稲田朋美防衛大臣を辞任に追い込んでも解決しない問題 ―小野寺新防衛大臣に問うべきこと―

 0.時効の中断

 加計問題で、立証責任問題についてコメントを頂いている。7月10日の閉会中審査における審議、特に参議院での青山繁晴議員の議論の詳細を分析しておく必要があると考えていたが、議事録が参議院のHPにアップされたし、7月24日及び25日の衆参・予算委員会での審議も分析したうえで、近日中に議論する。

 

1.稲田大臣への集中砲火で見えなくなっている問題の本質

 国会を含め最近のもう一つの焦点は、稲田朋美防衛大臣の日報隠蔽了承疑惑だ。さんざん議論し時間も労力も消費して上で、稲田大臣の辞任という結末。現時点では前大臣の閉会中審査への出席も自民党は消極的ということだから、このまま幕引きとなる可能性がある。結論から言うと、稲田氏個人の問題は既に明らかで、2月13日に報告を受け隠蔽を了承していたことにはほとんど疑念の余地がないから、これ以上議論するのは時間の無駄だ。稲田大臣の記者会見や国会での答弁の迷走には、弁護しようがない。そもそも都議選での応援演説における「自衛隊防衛省防衛大臣としてもお願い」発言で、その直後(北海道内でしか放送されてないけれど)ラジオでもコメントした通り、一発罷免相当だったと考える。

 しかし、問題の本質は何も解明されていない。何が問題なのかが分析されていないから、それに対する対処も取られていない。記事や有識者のコメントのまとめの部分に断片的に出てくることがあるが、まともな対策を考えるなら総合的に分析しなければならない。南スーダンの治安情勢が悪化しPKO五原則の前提が崩れたと判断しうる状況が生じたのなら、素直に情勢を報告し部隊を撤退するという判断ができなかったのか。治安情勢の悪化に直面する現地展開部隊の客観的報告を共有して、引き続きとどまって活動するかどうか、更に「駆けつけ警護」といった新たな任務を付与するかどうかを政治プロセスの中で判断するという当たり前の意思決定過程が機能していないのか。

 シビリアンコントロールとは何よりもこうした手続きの問題である。大臣が知っていたかどうかに矮小化されて良い問題ではない。

 

 

2.「21世紀のPKO」の厳しい現実

(1)「保護する責任」

 言うまでもなく我が国の場合、憲法9条が武力の行使などを「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めていることから、国連PKOへの参加についてもおのずから制約があるのであって、具体的には以下の5つの基本方針を堅持することされており、国際平和協力法にこれを反映する規定がある[i]

・・・・・

① 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること

② 国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。

③ 当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。

④ 上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。

⑤ 武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

・・・・・

これがいわゆるPKO5原則である。

 しかし、21世紀の国連PKO活動は、国連軍は最初から紛争の一方当事者になる可能性を覚悟している。1994年のルワンダ内戦において、最後まで残った旧宗主国のベルギー軍司令官からの増派要請を無視し、Peace Keepingなのだから部隊兵士の命の危険はかけられないと撤退した各国の行動が、大虐殺を十分予想しながらみすみす発生させてしまったことは関係者にとってトラウマになっている。そのために1999年以降「保護する責任(Responsibility to Protect)」という概念が生み出されたのだ[ii]。現代では、多くの市民は戦争によって殺されるのではない。市民を守るために存在するはずの自ら属する主権国家によって拷問され虐殺されたり、主権国家が破綻する中で正規軍やその反乱軍たる部隊によって殺傷されたりする人数の方がはるかに多い。主権国家はもちろん人々を保護する責任を伴うが、その国家がそうした責任を果たせない時には、国際社会がその責任を果たさなければならない。国際社会の人々を保護する責任は不干渉原則に優先すると考えるのである。

 したがって、国連でのPKOの実施及び参加部隊の派遣国の派遣意思決定時点において、関係者の停戦が成り立っていたとしても、その後の状況変化により住民の生命に危険が及んでいる場合には、たとえ内戦の一方当事者に加担しているように反対当事者から見えるような状況においても、武力行使が必要になることは覚悟しておかなければならない。PKO部隊に参加しておいて、武力衝突の危機が迫ってきている時あるいは現実に武力衝突が発生してしまった時に、「憲法9条がある我が国は、武力行使と一体となる行為には加担できないし、そもそも派遣している部隊は道路整備などの施設部隊だから、徹底させていただきます。」などという言い訳は、「国際社会からバカにされる」などといいう生易しいものではなく、一般市民を見捨てる行為にほかならない。そもそも治安に不安のある地域で軍の施設部隊が整備する道路は、何よりも武器、弾薬、兵員輸送に使用するものであり、施設部隊(工兵隊)は派遣部隊(Peace Keeping Force)の一体的一部である。銃弾が飛び交おうとミサイルが飛ぼうと、おいそれと危険にさらされる住民をおいて撤退するわけにはいかない。「停戦合意が成立」していると判断することが疑わしい状況になってきている場合や、部隊が「特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守」していては民間人が目の前で殺傷される場合においては、法的疑義は生ずるとしても現実にはある程度の区切りまでは持ち堪えなければならないのだ。

 

(2)「治安情勢変化」を理由とする撤退

 2011年9月の南スーダンの独立は、長年にわたるスーダン情勢の解決として国際社会から暖かく迎えられたことだった。これに先立つ7月、国連安保理がUNMISS(国連南スーダン派遣団:United Nations Mission in South Sudan)の派遣を承認し、国連が日本に部隊の派遣を要請した時点では、停戦が実現されていた。潘基文事務総長から要請を受けたのは菅直人総理であり、実際に派遣を決定したのは野田内閣であるから、民進党もこうした事情は十分承知している。それでも民進党が強気なのは、南スーダンを含めた9回の自衛隊PKO派遣の歴史の中で、ただ一度だけ治安悪化を理由として撤収を決断したことがあるからだ。2012年12月の中東、ゴラン高原におけるUNDOF(国連兵力引き離し監視軍:United Nations Disengagement Observer Force)からの撤退決断である。

 第4次中東戦争後、ゴラン高原におけるイスラエルとシリアの停戦監視を行うため、UNDOFの活動は1974年から行われており、日本は1996年以降部隊を派遣していた。国連PKOの歴史の中でも長年安定した治安情勢を維持してきた活動であり、ゴラン高原への派遣経験を持つ隊員が、その後別のPKO等の重要任務を遂行する例があったことから「PKOの学校」と部隊内で呼ばれていた[iii]。しかし、アラブの春の余波がシリアに及ぶと、強権的なアサド政権への抵抗運動に端を発し国内は内戦状態となり、2012年秋にはゴラン高原付近の治安情勢も不安定になっていた。防衛政務官であった参議院議員大野元裕氏は、元々中東の専門家であったこともあり現地で情報収集し情勢変化を確認した。これを受け、「日に日に(現地の)情勢は厳しくなっており改善の兆しが見られない」(森本敏防衛大臣、2012年12月18日記者会見[iv])とし、隊員の安全確保が困難として、12月21日に2013年3月末までの派遣期間の終了を待たず撤収することを閣議決定し、13年1月に撤収を完了した。この決定は、自民党とも調整済みであったが、国連は現地で活動を続けていたことから「国際社会は歓迎しない」(政府筋)と懸念する声もあると伝えられていた[v]。しかし、こうした異論は、自衛隊撤収直後に治安情勢は更に悪化し、翌年には主力であったオーストリア軍も撤退することとなり、収束することになる。

 2012年当時、陸上自衛隊では輸送部隊44人とUNDOF司令部要員3人が活動していた[vi]。そもそもUNDOFはイスラエルとシリアの停戦合意監視であり、個人的にはなぜシリア国内の内戦がイスラエルとの国境地帯であるゴラン高原の治安悪化につながるのか疑問を持っていた。旧日本陸軍陸上自衛隊のOB会の発行する雑誌に撤退時の派遣部隊指揮官のインタビューが掲載されているが、Damascus市内の反政府派鎮圧のためにアサド政権軍がサリン等の化学兵器を使う可能性があり、その場合Damascus市内から40キロ程度の場所に駐屯している派遣隊員の生命も危険にさらされることも一つの考慮要因だったようである[vii]。このインタビューでは、PKO5原則に基づき個人防護用の最小限の武器しか携行できず、装甲車すら武器に当たるとされ装備されず、輸送任務に際しても防弾車両がない現実に対する素直な怒りと、任務途中で撤退する口惜しさや他国部隊との関係で撤退手続きが極めてデリケートな問題であることが吐露されている。

 

(3)南スーダンを巡る情勢

 今回の南スーダンのケースにおいては、撤退判断は更にデリケートだったはずだ。南スーダンの治安情勢の変化について日本語で詳細をまとめたものは、外務省・防衛省のホームページを含めてネットでは見つからない。情勢は昨年7月に激しい内戦状態となった後、いったん沈静化するかに見えたが、引き続き散発的な戦闘は収まっていない。大量に発生した避難民に対する保護が必要となる一方で、更に治安回復を名目とした政府軍兵士による多数の検問所の設置により人道的活動に対する制約も厳しい。そもそも報道機関の退去や放送設備の強制終了などが行われたたために、現地情勢の把握も困難な情勢が続いている。

 古代にさかのぼる歴史を持つスーダンは、北部の乾燥地帯と南部の熱帯地帯とで相当な環境差があるが、1899年以降英国とエジプトとの共同統治が行われ南北を分断する統治が行われてきたことから、1956年の独立後もアラブ系民族でイスラム教徒の世界である北部と南部の非イスラム民族との対立が続いてきた。1980年代に南部で石油が発見されたことが対立を一層深刻化させる、非イスラム民族においても部族間の対立が深刻化した。スーダンにおける石油開発の歴史は、独立直後の1959年イタリアのAgipが地質調査を開始したことに始まる[viii]。当初、紅海の沿岸地帯が有力とみられたものの発見できず、1974年にやっとChevronがPort Sudanの南東120キロ地点でガス田を発見したものの石油は発見できなかった。このため調査の中心は南部および南西部に移行し、Chevronは1979年に南西部のMuglad盆地、1981年南東部エチオピア国境に近いMelut盆地にAdar-Yale油田を発見する。しかし、この地域の埋蔵量は小規模と考えられたことや治安悪化の中で1989年にイスラム強権体制を目指すバシール(Omar al Bashir)政権が成立しその人権侵害に対する批判が国際的に集中したことから、欧米企業は撤退しChevronも1990年に撤退する。Adar-Yale油田の開発権は1997年にスーダン企業に引き継がれたが2000年中国との合弁でPetrodar Operation Company(PDOC)が設立される。その後の調査によりAdar-Yale油田だけでは輸出のためのパイプライン建設が引き合わないとされたことから、Muglad盆地の地質調査が強化され、両地域から算出される石油はKharoumを経由して紅海に面したPort Sudanから輸出される体制が形成された。スーダンの石油開発は、発見こそ欧米企業であるが、育てたのは中国である[ix]

 バシール政権下のスーダンでは内戦が続き、特に2003年から続く西部ダルフールにおける紛争は2年間で40万人以上が殺害されるという民族浄化を伴う闘争が進行した。この紛争は現在に至るも解決されていない。オサマ・ビン・ラディンも1991年からアフガニスタンに出国するまで5年間、その拠点をKharoumに置いていたように[x]スーダンは様々なテロリストの温床を形成する破綻国家の典型例である。南北対立を停戦させた2005年の包括和平合意(Comprehensive Peace Agrement : CPA)では、当初南スーダンの独立は選択肢の一つに挙げられたに過ぎなかったが、南スーダン石油資源開発のためにアメリカがテロ指定国家解除をちらつかせてKharoum政府に独立を認めさせた[xi]南スーダンの独立は住民投票の結果であり、圧倒的多数を以て独立が決議され、これを国際社会が承認した形になっているが、その背後には大国の石油を巡る利害対立がある。

 21世紀に入り、アメリカにおけるショールガス開発が商業的に成功したことに隠れてしまっているが、世界中で石油資源探査が進み、これまで知られていた中東や北海油田以外にもロシアや南アメリカでも埋蔵資源が多量に確認され、国際政治地図は一変した。アフリカにおいても、西アフリカのナイジェリアやアンゴラ、サハラのアルジェリアリビアといったOPEC加盟国ではなく、2005年以降東アフリカ大地溝帯に沿って、ウガンダケニアでも油田が確認されている[xii]。こうした油田を発見しているのは英国Tullow Oilの探査チームであるが、その背後には東シナ海日中中間線天然ガス開発を推進する中国海洋石油総公司(China National Offshore Oil Cooperation: CNOOC)がいることは忘れてはならない。東アフリカの石油開発の問題点は輸出方法であり、ケニアのLamuまたはMombasa、あるいはタンザニアのDar es Salaamといった港までのパイプラインを建設することが必要になる。しかし、国際パイプライン建設は政治的には容易なことではない。南スーダン原油生産は、このまま新規発見がなければ減退により10年程度で生産が半減する見通しと言われる[xiii]ウガンダで石油開発を進めるTotalが南スーダンの新規有望鉱区の開発を進めているが、その場合Kharoumを経由するのではなくウガンダからケニアを抜けるルートに接続できれば南スーダンの石油開発の展望は広がることになる。

 このように、南スーダン独立の背景は複雑である。独立してイスラム教徒の影響は一応排除されたものの[xiv]、民族対立は残った。今回も対立は、最大の民族であるDinka族のSalva Kiir大統領と二番目に人口の多いNuel族のRiek Machar副大統領の対立である。Macharは独立時に副大統領であったが、2013年7月に突然解任され首都Jubaから逃亡する。Kiir大統領は後に、彼がクーデターを計画していたと告発し、本人はこれを否定するが、これをきっかけに両派間で武力対立が発生し、数万人が殺害され、数百万人が難民となる内戦となる[xv]。そのMacharが、Kiirと講和し、平和合意(the Agreement on the Resolution of the Conflict in the Republic of South Sudan :Peace Agreement)に基づき、副大統領に再指名され2016年4月にJubaに戻ってきたのである。Kiir-Machar体制で国家統一移行政府(Transitional Government of National Unity)が設立されたが、治安維持機構の改革やJubaの軍政から回復といった問題は何も解決されていなかった。

 こうした南スーダン情勢は、BBC等のメディアでは連日報道されていた。僕自身もアメリカのニュース局のラジオをよく聞いているので関心を持っていた[xvi]。しかし、断片的な報道では全体像をつかむことはできない。現在分かっているところによれば、Marchar着任後Juba市内でも7月までいくつかの小競り合いが報告されており、国連施設の位置するエリア近くでも銃声が聞こえていた[xvii]。しかし、7月7日の両派の衝突をきっかけとして、大規模衝突に突入した。衝突は11日までに大統領派がJubaの大部分を制圧したことにより安定化し、Kiir大統領は一方的に停戦を宣言し、Marcharもこれを追認する声明を発した。しかし、その後2週間、大統領派は副大統領派掃討作戦を実行し、Marharは支持派とともに逃亡した[xviii]。8月1日にはKiirは国家移行立法議会(Transitional National Legislative Assembly)で演説し、和平を再度誓うとともにそれまでに頻発した性暴力に対し全く認めない(zero tolerance)姿勢を宣言した。こうした7月における一連の衝突の経緯及びそれに伴う非人道的行為についてはUNMISSが国連人権高等弁務官事務所the Office of United Nations High Commissioner for Human Rights (OHCHR))と共同で今年1月の報告書にまとめている[xix]

 この報告書で注目すべきところは、国連PKO軍が管理する民間人保護サイト(the UNMISS Protection of Civilians (PoC) sites)に現地住民が多数避難してきていたが、これが狙い撃ちされたとされていることである。大統領派(Dinka族)と副大統領派(Nuel族)の間に民族対立があり、意図的な民間人(Nuel族)を標的とする攻撃が行われたことが認定されている。こうした大統領派(SPLA)による攻撃は、市内各地で行われただけでなく、国連PoCサイト内に対してもロケットランチャー(rocket-propelled grenade:RPG)や迫撃砲を用いた攻撃が執拗に繰り返され、11名の女性、17名の子供を含む53名が殺害され、49名の女性、50名の子供を含む234名が負傷した。その他、市内での殺傷の報告は多数あるが、Juba郊外の少なくとも6地区で家屋、ホテルをしらみつぶしに捜索しての市民への殺害行為が行われたと認定されている。7月の衝突でKiir大統領は300名以上の兵士が殺害されたとしか発表していないが、民間人の死者はそれをはるかに上回ることは明らかである。更に11日の大統領派による市内大部分の制圧後も、国連PoCサイトに避難した民間人が食料や薪の調達のためにサイト外に出ることを狙い撃ちしした攻撃や女性に対する性暴力事案が多数発生していた。

 8月以降の治安情勢についても、国連安全保障理事会へのUNMISSからの定期報告がまとめられているが、情勢がどの程度安定しているかを認定するのは容易ではない。少なくとも7月の大規模衝突のような事態は発生していないものの、治安情勢は不安定なままであり、UMMISSの活動が困難になっていることも報告されているが[xx]、参加60か国以上の部隊の中で治安情勢の悪化を理由として撤退を検討しているという報告はこの時点ではない。しかも、南スーダン政府軍と衝突したMacharとその一派(force)は、少なくともJubaから、Marcharと幹部は国外に逃亡しているのであるから、治安情勢はある程度回復されたと判断することは間違いとは言えないだろう。

 自衛隊は、UN House地区の司令部に司令部要員も派遣しているが、人数として大部分である施設部隊の宿営地は北東部のTomping補給基地にある[xxi]国連PoCサイトはTomping基地周辺に3つあり、そのうち2つが攻撃されたのであるから、7月の攻撃は自衛隊PKO部隊宿営地のすぐそばであったはずである[xxii]自衛隊の名誉のために言っておけば、治安維持は自衛隊(施設部隊)の任務ではない。独立国である南スーダンの治安維持に関する責任は、一義的には南スーダン警察と南スーダン政府軍にあり、UNMISSの部隊はこれを補完するものであり、具体的にはUNMISSの歩兵部隊の任務である。UNMISSにおける日本の自衛隊の役割は道路や避難民向けの施設整備及び物資輸送であって、住民保護ではないから、PoCサイトへの攻撃に対する反撃及び抑止は自衛隊の任務ではない[xxiii]。実際にUNMISS司令部から自衛隊に対する出動要請はなかった。法制上は、むしろ「南スーダン国際平和協力業務実施要領」の「部隊長等は、状況が隊員の生命又は身体に危害を及ぼす可能性があり、安全の確保のため必要であると判断され、かつ防衛大臣の指示を受ける暇及び事務総長等と連絡を取る暇がないときは、国際平和協力業務を一時休止する」との規定に基づき、宿営地内にこもることが求められており[xxiv]、その通り行動したのである。

 しかし、UNMISS部隊の宿営地近傍、数百メートルしか離れていない場所で民間人殺害や性暴力行為が数多く行われ、更に人道援助活動を行う国際NGOの職員まで襲われているのである[xxv]。それなのにUNMISSの歩兵部隊は、悲鳴と言える救助要請を無視し、何も対応しなかった。8月末を過ぎて治安情勢が一定の安定を見た段階以降で、日本として「自衛隊の施設部隊の近傍でNGO等の活動関係者が襲われ、他に速やかに対応できる国連部隊が存在しない、といった極めて限定的な場面で、緊急の要請を受け、その人道性及び緊急性に鑑み、応急的かつ一時的措置としてその能力の範囲内で[xxvi]」いわゆる「駆け付け警護」の新任務付与の必要性を検討するのは、極めて自然なことだと言わざるを得ない。

 

(4)自衛隊PKO部隊の撤退を判断する基準

 南スーダンPKOへの自衛隊部隊派遣が問題となっているのは、7月段階で治安情勢が極度に悪化し内戦状態に突入していたのではないかということである。PKO5原則の1番目の「紛争当事者の間で停戦合意の成立」という条件が崩れているのではないか。そうであれば、本来は撤退を決断しなければならない。しかし、現実には日本政府は撤退を決断せず、10月25日に部隊派遣継続を決定し、11月15日には「駆け付け警護」等の新任務を付与することを決定した。こうした判断は、国民的な議論を生んだ集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制の改正により自衛隊PKOに新設された新任務を付与した実績を作りたいという政府の政治的思惑に基づいており、「停戦合意が崩れている」という事実を歪めた決定なのではないかという批判を受けているのである。

 7月以降、断片的な銃弾の飛び交う衝突は国際的には何度も報道されていた。そうした情勢を総合的に判断して、8月以降も自衛隊の活動するJuba及びその周辺における治安はPKO活動を継続できるほどに回復したと言えるのか、更に「駆け付け警護」を行うとしても日本のPKO協力部隊、しかも施設大隊の保有する装備で隊員の安全は確保できるのかといった問題について判断する必要がある。日本政府は、派遣継続を決断した10月25日の段階において、「治安情勢が厳しいことは十分認識している」としながらも、「世界のあらゆる地域から、62か国が部隊等を派遣し」ており、「7月の衝突事案の後も、部隊を撤退させた国はない」と説明している[xxvii]

 しかし、11月に入りケニア軍が徹底したことで、話がややこしくなる。この撤退は、UNMISS司令官であったケニア軍のGeneral Johnson Mogoa Kimani Ondiekiが7月の衝突事案への対応に際し指導力の欠如、準備不足、指揮命令の混乱などの責任を問われ解任されたことへの抗議とケニア政府は説明している[xxviii][xxix]。しかし、日本の一部マスコミからは「ケニア軍は危険すぎるとして撤退したのではないか」と指摘されている。更に、11月30日付けで、UNMISS国連事務総長特別代表を務めていたデンマークの外交官であるEllen Margrethe Løjが退任して空席になったとも報じられた[xxx]PKOミッションにおける国連事務総長特別代表とは、国連事務総長に成り代わり軍事オペレーションも含む当該ミッションの全てに権限と責任を持つポストである。Løj の退任により特別代表と軍事部門の統括司令官の両方が空席になった。もともとLøjの任期は8月末までであったが、7月の武力衝突事案を受けて本人の希望により事態の鎮静化まで任期を延長していた。「12月になっても後任が決まらないのは「危険すぎる任務として誰も引き受け手がいないからではない」という指摘がされたのである。ただし、国連事務総長は12月13日付でニュージーランドのDavid Shearerを特別代表に任命した。Shearerは、長く国連でキャリアを重ねており、イラクレバノンパキスタンアフガニスタンといった国連PKOミッションでの活動経験を持つ。直前まで務めていたニュージーランド下院議員を2016年12月末で退任するため、指名がこの時期まで遅れたというのが国連の説明である[xxxi]。この部分は、日本のマスコミは報道していない。

 国際的な報道を事後的に補足して日程を追って流れを確認すると、自衛隊の派遣継続、新任務付与という判断が不適切であったとまで結論付けられるかどうかは疑問がある。日本の一部のマスコミには、政府批判のポジションをあらかじめ決めた上で国際報道を断片的につまみ食いするような姿勢があることは認めるが、説明責任は政府の側にある。少なくともここで僕がまとめている程度の説明は、情報の出所を明示していることで証明されるように昨年から順次可能であった。政府の判断が間違いだったとは僕は考えていないが、説明は明らかに不十分である。

 

 

3.「特別防衛監察」で明らかになったこと

(1)「特別防衛監察」を巡る経緯

 今回の日報問題の出発点は、フリージャーナリストの布施悠仁氏の情報開示請求である。布施氏は、昨年7月初め頃、海外メディアが戦車や戦闘ヘリも出動して激しい戦闘が行われ数百人の死者が出ていると報じていたにもかかわらず、政府は現地の状況は「散発的な発砲事案」「自衛隊に被害なし」と発表し、「武力紛争は発生しておらずPKO参加5原則も崩れていない」と結論つけていることに疑問を持ち、防衛省に文書開示請求をおこなった[xxxii]。2015年9月に安全保障法制が成立したが、ゴラン高原PKOからの撤退により、この時点では自衛隊PKO南スーダンしか残っていない。今後、いつどこでPKO自衛隊を派遣するかどうかわからない。だから、治安情勢が極めて悪化しており撤退を検討せざるを得ない状態であったにもかかわらず、派遣延長を決定し「駆けつけ警護」等の新しい任務を付与し、実績を作りたかったのではないか。一連の過程の結果公表された日報によれば、自衛隊が活動しているジュバを含む南部3州においても「戦闘が生起しており、暫定政府および新28州体制に基づく新州行政機関の治安統治能力は地方においては十分発揮できていない」と明記されているが、こうした文書が7月19日と10月3日の二回行われた情報開示請求に基づき公開されていれば、秋の国会では大議論になっていたわけだから、11月の新任務付与決定はおろか、交代部隊の派遣自体が決定されていなかった可能性があるというわけである。

 7月28日に公表された特別防衛監察の結果は、焦点となっていた稲田防衛大臣の日報隠蔽了承疑惑につき、以下のような記述がある。

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 平成29年2月15日の事務次官室での打合せに先立つ2月13日に、統幕総括官及び陸幕副長が、防衛大臣に対し、陸自における日報の取扱いについて説明したことがあったが、その際のやり取りの中で、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。

 さらに、平成29年2月15日の事務次官室での打合せ後に、事務次官、陸幕長、大臣官房長、統幕総括官が、防衛大臣に対し、陸自における日報の情報公開業務の流れ等について説明した際に、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。

・・・・・

 この部分は、監察結果本体文書の7ページ目の脚注19として記載されたものであるが、原案ではこの部分は存在せず、2月15日に事務次官室において事務次官が、陸幕長らの報告を受けて「陸自に存在する日報について、管理状況が不明確であるため、防衛大臣に報告する必要がない旨の判断を示し」、防衛大臣には(文書でなく)データとしての日報がコンピューター上に残っていた旨の報告がなされないままで大臣の了承を得たという結論になっていた。

 しかし、7月20日にフジテレビ系列のFNNが「『稲田大臣に事前説明』複数証言」として、2月13日に大臣が陸自幹部から、陸自内に日報のデータが残っていたという報告を受けていたことが、複数の政府関係者への取材でわかったと報じる[xxxiii]。この報道では、陸自ナンバー2の湯浅陸幕副長の「パソコンの端末内に日報のデータが残っていた」との説明を受け、翌日の定例の会見を控えていた稲田防衛相が「けしからん。あした(会見で)なんて説明しよう」と述べたという詳細まで暴露された。この報道を受けて、当初の監察結果公表の日程が延期されたが、更に報道を裏付ける手書きの個人メモなるものまで流出する事態となったことを受けて[xxxiv]、上記記述が脚注の形で挿入されることとなったと報じられている。

 7月20日とは、既に監察結果の原案がまとまっており、防衛省幹部への説明が行われていたころである。原案が報道の通りであるとするならば、今回の問題の責任は陸自の制服組にあり、せいぜい事務次官が報告を受けていたが、大臣には全く責任がないということになる。この結論に反発した制服組からの報道機関へのリークではないか。そうであれば陸自の反乱だと大騒ぎになった。

 稲田防衛相は7月19日に記者団に対して、「報告があったという認識はない」と否定しており、20日も事前の報告の有無については一切答えなかった。しかし、こうした対応が、報告を受けていたのであれば隠蔽を了承した上で国会で虚偽答弁を行ったことになるが、報告を受けていたなかったのであれば大臣を飛ばして方針が決定されていたことになり大臣として機能していないではないかと、集中砲火を浴びることになった。そして、監察結果に脚注が挿入され、28日に稲田大臣の辞任とセットで公表される結果となる。

 

(2)「特別防衛監察」で明らかになったこと

 こうした経緯で発表された監察結果の評価は、一般には低い。肝心の大臣の関与部分がここまであいまいでは、全体としての信頼性も揺らぐ。ここでは大臣関与の部分以外は信頼できる報告であるという前提としておくが、今回の報告には有益な情報も浮かび上がっている。ここでは3つの点を指摘しておきたい。

 第一に、情報開示請求への当初の対応方針が陸自の部隊司令官(具体的には「中央即応集団(CRF)副司令官(国際)」)のレベルで実質的に決定していたということである。部隊運用の基礎データである日報は、戦史研究の基本であり破棄されるなどということは原理的にあり得ない。その日報に激しい戦闘の詳述があり、それがPKO5原則に照らして公表することが問題となることが予想されたとしても、それを判断するのは大臣以下防衛省全体の責任においてなされるべきことである。部隊司令官がすべきことは、請求に該当する文書をすべて示したうえで、当該文書が公表された場合におきる不適切な事態の指摘を付することだけだ。しかし、当初の開示請求内容がピンポイントで日報を要求するものではなかったことから[xxxv]、CRF副司令官は「日報以外の文書で対応できないか陸幕に確認するよう指導した」というのである。防衛省内の用語で「指導」とは、どの程度のことを意味するのかはわからないが、CRF副司令官(階級は「陸将補」)による「指導」が軽いものだったとは考えられない。実質的に「開示するな」と言ったということだろう。監察結果でも「当該指導により、陸幕及びCRF司令部関係職員の間において、行政文書としての日報が存在しているにも関わらず、日報は個人資料であるとし、日報を該当文書に含めないとする調整により、日報が該当文書より除かれた。」とされている。

 情報公開において、どの文書のどの部分を公開するかどうかの判断は、当該文書の作成・保管部署の意見は聞くとしても本来情報公開を司る部署がすべきものである。この場合、防衛省内局の大臣官房文書課情報公開・個人情報保護室(情個室)ということになる。しかし、情報公開窓口は窓口業務の位置づけであり、組織内政治における影響力は低い場合が多い。実際、情個室長の上司に当たる文書課長ですら平成3年入庁の防衛事務官であるから、内局背広組と制服組という制度上の区別はあっても、現実には陸相補との格の差はあるだろう。従って、情個室長や文書課長は政治的判断を必要とするものについては、自らの判断で行わず、官房長、事務次官、政務三役とレベルを上げていく。これによって階級差とのバランスを埋めるのである。

 個人的には、日報データそのものを部隊派遣継続中に公開する必要はないと考えている。今回黒塗りされている部分は他国軍部隊から得た情報とのことであるが、日報データには防衛機密に属するものもあるし、食料在庫のような厳密には防衛機密と言えないものでも部隊の士気を判断する材料になりうるわけであるから、後日公開の方が適切だろう。

 情報公開請求者から見て必要な情報は、衝突事案の詳細とそれに対する自衛隊の認識及び対応であって、特に重要なのは衝突事案の経緯において副大統領派がどの程度組織として大統領派である南スーダン政府軍と対峙したかである。治安情勢の悪化は、UNMISSの治安維持以外の業務、即ち自衛隊施設部隊の担当する道路等の整備業務が行えなくなるということであり、「部隊がそこにいても意味がない」という実質的妥当性の問題にとどまる。しかし、衝突の一方当事者が組織された部隊であったということになると、「国に準ずる組織」であることになる。南スーダン政府軍と「国に準ずる組織」との交戦に際し、「駆け付け警護」にせよ「宿営地の共同防護」にせよ武力を行使することは、憲法9条の禁ずる「国際紛争を解決する手段」としての武力の行使と見なされる可能性が生じ、法的妥当性の問題に直結する。その意味では、どの程度の砲弾が飛び交ったのかより、副大統領派が「国に準ずる組織」と言える程度に組織化された部隊であったのかの方が重要な問題であると思われる。国会答弁において稲田大臣は「戦闘」という文言が日報に記載されていたかどうかをしきりに議論していたが、開示請求があったのは「7月6日~15日の期間にCRF司令部と南スーダン派遣施設隊がやり取りした文書すべて(電子情報を含む)」であったのだから、その期間に施設隊野営地周辺で「戦闘」が行われた旨の記載があっても、そのことが「紛争当事者の停戦の合意」が崩れたという結論に直結するわけではない。7月16日以降、南スーダン政府軍により治安が回復されUNMISSの活動が再開可能な状態となったのであれば、部隊を撤退させる必要はない。更に、7月の衝突事案を検討して、治安維持行為という講学上の警察権の執行の一部として「駆け付け警護」を新任務として付与することも全く不自然ではない。

 しかし、7月の武力衝突事案が「国」である南スーダン政府軍と「国に準ずる組織」である「副大統領派」との間の衝突であるとすれば、問題は全く異なる。「国」と「国に準ずる組織」との衝突は「国際紛争」であり、民間人保護とはいえその場面に際し武力を行使することはまさに憲法9条の禁ずる「国際紛争を解決する手段」としての武力行使と判断される可能性が生ずるからである。従って、たとえ一部マスコミから指摘されているように、防衛大臣の政治判断として国際平和協力法の改正によって追加された新任務の付与の第1号の実績を作るために危険を承知で強引に派遣継続及び新任務付与を決定したのだとしても、この段階で説明すべきことは「戦闘行為があったかなかったか?」ではなく、「治安を乱している副大統領派の戦闘行為がどの程度組織として秩序だったものであったか?(秩序だったものではなかったので「国に準ずる組織」とはみなされないと結論できる!)」の方であるべきであったはずである[xxxvi]

 防衛省の内局としては、こうした事情を総合的に判断するならば、「不開示」と結論した理由を「日報は破棄されたから」などという稚拙な言い訳をすべきではなかった。財務省経産省と言った霞が関で「一流」と見なさされる役所では、後でばれるような稚拙な言い訳を考えることを一番卑しむ。10年近くそういう環境を経験した僕は、この問題の最初から「なぜ捨てちゃったから出せない」など素人臭い言い訳を不開示理由にしたのかが疑問であったから、行政事務の素人である稲田大臣本人が「そんな後で問題になりそうなものはなかったことにしてしまえ」と言ったのだとすら推察していた。今回の「特別防衛監察」では、日報データは存在しないことにしてしまえという判断は、最初の段階で陸上自衛隊内で行われてしまっているとされている。これでは意思決定過程に、内局の法的あるいは政治的判断は関与していないということになる。シビリアンコントロールとして問題がある。内局を信用して、相談すべきであった。

 第ニに、防衛省の情報の取扱いに関する問題点を指摘して解明する際に大きな役割を果たしたのは、自民党行政改革推進本部であったということである。10月の2回目の開示請求に対する12月2日付けの不開示決定も、それだけでは世間的には大きな問題とはならなかった[xxxvii]。この不開示決定が問題視されたのは、日報データが既に破棄されていることを理由としての不開示決定を報道で知った行革推進本部長であった河野太郎氏が「行政文書としての扱いが不適切」だと問題視し、12月12日に日報データの存否を再調査するよう要求したことで、対応せざるを得なくなったからだ[xxxviii]。「特別防衛監察」によれば、これ以降陸幕長を中心に対応を協議し、防衛大臣に報告した上で本年2月6日に日報を自民党行革本部に提出する。河野太郎という強い個性を持った政治家が、日報という部隊運用の基礎資料が破棄されるなどということはあり得ないという行政事務の実態に関する正確な知識を踏まえ、自民党行革本部長という立場で行動するという条件がそろっていなければ、今回の問題は明らかになっていないことになる。シビリアンコントロールが機能不全に陥った時に、係る条件がそろわなければ修正できないというのでは問題であろう。

 第三に、今回問題になった日報データは2月6日の時点ですべて公開されているということである。稲田大臣が隠蔽を了承したのではないかと問題になったのは、2月6日時点では陸自内でも統幕本部には日報が保管されていたと発表していたが、それ以外にも陸幕及びCRF司令部の複数パソコン端末にデータが残っていた。しかし、それは既に公開したデータと同じものであるから、わざわざ再度対外的に説明する必要はないとの判断が事務次官以下でなされ、それが大臣にも報告されていたにも関わらず、大臣は統幕以外の部署におけるデータの保管の有無及び保管の事実の隠蔽については報告を受けたこともなければ、隠蔽を了承した事実もないと言い続けたのである。しかし、そもそも本件日報データは陸自内では、一定の関係者で情報共有すべく陸自式システムの掲示板に日々順にアップされていたものであるから、物資調達や予算といった関連業務のために各部署でダウンロードし保管している方が自然である。従って、陸自内のどの部署にデータが残っていたかは本質的な問題ではない。河野太郎氏が指摘するように[xxxix]、各部署で隊員が自らの仕事のために個人的に保管していたデータは「組織として活用すべく共有しているもの」ではないから「行政文書」には当たらないと判断し、「行政文書」なら探し方が足りなかったので他の部署でも保管されていた旨公表し謝罪する必要があるが、「個人データ」だからわざわざ公開の必要もないだろうと考えたものであり、「隠蔽」という意図はなかったという可能性がある。少なくとも大した罪悪感は持っていなかったのではないかと思う。批判されるべきは、日報に関してはそれまでいろいろとあったわけだから、自分たちで判断するだけではなく、内閣府の公文書課や国立公文書館といった情報公開に関する政府内での有権解釈当局に、きちんとした判断を仰ぐべきだったのではないかということだ。その通りだと考える。稲田大臣の頭の中がきちんと整理されておらず、発言内容がぶれるから集中砲火を浴びる。秘書官を始め大臣を支えるべき官僚の任務懈怠である。

 

 

4.小野寺防衛大臣に求めること

 8月3日の内閣改造により、岸田外務大臣の兼務が解除され、小野寺五典氏が防衛大臣に着任した。8月10日に行われる閉会中審査に稲田前大臣の出席を自民党が拒否していることが話題になり、隠蔽の当事者が不在で何を議論するのかという批判がマスコミの主要論調であるが、本質的な議論に戻るべきだ。

 第一に、日本は何のために国連PKOに参加するのかということである。21世紀の国際政治において問題になっているのは、20世紀にたくさんあった主権国家を多数巻き込んだ総力戦より、独裁国家や破綻国家の内部における人道問題である。このために、国連が「保護する責任」を掲げて、内戦や内乱に介入する。平和国家として現行憲法の制約の下では、こうした国際社会の要請の全てに対応はできないし、すべきでもない。南スーダンPKOへの参加は何のためか。今世紀最悪の殺戮が行われてきたダルフール地方の隣である。そのような地域への派遣、しかも司令部要員やリエゾンオフィサーの派遣ではなく、数百人規模の施設部隊の派遣を決定するには、単なる国際貢献以上にリアルに我が国の国益上の必要性が求められるのではないか。

 前述のように、東アフリカの油田開発は近年注目を集めている。しかも、中国が着々とこの地域への影響力を強めている。しかし、油田開発の商業的成功には越えなければならない障壁はあまりに多いし、現時点での確認埋蔵量は国際的に見れば少なく、中国と競い合ってリスクを取りに行く必要があるほどとは考えにくい。むしろ、2011年の派遣決定自体が、包括和平合意に基づく住民投票の結果としての独立というストーリーを信じた安請け合いだったのではないかと思うのだ。安全保障法制の成立により、自衛隊の活動範囲は拡大された。派遣される部隊の責任もリスクも、より大きなものとなる。日本の世界戦略の問題として、どの地域のどのようなPKO活動には積極的に参加するが、それ以外のものについては最小限の貢献にとどめるという基準を「安倍(河野?、小野寺?)ドクトリン」のような形で明示することが必要なのではないかと考える。

 第ニは、派遣部隊の撤退の判断基準である。2012年のゴラン高原からの撤退は慎重に過ぎ、2016年の南スーダンの派遣継続は大胆に過ぎたのではないか。政府として、この整理をすべきである。安全保障法制によって付加された新任務負荷第1号の実績などということよりも、この二つの事例を、政府部内できちんと比較検証した上での評価を明らかにすべきだ。その際、自衛隊活動地域においてどのような危険があり、あるいは危険があり得るとの認識を持っていたのかついても詳細を公開する必要がある。

 最後は、部隊派遣継続中の事案における治安等の状況報告の公開方法である。国際的には山ほど衝突や殺傷事案の報道があるのに、政府からの公式な説明は「現在は比較的落ち着いている」とされているだけでは明らかに不十分である。布施悠仁氏らはそのギャップを問題視したわけであり、最初は情報公開請求の対象を何にすべきかすらわからなかったために、部隊運用の基礎資料であって絶対に存在するはずの日報の公開を請求することになった。しかし、定期的に情勢報告が公開されていたら、機密情報を含む部隊運用の基礎資料の公開範囲をいちいち判断する必要もなかっただろう。防衛省内でのシビリアンコントロールの問題としても、治安関係情報を含む情勢報告の制度化を図る必要がある[xl]

 

 稲田朋美はもういない。辞任の経緯を巡る国民の記憶は、彼女に二度と大きな政治的役割を担わせることを阻む。政治家の責任の取り方とはそういうものだ。実益のなくなった議論に拘泥する暇があったら、さっさとやるべきことをやるべきだ。

 

 

[i] 外務省HP

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/q_a.html

 

[ii] Responsibility to Protectに関する議論としては、国際法では「人道的介入」の文脈で議論されるため文献がたくさんありすぎるが、ネットで拾えるものの中でまとまっているものとして、いささか古いが以下のものを挙げておく。

川西晶夫「『保護する責任』とは何か」 国立国会図書館調査及び立法考査局『レファレンス』2007年3月特集号(総合調査―平和構築支援の課題)

http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200703_674/067402.pdf

 

[iii] 半田滋「違和感だらけ―南スーダン撤退を決めた政府の『本当の事情』」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51198?page=3

 

[iv] 防衛大臣記者会見2012年12月18日 防衛大臣が公式の記者会見で、「治安情勢に改善の兆しなし」と発言しているのはこの日であるが、この記者会見で森本大臣は撤退を否定しており、正式に撤退命令が発令されたのは21日である。既に12月8日には共同通信が撤退へと伝えていたが、現地国連PKO隊司令官に対して撤退を通告したのは実際に撤退命令を現地部隊が受けた21日のことである。この直前、カナダ軍3名がPKO司令官に通告せず撤退したことが批判されていた。自衛隊としては、撤退準備を進めた上、命令発令時点で通告することになった。(後述の喜田邦彦を参照)

http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2012/12/18.html

 

[v] 日本経済新聞「政府、ゴラン高原のPKO撤収を確認」2012年12月21日付

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21008_R21C12A2EB1000/

 

[vi] その他に、航空自衛隊ゴラン高原空輸隊(空輸隊(約80名)も参加していた。

[vii] 喜田邦彦「ゴラン高原PKО「撤退作戦」の検証-最後の隊長・萱沼3等陸佐に聞く-」『偕行』2013年12月号 40キロであれば風向きによっては3時間程度で野営地に到達すると判断されている。

http://fuwakukai12.a.la9.jp/Kita/kita-golan.html

 

[viii] Tong Xiaoguang and Shi Buqing, “Changing Exploration Focus Paved Way for Success,” GEO ExPro, May 2006

 

[ix] 正確には、インドとマレーシアの国営企業も参加している。

[x] ビン・ラディンハルツームで具体的に何をやっていたのかは、当時様々な報道があったが未だに明らかになっていない。

https://www.theguardian.com/world/2001/oct/17/afghanistan.terrorism3

 

[xi] 平野克己 「新国家南スーダンの命運を握る米中の連携」日本貿易振興会アジア経済研究所(IDE-JETRO

http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Africa/Radar/20110720.html

 

[xii] 藤井哲哉「活発化する東アフリカ・リフト堆積盆の探鉱」 JOGMEC『石油・天然ガスレビュー』2010年9月 Vol.44 No.5 65~80page

https://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/3/3660/201009_065a.pdf

 

[xiii] 竹原美佳「東アフリカ陸上(ウガンダケニア南スーダン)における石油開発と輸出パイプライン構想、JOGMEC 2013年7月25日

https://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/4/4897/1305_out_eastafrica.pdf

 

[xiv] 最大の収入源である石油の販売については、現時点では全てKharoumを経由してPort Sudanに通ずるパイプラインしか手段がないため、ハルツーム政府がパイプラインの利用制限及び使用料金徴収を通じてコントロールできる状況が続いている。

[xv] BBC, “South Sudan's Riek Machar profiled”

http://www.bbc.com/news/world-africa-25402865

 

[xvi] 僕がいつも聞いてるのはボストンから放送されているNational Public Radioの支局WBURである。http://www.wbur.org/ 携帯電話に適切なアプリを落とせば、タダで聞ける。NPRの国際ニュースはBBCを流しているので、アフリカ情勢について手厚い。

 

[xvii] Juba市内にはUNMISSの拠点は、南東部の司令部(UN House)と北東部のJuba国際空港近くのTompingに補給基地(UNMISS logistics base)の2つがある。

[xviii] Macharはコンゴを経由して、8月にはKharoumに医療目的で滞在しているとSudan情報相が発表している。Al Jazeera, “South Sudan's Riek Machar in Khartoum for medical care,”

http://www.aljazeera.com/news/2016/08/south-sudan-riek-machar-khartoum-medical-care-160823161508776.html

 

[xix] UN Office of the High Commissioner for Human Rights and UNMISS, “A report on violations and abuses of international human rights law and violations of international humanitarian law in the context of the fighting in Juba, South Sudan, in July 2016”

http://www.ohchr.org/Documents/Countries/SS/ReportJuba16Jan2017.pdf

 

[xx] 例えば本年4月のSecurity Council Report は以下の通り。

http://www.securitycouncilreport.org/monthly-forecast/2017-04/south_sudan_30.php

 

[xxi] 防衛省「UNMISSにおける自衛隊の活動について」平成29年4月

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf

 

[xxii] 国連報告書にも防衛省発表資料にも、Tomping基地周辺の詳細な地図情報は記載されていないため、どの程度の位置関係であったかはわからない。

[xxiii] 現実にUNMISS司令部から自衛隊に出動要請はなかった。

半田滋「日本政府が伝えない南スーダン国連PKO代表』不在の異常事態」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50357?page=2

 

[xxiv]南スーダン平和協力業務実施要領(施設部隊等)(概要)」

http://www.pko.go.jp/pko_j/data/pdf/03/data03_27_5.pdf

 

[xxv] しかも襲ったのは南スーダン政府軍兵士と報道されている。報道は多数あるが、例えば

Jason Patinkin AP, “Rampaging South Sudan troops raped foreigners, killed local”

https://apnews.com/237fa4c447d74698804be210512c3ed1/rampaging-south-sudan-troops-raped-foreigners-killed-local

 

[xxvi] 内閣官房内閣府・外務省・防衛省「新任務付与に関する基本的考え方」平成28年11月15日

http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/heiwa_anzen/kangaekata_20161115.pdf

 

[xxvii] 内閣官房内閣府・外務省・防衛省「派遣継続に関する基本的な考え方」平成28年10月25日

http://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/161025unmiss.pdf

 

[xxviii] Ben Quinn, “South Sudan peacekeeping commander sacked over 'serious shortcomings',” the Guardian, November 2, 2016

https://www.theguardian.com/global-development/2016/nov/02/south-sudan-peacekeeping-chief-sacked-alarm-serious-shortcomings-ondieki

 

[xxix] Reuters, “Kenya withdraws first batch of troops from U.N. South Sudan mission”

http://www.reuters.com/article/us-southsudan-un-idUSKBN1342AH

 

[xxx]半田滋「日本政府が伝えない南スーダン国連PKO代表』不在の異常事態」

[xxxi] UN Biographical Note, "Secretary-Genral appoints David Shearer of New Zealand Special Representative for South Sudan," SG/A/1691- Bio/4910-PKO/617, 13 December 2016

https://www.un.org/press/en/2016/sga1691.doc.htm

 

[xxxii] 布施悠仁「稲田大臣辞任だけで終わらせてはいけない『日報隠ぺい』本当の問題点」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52482?page=2

 

[xxxiii] http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00364816.html

 

[xxxiv] https://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00365230.html

 

[xxxv] 7月19日の開示請求の対象は「2016年7月6日(日本時間)~15日の期間に中央即応集団司令部と南スーダン派遣施設隊との間でやりとりした文書すべて(電子情報を含む)」であった。(「特別防衛監察の結果について」)

[xxxvi] 民進党はこの部分を追及すべきであったと、個人的には思う。国際的に報道されている情報を整理し、解任されたケニア軍司令官及びその後のケニア軍の撤退が司令官解任への抗議だけではないことを立証するとともに、国連安保理への公式報告なども踏まえ、7月事案において副大統領派である(SPLM/A-IO)の戦闘行動が部隊として組織されたものであり、8月以降も南スーダン国内、とりわけ首都Juba周辺でも活動が続いていたことを立証すれば、政府の判断が誤りであったと指摘することができる。野党は当たり前のことをやっていないと思う。

[xxxvii] 開示請求を行った当人である布施悠仁氏自身が「私も正直、自分が行った2本の情報公開請求が、よもやこんな「大事件」になるとは思ってもいなかった。」と書いている。布施前出

[xxxviii] 東京新聞「「廃棄した」PKO部隊日報 防衛省、一転『保管』認める」2017年2月7日付朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017020702000114.html

 

[xxxix] 河野太郎南スーダン日報問題」『ごまめの歯切り』2017年7月20日

https://www.taro.org/2017/07/%e5%8d%97%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%80%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%97%a5%e5%a0%b1%e5%95%8f%e9%a1%8c.php

 

[xl] 外務省・防衛省においては、定期的に記者ブリーフが行われているのだろうと思う。しかし、報道されていない以上担当記者ではない僕は知りようがない。内閣府PKO本部を含め、タイムリーな情勢報告はホームページ上には発見することができない。