係る意思決定の経緯が明らかにされたとして「どこに違法性というものを感じているのか?」と問われ、「2015年の閣議決定違反が行われているかどうかです。違法性ではありません。閣議決定違反があったかどうかということです。」と答えざるを得なかった。

 もちろん、「日本再興戦略」が閣議決定文書である以上、国家戦略特区制度内での意思決定はそれを尊重する必要がある。厳密にいえば、「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。」と規定している内閣法第6条違反にあたる可能性がある。玉木議員自身も、6月14日BSフジ・プライムニュースに出演した時には、自民党下村博文議員や公明党斉藤鉄夫議員らとの議論の中で「内閣法第6条違反の疑い」と明言している。しかし、これではあまりにも弱い。現実の行政実務の世界では、厳密には閣議決定に合致しない意思決定などいくらでも見つけられる。更に、閣議決定の趣旨に反する決定のほとんども閣議決定されるため、当初の閣議決定文書を撤回することなく法的効果は上書きされると理解されている。もし今回の問題を内閣法第6条違反として裁判に訴えたとしても、政府は11月9日の国家戦略諮問会議決定を「閣議決定に準ずるもの」として閣議決定同等の効力を認定し、「日本再興戦略」の石破4条件を含む獣医学部新設に係る意思が区域会議での検討の結果、発展的に結実したものであって、法的瑕疵はないといった反論をするものと予想される。こういった政府の主張を裁判で否定する判決を得ることはほぼ不可能だ。何も間違ったことをしているわけではない。

 終盤国会から都議選に至る過程で、菅官房長官の記者会見での応答や安倍総理の発言が乱暴に見えるのは、こうした理解に基づいているからだ。

 

 ③ 「獣医学部新設認可に係る意思決定過程全体として見れば、十分に贈収賄の問題   を含めて違法性を構成する可能性を現時点では否定することができない。」

 しかし、ここで議論を止めてしまっては、自民党の応援団の議論にすぎない。今、国民の大多数が感じている「52年ぶりにたった1校だけがなぜ総理のお友達のところなのか?」という疑問に答えて、ある程度にせよ納得を得ることにはなっていないからだ。これでは真の自民党の応援団にすらなれない。

 小泉政権時代の構造改革特区制度が暗黙の前提としていた問題は、時代遅れの規制によって民間ビジネスが阻害されているというものであった。規制改革の世界では、「経済的規制」と「社会的規制」区別が議論されてきた。「経済的規制」は産業の健全な発展と消費者の利益を図ることを目的としているが、時代に合わなくなってきており原則廃止すべきであると考えられているのに対し、「社会的規制」は消費者や労働者の安全・健康の確保、環境の保全、災害の防止等を目的としており、必要最小限度という限定は付くとしても維持することが適当であるという区別である[i]。しかし、現実にはこの区別は曖昧である。特定事業者に超過利潤が生ずる状態をもたらす規制の維持という意味では事実上「経済的規制」とみなされるようなものであっても、一定の公的目的を兼ねており「社会的規制」でもあるというものは少なくない。そうした規制を改革してみて公的目的がどの程度害されるのか、あるいは社会の変化や技術の進歩により全く害されないのか、特定の区域に限って社会実験を行ってみようというのが特区制度の本来の趣旨である。

 しかし、今回の問題は単純な経済的規制の撤廃という問題ではない。本ブログにおいても、今後ワーキンググループのレベルでどのような検討が行われたかをきちんと検証していくが、これまでに書いたように、獣医学部の新設制限という措置が、養成される獣医師の質の維持という社会的規制なのか、それとも既存の獣医師養成系大学・学部に既得権をもたらしているだけの経済的規制なのかという議論は、少なくとも諮問会議と特区会議のレベルでは行われていない。文部科学省の当時の最高責任者であった前川氏は、文科省として石破4条件を加計学園の構想は満たしていないと主張していたにも関わらず、内閣府はろくな反論もしないままに押し切られ「行政が歪められた」と主張している。そうである以上、官邸及び内閣府側は出会い系バー通いなどという個人攻撃をするのではなく、4条件については文科省の主張を否定するに至った検討の経緯を堂々と示せばよい。それができずに個人攻撃を画策しているのでは、示せないからだと国民の不信感は増大するだけのことだ。

 安倍総理は6月24日の講演で、加計学園1校に限らず、今後どんどん新設を認める方向だと表明されておられるが、現時点では今年1月4日付の内閣府文科省共同告示により1校のみに限定されている。しかもこの1校は、全国から獣医師養成系大学構想を集めて比較検討した結果ではなく、今治市という特区に限定して認め、そこに設置する事業者を公募したわけであるから、今治市と二人三脚で長年にわたり構想を進めてきた加計学園をピックアップしたことに他ならない。しかも、加計学園の設立する獣医学部でどのような質の教育・研究が行われることになるかという審査は、今年の3月から設置審で行われているのである。

繰り返すが、国民の不信感の原因は加計学園に対するえこひいきがあったかどうかである。前川氏の指摘に対し、反論すべきなのは加計学園の学部新設を擁護する側だ。手続きに瑕疵がないと開き直っても不信感の払拭どころか、火に油を注ぐだけだ。

 

3.7月10日閉会中審査の議論で山本担当大臣の答弁は明らかに虚偽なのではないか?

 この後、国家戦略特区法の構造を詳細に分析し、その複雑な決定過程の中でどのような矛盾が生じているから記述していたが、読者からのコメントに対する決定的だと思われる答弁があったのでそれを先に指摘しておく。

 「石破4条件[ii]」は安倍内閣の方針であるから、それに基づき諮問会議の決定は引き写していれば、法律的に美しい形になる。山本幸三担当大臣は、繰り返し4条件を加計学園の構想が満たしていると考えているから手続きを進めていると述べている。そうであれば、諮問会議で日本再興戦略と同じ決定がなされるはずである。二つの文章を比較してみよう。

・・・・・

「日本再興戦略改訂2015」 2015年6月30日

⑭ 獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討

 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要があきらかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。

・・・・・

諮問会議 2016年11月9日決定

〇 先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置

・ 人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進や、地域での感染症に係る水際対策など、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するため、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。

・・・・・

 後者の成立過程での文書が流出しており、「広域的に」「存在しない地域に限り」という文言が追加されたことで、京都府京都産業大学が断念せざるを得なくなったとされ、注目を集めているものである。ここでは、経緯に関する文書の真偽は問わない。それは本問題の真の姿を明らかにすることにとっては極めて重要なのであるが、ここではこの問題が違法性を認定される可能性があるほど歪められた決定かどうかということを議論している。

 諮問会議決定を見ると、広域的という条件が追加されたこととともに、①「既存の大学・学部では対応困難な場合には」という条件と②「近年の獣医師の需要動向も考慮しつつ」という2つの条件に関する文言が削除されたことにも注意しなければならない。これにより、新学部の研究・教育内容が既存の獣医学部に優越する水準を確保することを証明する必要も、厳密な意味での獣医師の需給問題に対する検討する必要もなくなった。4条件を満たしているかどうか検討したのではなく、公式に4条件を緩和した上で検討を始めると決定したのである。

 今週月曜に開催された衆議院内閣委員会・文部科学委員会合同審査会におい山本幸三担当大臣は、民進党緒方林太郎議員から「この石破4条件は現時点で満たされていると思うか」と問われたのに対し、「当然そういう風に思っているから、11月9日の制度改正で獣医学部新設を認めることにしたわけでございます。」と述べた。

 4条件それぞれについて検討したのであれば、諮問会議決定は4条件をそのまま引き継げばよい。しかも、4条件を満たしていると判断して今治市に決めたというなら、4条件を満たしているかどうかの検討は11月9日以前に行われていなければならない。しかし、今治市がその特区の中で獣医学部新設を行う事業者を公募したのは、11月9日の決定に基づいて獣医学部新設を禁止していた文科省告示を改正する内閣府文科省共同告示が施行された2017年1月4日と同日付である。言うまでもなく、それ以前は50年以上獣医学部新設の申請を認めないという状態である。この公募に1月10日に加計学園が応募する。従って、内閣府今治市に学部を新設しようとする構想が具体的にどのようなものなのかは、公募が締め切られた今年の1月12日以前には知りようがないのである。

 山本大臣が緒方議員の質問に対して上記発言に引き続き、4分36秒にわたって4条件についてどのような判断をおこなったのかを延々と紙を読み上げる場面が何度も報道で流れていたが、全く失笑を禁じ得ない。2016年11月9日の諮問会議終了後、山本大臣は記者会見で以下のように述べているからである 。これについては前に引用したが再度掲載しておく。

・・・・・

問:獣医学部の設置についてお伺いいたします。

  今治市など複数の特区が提案を出していると思うのですけれども、どこを一番有力視してやっていかれるのでしょうか。

答:本件は、これから制度を作るのですけれども、限定された、獣医学部が基本的に広域的に存在しないというようなところを念頭に置くことになりますが、まず制度を変えて、それから具体的に申請等が出てくることになりますので、現時点ではどこがどうだという話は今のところはできません。

問:地域の選定のスケジュール感というのはどのようにお考えですか。

答:近々に制度自体は作るようにしますので、その後、区域からの申請を受けて、それからの話になると思います。早ければ年内にも申請という話になってくるのではないかと思います。

問:基本的には、今ある特区の中で選定していくというイメージで構いませんでしょうか。

答:特区の制度ですから、特区の中から申請を受けて検討します。

問:新たに特区を指定することを念頭においては。

答:今は、そこまでは考えておりません。

問:文科省の告示を変える必要があると思いますが、それは新たな特例の告示を出すというイメージなのか、それとも今ある告示を改正していくというイメージなのか具体的に検討されてますでしょうか。

答:今ある告示を改正することになるのかなと思いますが、正確には文部科学省に聞いてください。

・・・・・

 何のことはない、山本大臣は制度の内容を正確に理解し、これから検討すると言っているのである。この記者会見は11月9日の18時から5分間、官邸ロビーで行われたことになっているから、テレビ局は間違いなく動画を保持しているはずである。そもそも緒方議員が、なぜ山本大臣にご自身の記者会見との矛盾をその場で質問しなかったのか理解できないが、いまだにテレビ局が閉会中審査における大臣答弁とこの記者会見を比較して放映しないのかも理解できない。山本大臣は虚偽の答弁をしていることは明白ではないか。

 

 

[i] 八代尚宏「社会的規制改革の意義」 日本経済研究No.53 2006.1 本号は「社会的規制」に属すると考えられてきた改革に関する実証研究の特集号である。

https://www.jcer.or.jp/academic_journal/jer/detail202.html#8

なお、八代氏は長く規制改革会議のメンバーであったが、現在でもその後継組織である規制改革推進会議のメンバーであり、規制改革推進会議は国家戦略特区諮問会議と担当大臣レベルで統合されており事務局も含めて密接な関係を密接な関係を持っている。

[ii]石破氏自身は最近、これを「石破4条件」と呼ぶのは心外、安倍内閣の方針として閣議決定されたものであるから「安倍内閣4条件」と呼んでほしいとしている。ここでは今までの慣例でそのまま呼ばせていただく。

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20170706/Economic_75184.html

 

「とよまゆ」は準エリートか?

 自民党の元官房長官河村建夫衆議院議員が、豊田真由子氏の暴言・暴行報道に対し「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」[i]と述べたことが批判されている。もちろんこの発言は、ご自身のFacebook上で即日撤回されている[ii]

 テレビでは、官邸から帰るところで記者に答えている場面が放送されている。河村氏は党の党紀委員会の副委員長でもあるので、今回の問題への対処に関し説明してきたのかと思ったが、Facebookのコメントを読むとそうではないようだ。しかし、テレビ画面では豊田氏への同情のニュアンスが伝わってくる。思わずホンネが口をついて出たのだろう。

 僕には、河村氏のおっしゃる意味がよくわかる。党選対委員長は、自民党候補全ての選定を取りまとめる責任者で、新人候補から見れば雲の上の人だ。個々人とは深い付き合いがあるわけではない。それでも選挙の大先輩として新人候補の苦労は推して知るべしであり、同情的になっているのだ。

 選挙は「我こそは!」と自ら手を挙げるものである。学者や評論家は「出たい人より出したい人を」と言うが、現実の選挙は「出したい人」がすんなり勝てるほど甘いものではない。国会議員は立法こそが本来の仕事であるが、法律など読んだこともなく、行政の仕組みについても高校生程度の知識もない人も、議員バッチをつけさえすれば国政を動かせると信じ、人生一発逆転を夢見て集まってくる。いきおい自己顕示欲の異常に強い人の比率が高くなる。だから、変人列伝には事欠かない。

 既に鬼籍に入られた大物代議士が、車が渋滞にはまっただけで、運転している秘書を「なんでこんな道を選んで走っているのか?」となじり、靴を脱ぎその靴で秘書の頭を後ろからガンガン殴るという逸話を聞いたことがある。自分の秘書を殴るという噂の議員は十指に余るくらい知っているし、某省の部長を自殺に追い込んだという逸話のある議員もいる。その議員の決め台詞は「お前の人生をめちゃめちゃにしてやる」というものだった。当時の通産省ではそのくらいの暴言は日常茶飯事であったので、個人的には気にもしなかったけれど。

 河村氏の世代の暴言・暴力議員は大抵、地方名望家の御曹司だ。学校を卒業して、社会人経験はせいぜいファミリー企業の部長か役員を数年やり、親族か地元の国会議員の地盤を引き継いで若くして国政に出るというコース。その間に秘書経験があればまだよいが、皆無という人もめずらしくない。田中真紀子氏もこのカテゴリーに入る。この手の人は、そもそもが普通の人ではない。「若、ご乱心」が漏れないのは、先代の番頭だった古参秘書ががっちりガードしているからで、たいていは歳を重ねて人格も丸くなってくる。

 小選挙区制の今、こうした人はほぼ絶滅している。特に豊田氏のように公募で地縁も血縁もない場所で選挙に出る人は、それなりに苦労する。それでも「魔の2回生」と呼ばれるように、小選挙区では個人の資質ではなく党への評価が投票行動に決定的な影響を与えるから、個人の資質で選別が進むのは、個人がそれなりに知られるようになってからになる。小泉チルドレン小沢チルドレンもそうして選別が進んでいる。安倍チルドレンも同じことだ。

 

 ワイドショーでは、多くのコメンテーターが、桜蔭高校、東大法学部、厚生省キャリア、ハーバード大学院というキーワードに注目して、「自分が頭良すぎて、周りの人がバカに見えちゃうんでしょうね」とか「順風満帆のエリート人生で人間的に何か欠如してしまっているんでしょうね」とまとめている。

 しかし、これはちょっと待ってほしい。どこのグループにも、変わった人はいるものだ。「お勉強できすぎると人格悪くなるのね」という結論は短絡的すぎる。「勉強なんてできても社会では役立たないぞ」、「勉強できるのと、頭がいいのは違うぞ」、「不良は本当はいいやつで、ガリ勉は嫌味で人間味のないクズ」そうした言葉が、あまりにも安易に「勉強できる子」に投げかけられる。学園ドラマじゃ、勉強できる子は性根が腐った嫌なやつで、ヤンキーや落ちこぼれは本当は心根の優しい少年・少女と相場は決まっている。

 これって本当だろうか?ヤンキーの中にも、仁義に篤い立派なやつもいれば、とことん性根の腐ったやつもいる。逆に勉強できる子の中にも、いいやつもいれば困ったやつもいる。その比率は多少違うかも知れないけれど、そこの社会にもいいやつもひどいやつもいるだけのことだ。「ヤンキー先生」だって、今じゃ正論なんかこれっぽっちもはかない中間管理職の悲哀そのものじゃないか。この辺りは、ちょっと前に流行ってた前川ヤスタカ氏の『勉強できる子 卑屈化社会』(宝島社 2016)[iii]に詳しい説明がある。

 22日の読売テレビ「ミヤネ屋」に出演した弁護士の住田裕子氏が、「超じゃない、準エリートくらい」と発言している[iv]。「本当にそこ(厚生省)に入りたかったのか。本当に福祉をやりたかったのか私は疑問です」と述べたうえで、経歴の画面を見ながら「その道のりを見ても、次官コースの超エリートではない。(なので)どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのではと、同じ東大だから思うんですけど」とし、「順風満帆に見えつつ、内心ではたまりにたまったものがあって、選挙も必死なのでドブ板やって、だからちょっとしたミスでもああやって八つ当たりしてるんだなって」というのが住田氏の感想だ。

 「次官コースでない」と判断するのは合併官庁のことでもあり一応疑問が残るが、全体としてはおおむね当たっていると思う。厚生省には、成績上位者が結構集まる。僕の周りでも、極めて優秀で厚生行政がやりたくて厚生省に入った先輩もいるし、公務員試験の成績が3番くらいで厚生省第一志望の同期もいた(そいつは結局大蔵省に行ったけれど)。厚生省の人は、文部省の人と似ていて、よく言えば誠実、悪く言えば鈍くさいイメージの人が多い[v]。これは組織の文化のようなものであって、良し悪しでも優劣でもない。制度の安定運用を担う組織と、経産省のように多動性が命の組織の違いである。でも、厚生省に多くいる人は性格が優しいので、通産省経産省)に入ってしまうとたいてい「いじめられっ子」になってしまう。通産省は、いじめっ子文化だからだ。だから、豊田氏も通産省に入っていれば、そんなに歪まずにすんだのかもしれない。

 いずれにせよ、今回の事件をステレオタイプ化して理解してはいけない。豊田氏の問題は彼女自身の問題であり、彼女自身が背負うべきものだ。

 

[i] http://www.asahi.com/articles/ASK6Q619TK6QUTIL04B.html

 

[ii] https://www.facebook.com/takeo.kawmaura

 

[iii] https://www.amazon.co.jp/%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%AD%90-%E5%8D%91%E5%B1%88%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E5%89%8D%E5%B7%9D-%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%AB/dp/4800259436/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1498418288&sr=1-1&keywords=%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%AD%90%E5%8D%91%E5%B1%88%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A

 

[iv] https://www.daily.co.jp/gossip/2017/06/22/0010304713.shtml

 

[v] ここで「厚生省」「文部省」というのは、合併することになる「労働省」や「科学技術庁」とは明らかに文化の差があったからだ。

「とよまゆ」伝説

 今日発売の週刊新潮が、豊田真由子衆議院議員の秘書の告発を書いている。僕の住んでいる北海道では、最近やっと金曜日発売になったが、それまでは土曜日発売。しかも、悪天候で船やJRのダイヤに乱れがあれば日曜どころか翌週発売になることもしばしば。いまだに離島扱いかと悲しくなる。従って、現時点ではこの記事の内容についてはネットで見る以上の情報は知らない。しかし、この音声を聞けば誰でもこの人物の異常さが一瞬で理解できるだろう。今回告発した秘書の方には心よりお見舞い申し上げる。

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/06211700/?all=1

 この人物は、昔から超の字がつく有名人だった。ボストン時代、もう博士課程も中盤に入り、comprehensive examとかfield examとか言われている試験の準備をしていたころ、同じFletcher Schoolの後輩から「宮本さんって豊田さんとどういう知り合いなんですか?」と聞かれたことがある。その後輩は、ある官庁からの留学生で博士課程進学して学者に転身することを希望していたので相談に乗っていた。当時の僕には、豊田真由子なんて名前すら聞いたことのない人物だった。聞けば、HarvardでもSchool of Public Healthに留学している厚生省の人だという。その彼女が僕のことを罵詈雑言言っているとのこと。正直驚いた。こちらは芸能人どころか有名人ですらない。見ず知らずの人に言われる筋合いなどない。ちょうど彼女たちの学年が卒業する間際の時期でHarvardで大きなパーティーがあり、その席に同席した別の後輩に豊田さんを紹介してもらった。

 なぜ、僕のことを知っているのか?僕がいろいろ彼女のことを中傷しているということだが、自分には全く身に覚えがない。そもそも見ず知らずの人の悪口など言いようもないし、聞くところによるとどう見ても僕の話ではない(僕はHarvardでもKennedy Schoolの人と理解されていた)。文句があるなら直接言えばよいし、僕の名前を使って誰かの悪口を言っているならその人との関係も悪くするだろうと質問した。

 豊田さんは、その2年近く前、ボストンに留学してきたころに一度、どっかのパーティーで僕にあったことがあるのだという。その同じパーティーで、僕と同じ通産省からHarvard Law Schoolに留学していたH君にそっけなくされたのがカチンと来たらしい。その後のH君に対する恨みつらみは、聞いていて情けなくなるほどくだらないのだが、彼の言い方にもとげがあったかのかもしれない。僕は、「H君はいいやつだよ。そういう人ではない。霞が関の住人として今後もいろいろお付き合いもあるだろうから、ちゃんと紹介してあげる。誤解を解いておくといいよ。」といったら素直に納得してくれた。

 それにしてもH君でなくて、なんで僕なのか?それを聞くと、彼女は「だって、その日の日記に宮本さんって書いちゃったからし、お母さんとの電話でもそういっちゃったから」と言うなり、みんなの前でめそめそ泣きだしたのである。要するに、宮本君でなくてH君の話だということは本人も2年前から理解していたということだ。それなのに2年間、ことあるごとにH君の話を僕のこととして吹聴していた。そもそもH君に言われたことというのは豊田さんの説明を聞いても、なぜ罵詈雑言につながるのか理解不能だったから、H君にしてもいい迷惑。それにH君はLaw SchoolでKennedy Schoolでもない。めちゃくちゃである。

 この豊田さん、東大法学部出身にしては珍しくSchool of Public Health。なぜ?と聞いたら、「厚生省で障害者福祉の仕事していた。年金、保険、医療・薬務と政策別に局があって、子供には児童家庭局、老人にも老人保健福祉局があるのに、障害者に対しては大臣官房に障害保健福祉部があるだけ。老人は選挙に行くから重視するけど、障害者は選挙にも行けなくて政治の世界でも冷遇されている。だから、厚生省に働く自分が頑張らなきゃと思った」とのこと。ふ~ん、何と志の高いことかと感銘を受けた。

 ところが、その話をKennedy Schoolの後輩君にしたところ、「だまされちゃいけませんって」と全否定。彼女はHarvardに留学したとたん、School of Public Healthの寮が狭い、汚いと大学当局に強烈にクレームねじ込んで大騒ぎ。確かに学校はHarvardでもCambridge側でなく、病院群が集中するBostonの西側のはずれ、そこを過ぎると極端に治安の悪くなるDowntownにある。アメリカによくある公園みたいなキャンパスではないのだが、寮は東京じゃ普通のマンション。もちろんオートロックの個室、バストイレ完備。その建物には友人を訪ねて何度か行ったことがあるが、格安で汚くもない。でも、豊田さんにはご満足いただけなかったようで、次の学期から、Kennedy Schoolが持つ寮の障害者特別室に引っ越したのだそうだ。「障害者福祉政策を志す人が、障害者特別室に入るなんて気まずいんじゃないの?」と聞くと、「そういうの気にしないのがあの人なんですよ。Public Healthの学生だけじゃなくて、Kennedy Schoolの学生もたくさん呼んで、バリア・フリーで広くて便利ってのを自慢してましたよ。」とのこと。

 ネットで拾うだけでも、「とよまゆ」伝説はいくつも見つかる。お付き合いの少ない僕ですら、ボストン時代の話に限っても、ここには書けない話をいくつか知ってる。自民党埼玉県連は、公募の際にちょっと調べりゃこんな話はいくらでも見つかったはずだ。2012年初当選組にはゲスいやつが多すぎる。有権者をなめていると痛い目に合う。

 今日は不愉快な話を読んじまった。僕は、日記でなくて、ブログに書いておこう。電話は誰にもしないから。