内閣法制局という組織(3) 内閣法制局の法案チェック機能の政治的意味

 

  内閣法制局によるチェックを経た内閣提出法案だからといって、政策的に重要なものばかりとは限らない。中央省庁の局長クラスにとって、自らの所掌事務に政治的に注目を集める問題がないことも多い。官僚は公務員であり、厳格な身分保障があると考えられているが、本省の局次長級以上の上級幹部は「指定職」とされ、民間企業の役員待遇であり、給与も高いが身分保障は存在しない。事務次官を頂点とする出世競争に勝ってより上位とされるポストにありつけなければ、その時点で退官となる。官僚の地位が高かった90年代以前は、組織内での評価によって、ある程度の序列が自ずから決まり、同期の中で「事務次官候補」とされる少数の者以外は順次天下りポストのあっせんと引き換えに退官していくのが慣例であった。しかし、近年は役所の人事に対する政治家の影響力が強まっているため、有力政治家に対し常にアピールすることが必要になる。実際、官房長官をはじめとする少数の政治家の力による逆転人事といわれるものは少なくない。そうした局長たちにとって、有力与党政治家に対する手っ取り早いアピールは、法律改正や新法の制定のための根回しである。このため、特に法律を改正したり、新法を制定しなくてもできるにもかかわらず、強引に法案提出を仕組むことも珍しくない。

 こうした「不必要な法案」が増加しているかどうかを数字によって示すことは難しい。法案の増減や成立率は、その時の政治情勢に大きな影響を受けるからである。2000年代に入り、立法過程についての研究が進展しているが、その背景には国会議員の側にも「不必要な法案の審議に時間と労力が使われ過ぎ、本質的な問題について検討する時間が失われているのではないか」という問題意識がある。衆議院副議長が東大総長に対して「くだらない法律案の審議に煩わされずにすむ方法はないか」という相談があり、その総長が若手研究者に、この分野の研究を若手研究者に促したという話もある。研究の詳細はここでは紹介しないが、政治学の世界における問題意識は、内閣は官僚によって動かされているという「官僚内閣制」だとの認識に基づく「(承認印を押すだけの)国会ラバースタンプ論」を修正し、国会はそれなりに機能していることを示す必要があるのではないかという点にある。このため、国会自身の機能のあり方、具体的には、国会議員の議案発議要件(衆議院20人、参議院10人以上の賛成を原則要する)と定める国会法56条や、委員会における与野党協議の上全会一致の支持を得たものを委員長提出法案とする慣行の成立といった手続き要件と法案数や成立率との関係を分析しているものが多い。ここで議論している局長の「仕事してます」というアリバイ的な法案に関する議論は、学問の世界にはなじみにくい。論文として正面から取り上げた例を、個人的には知らない。

 

 こうした「不必要な法案」の国会提出への最大の抑制装置は内閣法制局である。内閣法制局で、こうした法案の審査項目は「法律事項」の有無である。ここでいう「法律事項」とは、政策のうち「法律で定めることが必要である事項」である。「法律で定めることが必要である事項」があるから法律にするのだろうと考えると矛盾しているのだが、そもそもの目的が役人のアリバイ作りである法案には何が法律事項なのかわからないものも少なくない。内閣法制局の法案審査で、課長補佐クラスの役人が苦労させられるのがこの点だ。「なぜこの法案が必要なのか?」という質問に答えられないのである。

 典型的な例が「○○振興法」のたぐいである。昔の繊維工業構造改善臨時措置法といった法律では、実際に独禁法の例外規定といったまさに「法律で定める必要のある事項」があったが、自由市場経済万能主義のご時世で独禁法の例外規定などめったに作れるものではない。「○○振興法」といっても、「○○」を「半導体産業」だの「携帯電話製造業」だのといった特定企業を念頭に置いたような規定も、それ以外の産業から袋叩きに合うし、そもそもWTOの関係から認められるはずもない。よくあるテクニックは、「○○」を、「中小企業」とか「山村」とか「新技術」とか抽象的なものにしておき、具体的には各省庁の計画承認によって規定し、その承認を受ければ、税制上の優遇や特定の金融優遇措置を受けられる仕組みにすることである。税制上の優遇措置を設けるには、租税特別措置法の例外規定の設置が必要であり、金融優遇装置とは中小企業信用保証法といった法律の例外規定の設置が必要になるから、「法律事項」があることになる。通産省内では、計画承認にぶら下げるこうした措置規定が、税制優遇と特別融資に加えてもう一つあれば、内閣法制局審査を通すことができるとされ「バカの三点セット」と呼んでいた。

 こうした「不必要な法案」について、内閣法制局関係者自身が書いたものがある。少し長くなるが引用しておこう。

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 中小企業、農林水産業、地方などの振興ために、いわゆる振興法と称する一群の法    律が立案されることがある。法律とは、法律事項すなわち人の権利義務にかかわる事項を規定する社会的規律であるという観点からすると、果たして振興のための法律というものができるものなのか、などという素朴な疑問がわいてくるのもの無理からぬものがある。

しかしながら、中小企業執行法、山村振興法、新技術振興法などの一群の法律が、現に存在している。振興法というものは、とりわけ制定の過程と制定後しばらくの間、実際に人々から大いに評価され、それなりの社会的経済的な役割を果たしている法類型だということである。すなわち、振興法というものは、民法や刑法の類のように、いわば法律の王道を歩むような存在ではないものの、その時々の政策課題を抱えて、人々の関心を引き、その方向へと社会全体のベクトルを傾けるという重要な働きをしているのである。

平成18年には、中小企業のものづくり基盤技術の高度化に関する法律が制定された。これは、中小企業によるものづくり基盤技術に関する研究開発及びその成果の利用を促進するための措置を講ずるためのものである、ところが、この法律の制定を知った、とある中小企業経営者は、「ようやく我々のような金型業者にも、世間の注目が当たるようになった」と感激をしたという。これで我が国の中小製造業者が元気になってもらえば、法律の体裁や経緯や格式など、そんなにうるさく言わなくてもいいのではないだろうかという気にもなるのである。           (山本庸幸『実務立法演習』商事法務 2007)

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 この文章の著者は、小松一郎氏の前任の内閣法制局長官であった山本庸幸氏なのである。山本氏は、長官退任後最高裁判所判事に就任したが、就任会見で集団的自衛権について問われ「集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい。実現するには憲法解釈が適切だろうが、それは国民と国会の判断だ。」と発言したことが話題を呼んだ。ここから察せられるのは極めて謹厳実直な法律家の姿であるが、その彼がこういうことを書くのである。要するに、各省庁がゴリ押しすれば、たいていの法案は作れてしまうということになる。ちなみに、山本氏は通産省の出身である。

 筆者自身も、参事官経験者であったある通産官僚(その後、内閣法制局の部長も経験された)から、こうした「不必要な法案」も効用があると聞いたことがある。当時、ウルグアイラウンド交渉後の農産物輸入自由化対策で6兆円という予算がコミットされていた。これについての発言である。

こうした巨大な政治力がかかり、農水省という役所がその政治力の向かうところに従って仕事をすると巨額の予算がつき、実際に執行される。しかし、この巨大な予算は、現実には農水省族議員との予算分配システムの中で、輸入自由化に向けた日本農業の国際競争力強化のために使われることはなく、激変緩和措置の美名の下に既得権集団に吸収されてしまうだけになるだろう。現実の経済は、市場経済の力が働かないと変化しない。補助金をつぎ込んで市場が合理化されることなどありえない。通産省の場合、幸いにも農水省のような族議員を巻き込んだ政治力がない。その代り、「○○振興法」の類を無駄だとわかっていても生産する。そのことによって、与党議員が満足し、無駄な補助金をばら撒くことなく国際競争の構造変化に対応した産業構造改革を成し遂げられるとすれば、本当は無駄ではない。僕は、参事官として、法律効果に疑問のある法案をそういう気持ちで審査してきた。

 

 内閣法制局は、「法匪」である。しかし、相当いいかげんな法匪であるというのが実態と考えて間違いがない。政治的な政策立案過程において、現実の与野党の政治家との利害調整という現実の中で、彼らの考える「正しい政策」を曲がりなりにも実現するために、たとえ「法匪」と呼ばれようとも日々努力している公務員である。実証的な政治学の立場としては、内閣法制局を官僚の政治支配の牙城とみるのは無理がある。集団的自衛権の問題も、長官人事をいじくって実現すべきこととは考えられない。法案作成は、国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会が正面から議論して取り組むべき課題である。