アメリカ・リベラル派の苦悩

これも眠ってましたな。同じく2013年9月です。

 

アメリカ・リベラル派の苦悩(9月13日)

 

今朝の朝日新聞にジョン・アイケンベリー氏のインタビューが載っている[i]プリンストン大学の国際政治学の教授であるが、いわゆるリベラル派でありながら現実主義の立場をとる。学者としてのスタートは、国際関係論の世界でも国際経済秩序の形成過程といった経済政策の分野の仕事だったので、僕もずいぶん勉強させていただいた。しかし、9・11テロ後は米学界も安全保障の議論一色になってしまい、アイケンベリ―先生も、ブッシュ政権対テロ戦争を、「戦争をしてはならない」という理念の問題というより、「そんなことをしても事態は収拾できない」という批判をしていることの方で有名になってしまった。このインタビューに、困惑の中で萎縮する米外交の縮図が見て取れる。

 

前提として、この手のインタビューが一国の外交政策の縮図といえることは少ないことは念頭に置く必要がある。新聞社に所属するジャーナリストが、米国のオピニオン・リーダーの立ち位置を正確に把握している可能性は100%ではないし、まして学問の世界の構図に精通している可能性はそれほど高くない。学者本人の過去の著作に不案内なままの記者も少なくなく、インタビューされた側が不快感を覚えることもある。実際、的外れな記事もあるし、インタビューされる側も、日本語で掲載されたものがきちんとニュアンスを伝えているかどうかチェックすることもできない[ii]。実際、今回のインタビューでも、アイケンベリ―先生の古い業績を知っている立場からすれば、朝日新聞の今の関心から離れて、もう少し多極化する世界経済における通貨外交の話を聞いてほしいと感ずる部分がある。しかし、この記事は、日本のメディアである朝日新聞の立ち位置から、本人の学問的関心との接点をきちんと見極めてまとめている。

 

まず、シリア介入問題だ。米国が直面する問題として、こうした問題に対する3つの姿勢の区別を掲げる。第1は、アイケンベリ―氏が『新帝国主義』と批判したブッシュ政権時代の直接単独介入である。第2は、「米国など自由民主主義国は、人道的に悲惨な状況や国家の破綻がどこかで起きた場合、その国民を暴力や大量虐殺から守るために介入すべきだ」と考える『リベラルホーク』だ。アイケンベリ―氏はこれを『ネオコン民主党バージョン』と表現するが、ネオコンそのものが、ケネディ政権下の国際協調主義者がベトナム戦争後の萎縮する米国外交に我慢しきれなくなり進化したものであるから、この表現は適切である。アイケンベリ―氏が主張する『伝統的なリベラル国際主義』とは、介入すべきという結論は共有するが、アイケンベリ―氏が「国際機構や国家間の関係があって初めて、世界各国はより平和的で、相互に利益をもたらす形で共存できている」と考え、「グローバルコモンズ(国際公共財)を守り、地球規模の諸組織、機構を支えようという姿勢」を重視するのに対し、『リベラルホーク』は「国連が行動しなければ独自対応もいとわない」と一歩踏み込むことを主張していることに違いがある。アイケンベリ―氏は、地域の問題にも深く関与すべきだが、単独で行動せず国際的な枠組みを通じて関与すべきであるとするのである。

シリアで問われているのはまさにこの問題である。国連安全保障理事会は、いつものごとくロシアや中国の反対で動かない。議論されている化学兵器の国際管理への移行問題も、現実の化学兵器禁止条約の運用体制は極めて不十分にしか機能していないし、紛争の解決、少なくとも軍事行動の停止なしには、実行性に疑問がある。イラクの例が常に持ち出されるが、イラクは核開発疑惑であり、核の場合は原子力技術者という軍人以外の専門家を関与させるという手があったが、化学兵器の場合ダイレクトに兵器であり、その管理には軍人の専門知識が不可欠である。だから、国際管理といっても、実際には化学兵器の扱いに慣れた米軍かロシア軍の管理になるのであって、現在の交渉が時間稼ぎにしかならないことは明らかだ。もちろん時間稼ぎが問題の解決につながることは否定できないが、本質は化学兵器の使用という犯罪行為に対する制裁とシリアの治安の破綻をどうするかという平和構築という2つの問題であって、「リベラル国際主義」なるものがそこにどのような解決策を打ち出すかが問われている。

日本国内では、アメリカが好んで戦争をやっているように議論する人がたくさんいるが、少なくともアメリカ国内で米国外交を議論している人にそうした議論をする人は極端に少ない[iii]ネオコンにせよ、リベラルホークにせよ、既存の国際機関が手をこまねいているうちに、多くの人が犠牲になることを座してみているわけにはいかないという十字軍的精神を共有しているのであって、世界のリーダーたる米国が「リベラル国際主義」にとどまって何もしないことは移民国家アメリカの存立意義に悖ると考えるのである。

 しかし、インタビューアーはここを深堀せずに、「最近の雑誌論文で中国を『潜在的に地域覇権を争う相手と書いています。なぜですか』と話題を変えてしまう。執筆中の新著では、「台頭する中国は、米国主導のリベラルな国際秩序に挑戦するのか、あるいはそれに自ら参加し、協力していくのか」と問う。確かに中国は、世界で唯一米国に対し「対等な競争相手」として挑戦してくるが、「中国の重商主義的な資本主義が成功するためには、グローバルな自由貿易を必要とする」。そのため、自由民主主義国が効率的に社会経済問題を解決するモデルを構築し、国際的な諸組織を改善できれば、中国がそうした枠組み参加せざるを得なくなるという結論だ。

 中国に、米国主導の同盟システムは正当性に欠けるものであって、「中国を地域に結びつける多国間の地域安全保障システムの障害になる」という見方があることを、問題にする。米国のアジア回帰を中国自身の脅威と認識し、米中緊張が高まっている。これをそう安定化させるのか。

 アイケンベリ―氏は、「米国は二つのことを同時にやろうとしている。まず一連の関与策を通じて、中国を地域およびグローバルなシステムに引き込もうとしている。その一方で、同盟システムを強化することで、中国の拡大する影響力に対抗しようとしている。我々が今、目の前にしている大きなドラマは、米国が安全保障、経済の両面で中心となった覇権秩序から、大国間の均衡に基づく多極型力学への移行だ。米国は中国との均衡をはかることによって、地域各国が安全保障は米国に依存する一方で、中国との経済的な関係を深めることができるようにしている。」と述べる。

ここに根本的な矛盾がある。米国は、既存の米国主導の同盟関係と国際経済秩序の維持を前提として、拡大する中国の影響力に対抗しながら、しかし同時に中国を地域及びグローバルなシステムに引き込もうとしている。これは、中国から見れば、米国主導の国際システムに飲み込まれることにほかならない。しかし、アイケンベリ―氏が指摘するように我々が目にしているのは米国中心の覇権秩序から大国間均衡に基づく多極型力学への移行なのだ。米国主導の国際秩序を改革し、経済社会問題に機動的に解決策を提示できるようにすることにより中国の参加を促すというが、中国の主導性はどのように認めるのか。現在の共産党政府は、自由主義経済の進展に伴い反日以外の存在の正当性を見いだせなくなっている。ナショナリズムに基づく政治的な動きは、中国全体の利益にならないとしても、共産党政府の利益にはなっているのだ。

戦後最悪といわれる日中関係について「非常に危険な状況」としながらも、「平和憲法や抑制的な防衛政策に代表される戦後システムを脱却することには、非常に慎重であるべき」とする。集団的自衛権行使を巡る憲法解釈については、「地域における日本の安全保障上の性格を根本からくつがえしてしまうような大きな変更」には懸念を示す。そして、「日本は二つのことを同時に行う必要がある。米国と同盟強化の協議を進める一方で、中国や韓国に対し、歴史問題に積極的に取り組み、国際主義を支持する特別な大国であり続けるとシグナルを送ることだ。」とし、日本はアジアでの軍備管理協議を検討すべきだと提言する。

 

オバマ政権が直面する問題は、優等生の「リベラル国際主義」がリアリティを持った解決策を提示できないことにある。確かに、ブッシュ政権イラクでやったような乱暴な介入では、平和は構築できない。しかし、自国民に対する化学兵器使用という虐殺行為を行う独裁政権を野放しにすることは許されるのか。シリアの後ろには、化学兵器の使用実績のあるイランが核兵器を持ちつつある。ブッシュ政権の功績は、米国に逆らい続ける独裁者は抹殺されるという実績を作ったことだ。だから、アサド政権も国際管理移行への交渉は応ずるのだ。

94年の北朝鮮の核危機において、クリントン政権内で核関連施設へのピンポイント攻撃である「外科手術的攻撃」が議論されていた最中に、元大統領のジミー・カーターが訪朝し、これが米朝枠組み合意への道を切り開いた。しかし、その裏で着々と核兵器は開発され、今やその運搬手段の手に入れている。核開発を行っていたリビアカダフィイラクサダム・フセイン北朝鮮金正日の3人の独裁者のうち、実際に核を手にした金正日だけが生き延びることができた。独裁者が次々に核を手にするとき、安全保障をどのように維持するというのか。

中国の考える経済秩序は、地域の安全保障体制と切り離して議論できるのか。海洋権益を求める中国の対米防衛の第一防衛線は、尖閣列島どころか九州から沖縄を含み、その中には東シナ海の石油ガス田開発という経済権益を含むのである。米国の覇権が揺らいでいる今、中国と軍事的にどのような均衡を模索するのか。その中で、同盟国である日本に対し、どのような役割を求めるのか。

こうした問題に対し、即時にそれなりの回答を出さなければならない。それが外交であり、政策である。単独行動主義の先制攻撃型の軍事力行使に反対するのはよいが、国際的な枠組みが機動的に暴力の行使を抑制できるためには、どのような改革が必要なのかを具体的に提示しなければ回答にならない。

 

インタビューアーの加藤洋一編集委員は、付け足しのように「米国ではリベラル派も外国への軍事介入を忌避しない」と書いているが、ここに日本の閉鎖された言論空間での議論のゆがみが集約されている。「権力を批判する」ことに終始し、暴力や人権侵害に向き合わないリベラル派はリベラルではない。

 

 

[i] 朝日新聞2013年9月13日朝刊17面(http://digital.asahi.com/articles/TKY201309120491.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201309120491

[ii] 朝日新聞は英語版で記事の本文を英語で掲載している。(http://ajw.asahi.com/search/?q=ikenberry)英語の朝日新聞を購読しているわけでないので英文のニュアンスをチェックしたわけではないが、信頼に値する記事と考えて構わないものと考える。

[iii] だからオリバー・ストーンはアメリカ国内では極左扱いになる。