ちゃんとわかりたい人のための前川問題 -加計問題にみる政官関係― part 3

3.獣医学部の新設の認定過程

(1)「国家戦略特区」という道具の役割:文科省設置審の権限は依然として存在

 問題は、加計学園の系列大学による獣医学部の新設が適切であるかどうかである。合理的理由がないのに総理のお友達だけに例外を認めるのであれば政治的に不適切な行為であるし、お友達から献金等の支援が行われている場合には刑事的問題を構成する可能性が出てくる。今回、総理がトップダウンで新設学部の設置を許可したような報道があるが、全体を大づかみにした印象論であって、制度的枠組みついて正確に理解しておくことが、今回の問題の当・不当、合法・違法を検討する前提となる。大学の学部新設の可否は、あくまで文科省の権限であり、具体的には文科大臣の諮問機関である大学設置・学校法人審議会(「設置審」)が、審査する。獣医学部の場合、設置審の中でも大学設置分科会・獣医学専門委員会が審査を担当することになる。

 設置審の議論の前提として認定基準がある。その多くが文科省告示として定められているが、ここで問題となるのは「大学、大学院、短期大学、高等専門学校等の設置の際の入学定員の取扱い等に係る基準」(平成15年3月31日文部科学省告示第45号)第1条の四に「歯科医師、獣医師及び船舶職員の養成に係る大学等の設置若しくは収容定員増又は医師の養成に係る大学等の設置でないこと」と規定されていることである。これが歯学部や獣医学部の新設を阻んでいる法的根拠となっているのだ。今回、国家戦略特区という道具でやろうとしているのは、この告示の規定を地域限定で解除することなのである。

 もちろん、国家戦略特区として今治市限定でこの規定を解除しても、実際に新設しようとする学部が適切なものかどうかは、設置審が審査する。加計学園は3月に申請し、8月許可を目指しているとされる。文科省は基本的には官邸批判などせずに、岡山理科大学獣医学部新設提案がクオリティを満たしていないと判断すれば淡々と不許可にすればよいだけのことである[i]

 

(2)「石破4条件」

 次に問題は、設置審の審議基準告示の規制を緩和し、「全国でただ一つ愛媛県今治市での獣医学部新設」を認めるという措置が適切であったかということになる。

 国家戦略特区として獣医学部新設を盛り込んだ決定文書である「『日本再興戦略』改訂2015」(平成27年6月30日閣議決定[ii]には、以下の記載がある。

 

⑭ 獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討

  • 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要があきらかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。(121ページ)

 

 役人としては、この文章は以下の4つの部分に分割されていると読む。

 ① 「現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し」

 ② 「ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要があきらかになり」

 ③ 「既存の大学・学部では対応が困難な場合」

 ④ 「近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討」

 即ち、4つの条件が付されていると読むのだ。本文書の閣議決定時点において担当大臣が石破茂氏であったことから、石破4条件」と呼ばれている。ここには後に問題となる四国限定という条件が付されていない。

  ちなみに、最後の「本年度内に検討を行う」とあり、これを第5の検討期限に関する条件と解釈することもできる。しかし、これだけでは「本年度内に新設を決定する」と読むのか「本年度内に新設問題が決着しなければ来年度以降は検討しない(要するに「逃げ切り」が許される)」と読むのかはっきりしない。この部分は京都府京都産業大学獣医学部新設要求を断念させる要因の一つとなるが、この時点では獣医学部新設要望を持っていたのは加計学園のみであったから、それ以外の新設要望を否定するための日程(具体的には「平成30年4月開学ありきのスケジュールに間に合わないものは認定しない」とすること)として設定されていたとまでは結論できない[iii]

 この4条件の具体的解釈について、石破氏自身がブログで以下のように解説している。

・・・・・

つまり政府としては、

 ① 感染症対策や生物化学兵器に対する対応などの「新たなニーズ」が明らかである    こと。(上記②に対応)

 ② それが現在存在する国公立・私立の獣医学部や獣医学科では対応が困難であること。(上記③に対応)

 ③ 特区として開設を希望し、提案する主体が「このようにして従来の獣医学科とは異なる教育を行う」というカリキュラム内容や、それを行うに相応しい教授陣などの陣容を具体的に示すこと。(上記①に対応)

 ④ 現在不足が深刻化している牛や馬、豚などの「産業用動物」の治療に従事する獣医の供給の改善に資すること。(上記④に対応)

  以上4点について判断すればよいわけです[iv]

・・・・・

 さすがに当事者であった石破氏は詳しく、続けて、

・・・・・

 ①は主に厚生労働省が、②と③は文部科学省が、④は農林水産省がそれぞれの専門的知見から当事者の主張を聞いて意見を述べ、これらをもとに国家戦略特区認定に権限を有する内閣府が、その責任において判断したことなのでしょう。これらについて適正に行われたという説明を、具体的な根拠の提示と共に果たせばよいだけのことです。[v]

・・・・・

と解説している。

 

(3)「石破4条件」の付与された意味

 安倍政権の看板政策であるアベノミクスの「第三の矢」そのものである『日本再興戦略』の2015年改訂版に盛り込まれたのであるから、「獣医師養成系大学・学部の新設」に向けて積極的な取り組みが行われることが決定したと普通の人は思うだろう。実際、今治市内閣府に初めて正式に提案を説明したのが6月5日[vi]、2015年改訂版が閣議決定されたのが6月30日であるから、内閣府に対する正式説明の前に事務方で事前協議を行っており2015年改訂に本件を滑り込みで挿入するために6月初旬に説明の日程を組んだものと思われる[vii]。この後、今治市の提案は[viii]広島県とセットされ「広島県今治市」として国家戦略特別区として指定されることが、同年12月15日の国家戦略特別区域諮問会議で決定され、翌2016年1月29日付政令により正式に指定される。

 この諮問会議後、石破大臣(当時)は記者会見で「国家再興計画では4つの項目が付されていたが、今回、今治市の獣医師系の国際教育拠点整備構想が区域指定されたことで、緩和されたのか」と問われたのに対し、以下のように明確に否定している。

 ・・・・・

 これはそういうものではございません。獣医学部の新設は、今治市がご提案なさいました内容の一つではございますが、今回の指定によって新設が決定されたものではございません。ご指摘のように、本年の6月30日に日本再興―再び興すと書くほうですが―再興戦略を閣議決定をしておるわけでございます。「日本再興戦略改訂2015」というものでございますが、獣医学部の新設につきましては、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行うというふうに書かれておるところでございます。その検討とは何かと言えば、現在の提案主体による、この場合には今治市でございましょうか。現在の提案主体による既存の獣医師養成ではない構想が具体化するということが一つ。どういうように獣医師さんを養成していきますか、既存のものとは違いますよという構想が具体化するということが一つ。

 2番目はライフサイエンスなどの獣医師の皆様方が新たに対応すべき分野における具体的な需要というものが明らかになること。かつ、既存の大学・学部では、対応が困難な場合、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行うということになっておるわけでございます。これは閣議決定でございますので、当然今回の指定ということの前に、閣議決定というものがあるものでございます。

 ですから、従来の獣医師さんの養成ではない構想というものは、具体的にどういうことなんだと。そして、そういうものに対して、具体的に需要がありますよということ。そして今、獣医学部、あるいは獣医学科というものが全国にあるわけでございますが、それでは対応が困難でありますということ。また、獣医師さんの需要というのが、これが医師の場合には、やれ足りないとか、いやそうではない、偏在しておるのだとか、いろいろな議論があるわけでございますが、獣医師の皆様方の場合には、一体どれぐらいの需要があり、どれだけの供給がなされているのかということが、きちんと解析されたかと言えば、そうではないわけであります。獣医師のライセンスをお持ちであっても、牛でありますとか、馬でありますとか、そういう産業用動物の対応に従事をされる方々と、いわゆるペットの需要に対応される方々と、二通りあるわけでございますが、そういうようなあえて言えば、需要の動向というもの、余り需給という言葉がふさわしいとは思いませんので、需要の動向っていうのは、いま一つ不分明なところがございます。そういう解析もきちんと行うということでありまして、今検討を行っておるところでございます。

 それは全国的見地からなされるものでありまして、その日本再興戦略改訂の2015というものが大前提であることは、全く変わっておりません[ix]

 ・・・・・

 石破氏の言葉を長く引用したのは、この条件は極めて高いハードルと理解されているというニュアンスがにじみ出ると考えるからだ。獣医師資格が国家資格として規定されているため、その教育内容はそれなりに定まってくる。従って「既存の大学・学部では対応が困難な事由」を想定することは極めて難しい。人獣共通感染症のような新たに獣医師が対応しなくてはならない事由が出てきても、既存の獣医大学・学部は彼らの研究内容はもちろん、当然その教育内容も変更し、必要によっては資格試験の内容も含めて教育課程を見直すことは行われる。近年の獣医学の世界では人獣共通感染症こそが最大のテーマであって、北海道大学でも喜田宏教授のような有名人を看板に立てて大型研究費取得に邁進している。既存の獣医学部では、こうした新たな喫緊の課題に対応するため、医学部や農学部はもちろん、遺伝子解析の情報解析技術のような分野で工学部との連携を深めており、むしろ既存の獣医系学部の統合・再編を図り、研究組織の統合を図るべきではないかという意見もある[x]。そうした中で、学部を新設し、新たに教員を公募し、既存の機関の手に負えない分野を担うと説明することは極めて高いハードルとなろう。

 実際、この4条件は獣医師養成系大学・学部の新設を阻止にする意図で書き込まれたと推察できる証拠が、日本獣医師会関連の会合議事録にある。日本再興戦略の閣議決定の10日後、2015年7月10日に行われた「全国獣医師会事務・事業推進会議」の議事録に、北村直人・日本獣医師政治連盟委員長からの活動報告として以下のような発言が行われたという記載がある。興味深いので長文になるが引用しておこう。

 ・・・・・

 それからもう一点、日本獣医師政治連盟として、今まで新しい獣医師養成大学・学部の設置については反対をしてまいりましたが、本件について最終的に先日閣議決定がなされました。骨太方針あるいは成長戦略という言葉をニュース等々で皆様も目にされたと思います。その中に、本当に小さく獣医師養成大学・学部の新設に関する検討という項目が出てまいります。その部分を読ませていただきますと「現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要があきらかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う」という文言が出てまいります。3つの条件が付いています。つまり、新しい大学を作りたいところが既存の獣医師養成機関でないという構想が具体化すること、次に、獣医師が新たに対応すべき分野の需要の養成があるということが2つ目、かつ、16獣医学系大学で対応できない場合ということが3つ目の条件となりますが、その獣医師養成の大学・学部の新設の可能性はこの3つの条件によりほとんどゼロです。16獣医師系大学で対応できない獣医師はいない訳ですから、現在の獣医師学系大学でこれらができるということは当然です。石破担当大臣と相談した結果、最終的に「既存の大学・学部で対応が困難な場合」という文言を入れていただきました。ただし、今後もこの問題は尾を引いてくると思います。つまり、日本の最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組みになっておりますので、こういう文言を無視して作ることは可能です。内閣がもしこれを行うのであれば私たちは現在の内閣に対して敵に回らざるを得ないのですが、獣医師会としては抵抗勢力にはなりたくない。抵抗勢力としてマスメディア等々で取り上げられ、獣医師会は抵抗勢力である、訳の分からないことを言っている団体だということになりますと、世論の風当たりは強いものとなります。日本獣医師政治連盟といたしましては、先ほど申し上げました3つの条件は、既存の16獣医学系大学が今回の答申に対するコメントをするべきであるということがわれわれの見解です。そして、16大学から日本獣医師会、日本獣医師政治連盟による具体的な検討・対応を行うことが本筋であると考えております。

 最終的には、今回の獣医師養成大学・学部の新設については、どこを読んでもこれを覆すような状況は一つも見当たらない。つまり、新しい獣医学系大学・学部の設置はできないということが今回の骨太方針、成長戦略の文言に書いてあると考えております。これをクリアする新たな獣医師の資格を作るのであれば別だと思われますが、現状では設置できないということが日本獣医師政治連盟としての見解です。繰り返しになりますが、日本の最高責任者がもし失言するようなことがあれば、できないことはないということはわれわれも腹にすえておかなければならないということだけ、ご報告させていただきます[xi]

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 要するに石破大臣に要請して「既存の大学・学部では対応が困難な場合」という文言を書き込んだことにより、新設可能性はほとんどゼロになったと報告しているのである。ちなみに北村直人氏は、元衆議院議員であり、宏池会に所属していたため石破氏とは派閥は異なるが、初当選が同期というで個人的に親しい関係とされる。国家戦略特区という制度では、決定は一元的に内閣総理大臣の認定によるものとされており、諮問会議等の意見を聴取する手続きは要するものの、総理が決断しさえすればどのような規制改革もできてしまう。経験豊富な北村氏は、このことを熟知しており懸念を示しておくことを忘れていない。この認識は、都道府県獣医師会会長を集めて同年9月に開催された全国獣医師会の理事会においても、北村直人氏から繰り返されている。

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 なお、昨日(筆者注:2015年9月9日)、藏内会長とともに石破茂地方創生大臣と2時間にわたり意見交換をする機会を得た。その際、大臣から今回の成長戦略における大学、学部の新設の条件については、大変苦慮したが、練りに練って誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にした旨お聞きした。このように石破大臣へも官邸からの相当な圧力があったものと考える。しかし、特区での新設が認められる可能性もあり、構成獣医師にも理解を深めていただくよう、私が各地区の獣医師大会等に伺い、その旨説明をさせていただいている。

 秋には内閣改造も行われると聞いており、新たな動きが想定されるが、政治連盟では、藏内会長と連携をとりながら対応してくいので、各位のさらにご指導をお願いしたい[xii]

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(4)「4条件」の下での獣医学部新設要望の取扱い

 「特区」制度は、2002年の小泉政権時の「構造改革特別区域法」においては、地方自治体が地域活動の阻害要因となる規制の特例措置を提案し関係省庁と協議するが、国は財政負担を伴う措置等の支援を行わないこととなっていた。地方自治体の創意工夫による地域間競争を促し、国が行うべき構造改革のアイデアを吸い上げようという趣旨が貫かれたからである。しかし、地域主権改革を掲げた菅内閣の下で2011年に成立した「総合特別区域法」においては、「国際戦略総合特区」と「地域活性化総合特区」が規定され、地域経済の活性化を重視する観点から、規制に関する特例措置に加えて、税制措置、財政措置、金融措置等の支援策を投入することとした。そのため、特区ごとに支援策を検討する「国と地方の協議会」が設置されている。

 安倍内閣における国家戦略特別区域法(2013年)においても、こうした仕組みは継承され、規制改革のメニューそのものは国家戦略特区諮問会議の議長たる内閣総理大臣の裁定により決定されるが、国家戦略特区に指定された区域では国家戦略特区担当大臣、関係自治体の長及び総理が選定した民間事業者によって「国家戦略特区会議」が設けられ、協議の上三者の合意により国家戦略特区計画を作成することになる。

 加計学園獣医学部新設要望も、今治市の他の特区申請[xiii]と、更に広島県の申請とまとめられ「広島県及び愛媛県今治市の区域」として2016年1月29日付で政令指定された[xiv]。これを受けて「広島県今治市 国家戦略特別区域会議」が立ち上がる。石破氏も言及するように県と市で一つの特区というのは「極めて珍しいパターン」[xv]である。しかし、3月30日に開催された第1回会議において獣医学部新設は正式な議題にならず、この時点では区域計画の中にも盛り込まれなかった[xvi][xvii]。この会議では、区域会議の下に「今治市分科会」を設置することが決定され、その議題の一つとして提示されただけであった。なお、この会議に民間事業者側として出席したのは、元文部省官房長で元愛媛県知事であった加戸守行氏であり、この時の肩書は「今治商工会議所 特別顧問」である[xviii]。事実上の加計学園の代理人である。

 今治市の公式の説明によれば、今治市内閣府に対し、国家戦略特区への提案を最初に正式に説明したのは前述したように2015年6月5日であるが、この際には愛媛県庁の職員がパワーポイントスライド2枚、質疑を含めて19分という説明しかしていない[xix]内閣府との公式の議事録に残る国家戦略特区関係の正式な会議としては、そこから2016年9月16日の分科会まで1年3か月時期があくのである。この間の経緯については、現時点で明らかになっていないが、後述する新潟市新潟総合学園の開志大学獣医学部新設要求と同様の極めてネガティブな調整が今治市内閣府及び文科省との間で行われていたものと推察される。

 これが2016年8月3日、第2次安倍再改造内閣の発足時に石破茂氏が担当大臣を外れると一転して動き出す。まず、9月9日の第23回国家戦略特別区域諮問会議において、今後の進め方関する有識者議員からの提言に、「残された岩盤規制改革の断行(「重要6分野」の推進)について」の中で、6分野の一つである「⑥ 地方創生に寄与する「一次産業」や「観光」分野での改革の推進の例として「獣医学部の新設」が例示される[xx]。同月21日に「今治市分科会」が開催され、獣医師養成系大学・学部の新設が提案される。この時の資料はたった2枚である上、冒頭課題として挙げられた人獣共通感染症の例として挙げられたMERSをMARSと誤記するなどずさんなものであった。会議全体の時間は58分、文科省専門教育課長から「石破4条件の確認が重要」、農水省畜水産安全管理課調査官から「引き続き獣医師の需給等の情報提供を文科省に行う」とのコメントがあったのみで、実質的な質疑は行われなかった[xxi]。この分科会の概要が、同月30日の「広島県今治市(第2回)国家戦略特別区域会議」(東京圏、福岡市・北九州市と合同で開催)[xxii]において報告された。

 これを受けて10月4日に第24回国家戦略特別区域諮問会議が開催される。この会議で改訂が認定された区域計画には、引き続き獣医学部新設は盛り込まれていない[xxiii]。当日配布された議事次第、説明資料、配布資料及び参考資料の中に「獣医学部新設」には一言も言及がない。

 しかし、議事の中で司会を務める山本幸三地方創生担当相から、質疑項目の説明に引き続き、「このほか、先月21日に、今治市の特区の分科会を開催し、『獣医師養成系大学・学部の新設』などについても議論いたしました。」と言及される。その後、有識者議員を務める八田達夫大阪大学社会経済研究所招聘教授から今後の進め方に関する有識者議員連名の提言について説明(その中にも「獣医学部新設」には言及がない。)があり、それに付け加える形で以下のような発言が行われる。

 ・・・・・

 最後に、先ほど今治市の分科会での話が出ましたので、ちょっとそれについて、この民間人ペーパーからは離れますが、私の意見を申し述べさせていただきたいと思います。今治市は、獣医系の学部の新設を要望しています。「動物のみを対象とするのではなくてヒトをゴールにした創薬」の先端研究が日本では非常に弱い、という状況下でこの新設学部は、この研究を日本でも本格的に行うということを目指しています。さらに、獣医系人材の四国における育成も必要です。

 したがって、獣医系学部の新設のために必要な関係告示の改正を直ちに行うべきではないかと考えております[xxiv]

・・・・・ 

 この発言を受けて、同じく有識者議員を務める竹中平蔵東洋大学教授が続ける。

・・・・・ 

 アーリーサクセスという言葉があります。早い時期にちゃんとした成功事例をつくる。今回、内閣を改造されて2か月、私はこの内閣は既に多くのアーリーサクセスを作っていると思います。とりわけ、山本大臣のもとで、特区について、このアーリーサクセスは私は海外からも評価されていると思います。例えば、家事支援の外国人労働。今日出ました区域会議の共同事務局、今日は鈴木先生(筆者注:鈴木亘・学習院大学経済学部教授、東京都顧問)がお見えです。それと、民泊の上限を7日から大幅に縮小したこと。重要な点は、このアーリーサクセスを継続していかに加速するかということが私たちの重要な役割なのだと思うのです。

 その点で、今日提案がありました海外からの農業人材の確保でありますとか、小規模保育の全年齢化は、極めて重要であると思います。それに加えて、獣医学部、これはいろいろな御意見があることは承知しておりますけれども、私はやはりこれをこのアーリーサクセスの中にどうしても入れていくことが必要なのではないかと思います。

 御承知のように、来年、38年ぶりに新しい学部(筆者注:東北薬科大学の医学部新設。2015年8月に大学設置審議会で認可。東日本大震災からの復興支援策として新設が認めれらたものであり、特区を利用してではない。)ができます。38年ぶりです。でも、獣医学部はそれ以上にわたってつくられていません。言うまでもありませんが、鳥インフルエンザとか、SARSとか、今、人間の病気といわゆる動物の病気というものは区別がつかなくなっているわけで、その最先端を行くためにも、これはどうしても必要なのではないかと思います。(後略)[xxv]

 ・・・・・

 諮問会議は安倍総理が議長を務めるもので、この回の開催時間は全体で33分と短い。獣医学部新設に関しては有識者議員の言いっぱなしであった。

 しかし、翌11月9日の第25回諮問会議においては、山本幸三地方創生担当相から「前回の会議で、重要課題につきましては、法改正を要しないものは直ちに実現に向けた措置を行うよう総理から御指示をいただきましたので、今般、関係省庁との合意が得られたものを、早速、本諮問会議の案としてとりまとめたものであります。[xxvi]」として、「国家戦略特区における追加の規制改革事項について(案)」として、項目追加が提案される。具体的には、以下の項目である。

 

 〇 先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応   する獣医学部の設置

  • 人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な動物実験を用いた先端ライフサイエンス研究の推進や、地域での感染症に係る水際対策など、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するため、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。

 

 臨時議員として参加していた松野博一文部科学大臣からは「文部科学省におきましては、設置認可申請にかかわる基準に基づき、適切に審査を行ってまいる考えであります。」、山本有ニ農林水産大臣からは「産業動物獣医師は、家畜の診療や飼養衛生管理などで中心的役割を果たすとともに、口蹄疫鳥インフルエンザといった家畜伝染病に対する防疫対策を担っており、その確保や大変重要でございます。近年、家畜やペットの数は減少しておりますけれども、産業動物獣医師の確保が困難な地域がございます。農林水産省といたしましては、こうした地域的課題の解決につながる仕組みとなることを大いに期待しておるところでございます。」とだけ発言があった[xxvii]

 これに対して、麻生太郎財務大臣から以下の通り懸念が示された。

 ・・・・・

 松野大臣に1つだけお願いがある。法科大学院を鳴り物入りでつくったが、結果的に法科大学院を出ても弁護士になれない場合もあるのが実態ではないか。だから、いろいろと評価は分かれるところ。似たような話が、柔道整復師でもあった。あれはたしか厚生労働省の所管だが、規制緩和の結果として、技術が十分に身につかないケースが出てきた例。他にも同じような例があるのではないか。規制緩和はとてもよいことであり、大いにやるべきことだと思う。しかし、上手くいかなかった時の結果責任を誰がとるのかという問題がある。

 この種の学校についても、方向としては間違っていないと思うが、結果、うまくいかなかったときにどうするかをきちんと決めておかないと、そこに携わった学生や、それに関わった関係者はいい迷惑をしてしまう。そういったところまで考えておかねばならぬというところだけはよろしくお願いします。

・・・・・ 

 これに対し、八田達夫議員から以下のような発言があった。

・・・・・ 

 今度は、獣医学部です。

 獣医学部の新設は、創薬プロセス等の先端ライフサイエンス研究では、実験動物として今まで大体ネズミが使われてきたのですけれども、本当は猿とか豚とかのほうが実際は有効なのです。これを扱うのはやはり獣医学部でなければできない。そういう必要性が非常に高まっています。そういう研究のために獣医学部が必要だと。

 もう一つ、先ほど農水大臣がお話しになりましたように、口蹄疫とか、そういったものの水際作戦が必要なのですが、獣医学部が全くない地方もある。これは必要なのですが、その一方、過去50年間、獣医学部は新設されなかった。その理由は、先ほど文科大臣のお話にもありましたように、大学設置指針というものがあるのですが、獣医学部は大学設置指針の審査対象から外すと今まで告示でなっていた。それを先ほど文科大臣がおっしゃったように、この件については、今度はちゃんと告示で対象にしようということになったので、改正ができるようになった。

 麻生大臣のおっしゃったことも一番重要なことだと思うのですが、質の悪いものが出てきたらどうするか。これは、実は新規参入ではなくて、おそらく従来あるものにまずい獣医学部があるのだと思います。そこがきちんと退出していけるようなメカニズムが必要で、新しいところが入ってきて、そこが競争して、古い、あまり競争力がないところが出ていく。そういうシステムを、この特区とはまた別にシステムとして考えていくべきではないかと思っております。

・・・・・ 

 根本思想が共有されていないことが明確である。麻生副総理・財務大臣規制緩和で学部・大学を作って、失敗した時は学校法人が倒産して終わりということで良いのか?養成された獣医師の質の確保の維持・向上の方法と、学校法人の経営がいきずづまった時、通常の商法・会社法といった通常の商取引と同様に処理してよいのかを問うている。法科大学院の例があるからである。これに対し、八田教授は市場原理に従った適者生存で良いし、現在獣医師を巡る問題が出てきているのは、既存の16の獣医系大学・学部の中にレベルの低すぎて退場すべきものがあるからだと言いきっているのだ。

 しかし、続く議論はなく異議なしとして承認されてしまう。麻生副総理・財務大臣といえども諮問会議においては「議案を限って、議員として、臨時に会議に参加させることができる」(法33条2項)臨時議員でしかないからである。これにより「現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設」が認められる、即ち、広域的地域として既存の獣医師系養成大学等のない四国に限り獣医学部の新設を認める方針が決定されたのである。

 諮問会議後、山本地方創生担当相は記者団の質問に対し、以下のように答えている。

・・・・・ 

問: 獣医学部の設置についてお伺いいたします。

  今治市など複数の特区が提案を出していると思うのですけれども、どこを一番有力視してやっていかれるのでしょうか。

答: 本件は、これから制度を作るのですけれども、限定された、獣医学部が基本的に広域的存在しないようなところを念頭に置くことになりますが、まず制度を変えて、それから具体的に申請等が出てくることになりますので、現時点ではどこだという話は今のところできません。

問: 地域選定のスケジュール感というのはどのようにお考えですか。

答: 近々に制度自体は作るようにしますので、その後、区域からの申請を受けて、それからの話となると思います。早ければ、年内も申請という話になってくるのではと思います。

問: 基本的には、今ある特区の中で選定していくというイメージで構いませんでしょうか。

答: 特区の制度ですから、特区の中から申請を受けて検討します。

問: 新たに特区を指定することを念頭においては。

答: 今は、そこまでは考えておりません。

問: 文科省の告示を変える必要があると思いますが、それは新たな告示を出すというイメージなのか、それとも今ある告示を改正していくというイメージなのか具体的に検討されてますでしょうか。

答: 今ある告示を改正することになるのかなと思いますが、正確には文部科学省に聞いてください。

・・・・・ 

 8月3日に山本幸三氏が担当大臣に着任して3か月、石破4条件の確認が重要との認識が再確認された今治市分科会から6週間、4条件には一言も議論されないまま、方針が決定されたのである。

 この方針の決定を受けて、獣医学部新設を禁止していた文科省告示を解除する告示案がまとめられ「上記趣旨を満たす平成30年度に開設する獣医学部の設置」と期限を付した上で、11月18日から12月17日の期間でパブリックコメントの募集手続きが行わる。結果は2017年1月4日に公示されるが、同日付で告示案は内閣府文部科学省共同告示といて正式に定められる。

 更に、同日付で、実際に今治市獣医学部を新設しようとする事業者の公募(形式的には「広島県今治市国家戦略特別区域会議構成員(特定事業を実施すると見込まれる者)の公募」)が11日までの起源で行わる。10日に応募した加計学園以外には応募があるはずもなかった。

 翌12日、この結果を審議する第2回今治市分科会が開催され、初めて加計学園が区域会議構成員として承認され、学園側から獣医学部の新設構想について公募資料に基づき説明が行われた。しかし、この会議も今治市の特区で同時に認定さえた道の駅設置者民間拡大事業についての説明とあわせて46分と短く、獣医学部の4条件に合致するかを認定するための議論はない。最大の焦点である「既存の大学・学部では対応が困難な場合」を満たすためにどのような教育内容が行われるかについても「実際のカリキュラムが明らかになってシラバスの内容が出てきたときに、かなり詰めていかないとならないとはおもっております。[xxviii]」という段階である。大学から大学院レベルの講座の場合、学問分野や実務経験が講座の内容に合致する教員でなければ講義などできない。新設の学部・大学院の場合、カリキュラムの詳細は担当予定教員自身が、カリキュラム全体の趣旨を理解した上で、それぞれの講座(通常4単位、90分授業で15回程度)のそれぞれの講義で具体的なアウトラインと参考文献等を例示したシラバス(講義案)を作成しなければならない。そのためには、申請時点で当該講座の担当予定教員が内定していなければならない。設置審では、それぞれの講座ごとに担当予定教員の学歴、職歴、研究業績が審査され、当該講座を教える教員としてふさわしいかどうかが審査されることになる。加計学園はこの2か月後に設置審に申請しているわけだから、どのように間に合わせたというのであろうか。

 こうして、北村直人氏が懸念した通り、4条件は歯止めとしての機能を果たすことなく、獣医学部新設が決定した。石破氏自身も自分の離任後わずか3か月で新設が内定したことに関し、不信感を示している。

 ・・・・・

 不思議ですよね。なぜ大臣が代わることでこんなに進むのか。新たな条件がでるのか。世間で言われるように、総理の大親友であれば認められ、そうじゃなければ認められないというのであれば、行政の公平性という観点からおかしい。[xxix]

 ・・・・・

 

[i] もちろん加計学園も、不認可になったとしても条件を満たすよう再申請することは可能である。

[ii] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/dai2_3jp.pdf

 

[iii] 後述するように、京都産業大学が新設要求を断念せざるを得なくなったのは2016年11月9日の国家戦略特別区域諮問会議において「現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」との限定を付されたからである。

[iv] 石破茂オフィシャルブログ 2017年6月2日付http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

 

[v] 出典同上 石破氏は6月2日の時点で書いているから、内閣府側の説明責任問題と書いているが、ここでは審査のプロセスで内閣府部内で閣議決定は扱われた経緯を説明している。

[vi] 今治市のホームページによれば6月4日となっているが、内閣府側の議事録では6月5日である。

[vii] 今治市ホームページ 国家戦略特別区域これまでの流れhttp://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kokkasenryaku_tokku/

 

[viii] 今治市自身も「しまなみ海道今治新都市を中核とした国際観光・スポーツ拠点の形成」事業を追加提案している。

[ix]石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年12月15日http://www.cao.go.jp/minister/1510_s_ishiba/kaiken/2015/1215kaiken.html

 

[x] 国公立大学の獣医学系学部の再編・統合が平成10年代に検討されていたが、結局合意を見ることがなかったが、2012年度より、北海道大学帯広畜産大学(共同獣医学課程)、岩手大学東京農工大学(共同獣医学科)、山口大学鹿児島大学(共同獣医学部)の3組において、2013年度からは岐阜大学鳥取大学において、共同教育課程の取り組み(共同獣医学科)が開始されている。

[xi] 日本獣医師会雑誌  第68巻 第9号 2015 546~547

http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06809/a2.pdf

 

[xii] 日本獣医師会雑誌  第68巻 第11号 2015 670 http://nichiju.lin.gr.jp/test/html/mag/06811/a2.pdf

 

[xiii] 今治市しまなみ海道今治新都市を中核とした国際観光・スポーツ拠点の形成」・国家戦略特別区追加指定提案2015年12月8日http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h27/150605imabari_shiryou01.pdf

 

[xiv] http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H26/H26SE178.html

 

[xv] 広島県今治市国家戦略特別区域会議(第1回)2016年3月30日における石破大臣発言 議事要旨10頁 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/hiroshimaken_imabarishi/dai1/gijiyoushi.pdf

 

[xvi] 広島県今治市 国家戦略特別区域 区域計画 2016年4月13日 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/pdf/kuikikeikaku_hiroshimaimabari_h280413.pdf

 

[xvii] 各指定特区毎の諮問会議の経過報告を行った国家戦略特別区域諮問会議(第21回)(2016年4月13日)においても今治市関連報告部分には獣医学部新設に関しては触れられていない。

[xviii] 国家戦略特別区域法は、当該特区で行うと認められた「特定事業を実施すると見込まれる者」を特別区域会議に正式な構成員として加えることを認めている(法7条2項)しかし、それは「公募その他の政令で定める方法に選定」(同項)された者であるから公募で選ばれる必要がある。加計学園岡山理科大学今治市の特区に獣医学部新設事業者として公募(公募期間は2017年1月4日から11日)に応じたのは2017年1月10日であり(毎日新聞2017年1月11日地方版)、1月12日の第2回今治市分科会で特区会議の構成員に加えることが決定し、1月20日広島県今治市特別区域会議に報告されている。

[xix] 国家戦略特区ワーキンググループ・ヒアリング(議事概要)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h27/150605_gijiyoushi_01.pdf

 

[xx] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai23/shiryou3.pdf

 

[xxi] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/hiroshimaken_imabarishi/imabari.html

 

[xxii] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/160930goudoukuikikaigi.html

 

[xxiii] 区域計画の改定の正式認定は2016年10月4日の第24回国家戦略特別区域諮問会議による。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/pdf/kuikikeikaku_hiroshimaimabari_h281004.pdf

 

[xxiv] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai24/gijiyoushi.pdf

 

[xxv] 同上

[xxvi] 第24回諮問会議において、安倍総理は会議の閉会のあいさつとして「法改正を要しないものについては直ちに、法改正を要するものは次期国会への法案提出を視野に、それぞれ実現に向けた議論を加速してまいります。」と述べてがだけである。

[xxvii] http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai25/gijiyoushi.pdf

[xxviii] 吉川泰弘・加計学園新学部設置準備室長のコメントhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/hiroshimaken_imabarishi/imabari/dai2_gijiyoushi.pdf

 

[xxix] 週刊文春2017年4月27日付、30頁

ちゃんとわかりたい人のための前川問題 -加計問題にみる政官関係― part 2

2.文書が本物と立証されたところで問題は何一つ解決しない

 マスコミと野党の焦点は、この文書が本物の文科省職員が作成したメモであるかどうかに集中しているが、それでは大した意味がない[i]

 役所の中では日々、膨大な情報がメモ書きされ共有されている。その中には根拠のないうわさも含まれる。流言飛語や怪文書の類であっても、それにより現実の政策形成に影響されるのであれば、否定を含めてそれなりの対応が必要になるからである。「官邸の最高レベルのご意向」という情報があったとしても、文科省としては①無視する(聞かなかったことにして淡々と省庁側の判断で推し進める)、②「官邸の最高レベル」に直接コンタクトできるレベルが本当にそうした「ご意向」であるかを確認する(確認されてあえて認める可能性は低いことを確認することは反対の意思を伝えることに等しい)、③「ご意向」に従い忖度して進めるという選択肢のどれを選択するかを判断する必要がある。官僚の決定は、政治家によって民主的正統性を初めて付与される以上、官邸のご意向を予想して対応を決めるのは当たり前のことに過ぎず、「ご意向」を受け止めたとしてもそれが直接問題となるわけではない。

 加えて、内閣府担当審議官から「官邸の最高レベルのご意向」という発言が文科省の内部文書に記載されていたとしても、それで何かが立証されることにはならない。内閣府担当審議官にしてみれば、自分はそうしたことは言っていないし、文科省側の記録にそうした記載があったとしてもメモの作成者の誤解だと言い逃れることが可能である。実際に本人は「内閣府として『官邸の最高レベルが言っている』とか『総理のご意向だと聞いている』というふうなことを申し上げたことは一切ない」「総理からの指示等も一切ない」と国会で否定している[ii]文科省側が音声記録まで残していて、審議官が実際にそうした発言をしていたことが明白になったとしても、審議官自身がそう思っていたことが立証されるだけであって、官邸が圧力をかけていることの証拠にはならない。

 そもそも国家戦略特区の話である。各省庁に任せていては既得権や過去の経緯によって新しい挑戦ができないから、官邸主導の特区の枠組みで岩盤規制を突破しようというのである。各省庁から見て政治的圧力すら感じられないのであれば意味がない。文書が実物とわかっても官邸側に失うものなど本来何一つない。

 結局、文書の真実性を問うのは稚拙だ。安倍総理のいう印象操作以上の価値をもたない。もちろん、印象操作は内閣支持率に影響するから、政治的攻勢の一つとして意味があるが。

 なお、今日(9日)になって、松野文科相は閣議後記者会見で、存在の有無を再調査すると発表した。想定通りというほかない。しかし、今回の対応は官僚に対し極めて大きな影響を与える。後述するように官邸の前川前次官に対する激しい人格攻撃は、官僚の萎縮を招くであろうし、情報の省内共有手続きがこうして広く知られることになったことで、こうした部内文書の管理は一層徹底され政策決定過程の透明性は著しく後退することになると考えられるからである。影響は好ましい方向であるはずがない。

 

[i] もちろん僕は、そうした報道は野党としても不本意だろう。しかし、国会の中での議論を逐一フォローしている国民はいない。野党の攻め方とマスコミの報道姿勢のどちらに問題があるかは現時点でよくわからない。断片的な情報で批判することはお許しいただきたい。

[ii] 朝日新聞2017年5月18日http://www.asahi.com/articles/ASK5L3HG7K5LUTIL00X.html

 

ちゃんとわかりたい人のための前川問題 -加計問題にみる政官関係- part 1

 文部科学省の前川喜平・前事務次官の告発によって、政と官の関係が注目を集めている。多くの人が様々な議論を提起しているが、問題点が整理されておらず隔靴掻痒そのものだ。結論を言うと、この問題は大問題だ。

 まず、高等教育機関の設置を「特区」という極めて部分的措置を議論する枠組みで決定してはならない。岩盤規制突破のために各省庁の抵抗を政治主導で突破するという大義は重要だが、本件はそういう種類の問題ではない。加えて、官僚の独立性は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(憲法15条2項)によるものであって、総理大臣が言っているからだの官房長官に人事権が握られているからだのと言うべきことを言わないのは公職に奉職する者として自殺行為だ。文科省は、大臣も幹部職員もモゴモゴ言っているだけでロクに反論もしないのであれば存在価値がない。問題の背景を適切に理解していない似非有識者の感情的コメントに流されてはならない。加えて、前川前次官の告発の意味はワイドショー流に過大評価すべきではない。

 僕は、大学教員として学部新設事務の経験と官僚としての経験の両方を持ち、学者としても論文を書いたことがある専門家の一人として書いておく必要があると思う[i]

 

1.文書はホンモノであることは明白

 問題は、愛媛県今治市加計学園の経営する岡山理科大学獣医学部を新設要求に文科省として疑義を呈していたことに対し、国家戦略特区制度を所管する内閣府の担当審議官が「官邸の最高レベルが言っていること」として押し切った経緯を記した文書が文科省側から流出したことである[ii]。菅官房長官が記者会見で出所不明な「怪文書のようなもの」と切り捨て、松野文科大臣も「行政文書としては存在が確認できない」としていたのに対し、文書の流出元と噂される前川前事務次官が記者会見して「現職時代に自分も見せられた文書であり本物である」と反論したことで、急速に注目を集めた。

 結論から言うと、この一連の文書が本物であることは議論の余地がない。当事者である前川氏や匿名の現職職員が本物であると認めているからである。文書の形式から言っても、添付ファイルで10名程度の関係職員に送られていたことが、併せて流出した送信記録から明らかになっている。最高度の機密情報でメモにもならない例外もあるが、中央省庁では何でもメモにして記録する。役所は組織で意思決定するので、情報が共有されていることも記録する必要があるからである。文書を添付ファイルでメールを送るという行為は、その情報が組織のどの範囲で共有されているかを確認し記録する行為でもある。

 念のために言うと、直接にせよCCにせよメールで送るということは、相手にプリントアウトして読めということ要求していることになる、しかし、局長や局次長に当たる審議官といった偉い人は、自分でメールを開いてプリントアウトするといった面倒くさいことは普通はやらない。偉い人には、プリントアウトした紙を持ち込んで説明するか、秘書に渡しておく。CCの欄に局長級まで含まれているのは、他の関係者に彼らにも情報が届いていることを確認させるためである。

 こういう背景を理解すれば、この一連の文書は最高機密情報とは意識されていたわけでないことがわかる。内閣府文科省の打ち合わせの場合、とりまとめ側である内閣府に対応側である文科省が出向く形が通常であり、「打合せ概要」と題された議事録には文科省側の出席者は専門教育課長と(同課の)課長補佐の2名の記載しかないから、文科省から2名しか出席しなかったものと思われる。役所に戻って課長補佐氏がメモを作成し、課長の了解を得たうえで、課長補佐の下の企画係長がメールで関係各所に送信したのだろう。送信先民進党が公開時に黒塗りしているので不明であるが、14アドレスに送信されている。CCアドレスの中に課長名しかなかったとしても、課長は課内の担当者にも文書を渡している可能性が高く、CCで挙げられている者以外にも同じ文書を持っている関係者はいるだろう。従って、この程度の情報を秘密にしておくのは困難であって、文書の真実性が明らかになるのは時間の問題でしかない。

 

 

[i] 宮本 融 「日本官僚制の再定義-官僚は「政策専門家」か「行政管理者」か?-」日本政治学会編『年報政治学』2006-Ⅱ 木鐸社 2007年3月

[ii] 文書の一部を、民進党加計学園疑惑調査チームがHomepageで公開している。https://www.minshin.or.jp/article/111935/%E5%86%85%E9%96%A3%E5%BA%9C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%9C%A7%E5%8A%9B%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%82%92%E5%85%B1%E6%9C%89%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%90%A6%E3%82%92%E8%BF%BD%E5%8F%8A%E3%80%80%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E7%96%91%E6%83%91%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0

トランプにとってのアメリカ第一主義

 「America First! America First!」と就任演説で叫んだ映像があまりにも印象的だが、トランプ大統領の政策を規定するワードは「アメリカ第一主義」であることには異論はなかろう。しかし、その中身は少々誤解があるように思っている。

 選挙キャンペーンで、「アメリカ第一主義」として主張されていた内容は、雇用、特に製造業における雇用をアメリカ国内に取り戻すということだ。メキシコ、中国、日本、ドイツをやり玉にあげ、保護主義的な手段を用いても雇用を取り戻すという主張は、Rust Beltと呼ばれる五大湖沿岸の自動車や鉄鋼を中心とする衰退した製造業を多く抱える州で支持を拡大し大統領選挙における勝利の最大の要因となった。これら諸州では労働組合の政治的影響力が大きく、民主党の強いいわゆるBlue Stateと呼ばれているところであったから、これらの州における逆転勝利がヒラリー・クリントン候補優位を崩す決定的要素となった。外交政策においても、世界平和のために貢献することはアメリカにとって重荷になっており、自分自身の国益をもっと追及すべきだと主張しており、孤立主義的な政策を志向していた。そのためドイツや日本が米軍の抑止力にただ乗りしており、対等の責任を果たしていないと繰り返し主張しており、アジアにおけるアメリカのプレゼンスも見直すのではないかと懸念されていた。

 

アメリカ政治における外交とナショナリズム

 しかし、アメリカ政治において「America First」との主張の意味するところは、日本において「日本自身の国益追及」という主張の意味するところとは本質的に異なる。トランプがいくら移民排斥を主張しようとも、アメリカという国家が移民によって成り立っているという基本は動かない。世界中からの移民によって成り立つ国であるということは、それぞれの移民の出身国の政治問題がダイレクトに国内政治の課題になるということなのだ。

 典型的な例は中東和平だ。アメリカはイスラエルを巡る中東和平に関わるのは、世界のリーダーとして中東和平が重要課題であるとか、中東情勢が石油利権の確保にとって重要であるといった解説をよく目にするが、本質的にはそれが国内政治そのものの問題であるから関わらざるを得ないというのが現実だ。金融関係にユダヤ系が多いことはよく知られているが、国際政治の専門家にもユダヤ系はたくさんいる。選挙となればユダヤ系資本はイスラエル寄りの外交政策を主張する候補者に資金援助するし、ユダヤ系市民の多い地域においてユダヤ票は決定的に重要となる。

 ボストンは、アメリカにおけるユダヤ人の国家建設を求めるシオニズム運動において歴史的にNYに次ぐ重要拠点であった。ボストン最大のユダヤ人街はチャールズ川の南、レッドソックスの根拠地であるフェンウエイ球場から西に車で10分くらい走ったBrookline市のCoolidge Corner周辺が一番の「ユダヤ人街」である。僕はこのあたりに1年住んでいたことがある。黒い大きなつばの帽子に黒いコート、長いあごひげを生やした典型的なユダヤ教の服装の紳士を多数見かけるし、ユダヤ教の戒律に従ったKosher料理のレストランや食材店も集中しているちょっと変わったエリアだ。Harvard Streetを北上すればHarvard Squareまで10分もかからずに行ける便利な場所だし、BostonのDowntownまで地下鉄Green Lineですぐという場所である。ボストン大学のサイトにこの地域の観光案内がある。

https://www.bu.edu/today/2008/getting-to-know-your-neighborhood-coolidge-corner/

ここで紹介されている、典型的なユダヤ料理を出す軽食屋のRami’sとかZaftigs Deliなんかは週1以上のペースで通っていた。

 しかし、この地区の観光名所はJFK National Historic Siteだ。83 Beals Street, Brookline, MAは、ちょうど100年前、1917年にケネディ大統領が生まれた場所なのだ。

https://www.nps.gov/jofi/index.htm

大統領となるJohn Fitzgerald Keneddyの父親であるJoe Kennedy Sr.は、アイルランド系移民の3代目としてボストンに生まれ、Boston Latin SchoolからHarvardに進学する。卒業後、州の銀行検査官となったが、州選出の下院議員であった父親が大株主であったコロンビア信託銀行が乗っ取り危機に陥っていることをいち早く知り、他の株主の株を怪異集めてこの危機を乗り切ったことで1914年25歳にして頭取に就任する。ここまではwikipedia[i]にも載っているが、買収資金はアイルランド系マフィアがカナダからNew Hampshire州経由で密造酒の輸入で儲けた資金だと言われていることは載っていない。全米最年少の銀行頭取となったJoeは、その年の10月にボストン市長John F. Fitzgeraldの娘Roseと結婚し、ここ83 Beals St.に新居を構える。ユダヤ人街の中に住んだのは、同年の6月にヨーロッパで始まった大戦で軍事物資の輸出が増えることを見越し、海運業を支配するユダヤ資本との関係を強固なものとするためと言われている。このため、当時珍しかった電話をいち早く自宅に設置し、NYの船会社との連絡を密に取っていた。この家で、翌15年に長男のJoseph、17年にJohn Jr.が誕生する。その後、教育熱心だった母Roseは息子たちの教育のために小学校(Edward Devotion School)の近くのさらに大きな家に転居したため、83 Bealsに住んでいた期間は短く、むしろ転居先の方が住んでいた期間は長いのであるが、そこは現在でも他の人物が居住しているため公開されていない。JFKの大統領当選時に近隣の市民が生家の前で当選祝いを行い、この場所が広く知られることになったため、現在はNational Historic Siteとして当時の内装まで復元して夏期には一般公開されている。ケネディ家の歴史には、アイルランド系、イタリア系、ユダヤ系といった伝統的エリートであるWASP(White, Anglo-Saxon, Protestant)ではない勢力との密接な関係が見え隠れする。2度の世界大戦を通じ世界帝国へと変質していく中で、マイノリティでしかなかったアイルランドカトリックケネディが大統領まで上り詰めていく過程には様々な要素があるのだ。

 トランプ政権の内部においても、ユダヤ系が大きな影響力を持っている。トランプ本人に最も影響力を持つと言われるのは娘のIvankaであるが、その夫であるJared Kushnerは敬虔なユダヤ教徒であり、政治的に親イスラエル路線であるとされる。IvankaはKushnerと結婚するにあたり事前にユダヤ教に改宗しており、中東における諸問題への関心はトランプ家にとって他人事ではない。

 4月7日、トランプ大統領は、自国民に対し化学兵器を使ったアサド政権に対する制裁としての空爆した。このことは選挙戦を通じて主張してきた不介入主義を転換するものとして驚きをもって受け取られた。しかし、アメリカにおけるナショナリズムの特徴を知れば、このことは「驚くべき路線転換」とは言えないことがわかる。

 アメリカにおけるナショナリズムとはどのようなものかについては、アメリカ政治学で様々な議論が行われてきており、ここでは詳述できるようなものではない。乱暴に要約すれば、アメリカをアメリカ足らしめているのは世界一であるというアイデンティティ―であるということだ。そもそもアメリカの独立戦争は、最初から独立を求めた戦いではなかった。むしろ戦っているうちに、自らの正当性を民主主義と自由主義に求めるようになっていき、合衆国憲法にたどり着く。独立戦争をアメリカではIndepencence Warとは言わず、Revolutionary warというが、まさに彼らにとって革命であって独立を求めた戦いではなかったということだ。アメリカのアイデンティティーは、その後のアイルランド系、ドイツ系、東欧系と移民の数もバラエティも拡大するとともに、民族性や宗教ではなく憲法に象徴される理念に求められるようになっていく。第二次世界大戦で、ナチスドイツという人種差別と全体主義という悪魔に対する戦いと位置付けられ、更に亡命ユダヤ人が大量に移民として流入し、更に戦後世界の付加価値生産の半分以上という世界最大の国家へと成長するに至り、理念に基づく人工国家としての性格が完成する。俗っぽく言えば、世界で一番でいることがアメリカなのであって、オリンピックでよく見るようにStars and Stripsの旗を振ってUSA!と叫び金メダルを勝ち取ることによってしか、アメリカが何なのかは確認されない。

 外交経験のないトランプという人物の頭の中はもちろん、政策スタッフも固まっていない新政権において、「アメリカ第一主義」とは何なのかが明確な定義をされているはずはない。無実の市民が虐殺されているのに、世界一の大国アメリカ、世界の正義であるアメリカが何もしないで済まされるのかという疑問は、アメリカの内側から湧いてくるのだ。「世界の警察官をやめる」といったオバマの路線をすべて否定したいトランプにとって、シリア攻撃はためらう必要などなかったはずなのだ。

 注目すべきなのは、White Houseでのシリア空爆の決断において、「アメリカ第一主義」を唱えてきたSteve Bannonは空爆に反対していたことだ。Fake Newsを連発するBritebartの社主であり、外交どころか政治経験も乏しいことが懸念されていたBannonだが、シリア空爆に反対しており、それが彼が国家安全保障会議の常任メンバーから外された理由だという。バノンの反対理由は、合衆国憲法との整合性や国際法的根拠の弱さではなく、「トランプ政権のアメリカ第一主義ドクトリンに即していない」かららしい[ii]。これに対し、トランプの娘Ivankaの夫であり今や大統領最側近であるJared Kushnerはアサド政権に制裁を加えるべしと主張し、大統領はこれを採用した[iii]

 ここから見て取れるのは、Kushnerらにとって「アメリカ第一主義」は国際紛争への不介入や孤立主義を意味するものではないということだ。アメリカの考えるあり得べき国際秩序に対する挑戦には断固たる処置をとるということであり、George W. Bush政権時代のNeo-Conservativeの立場に類似している。共和党主流派の好むところでもある。Kushnerの安全保障政策における影響力は、今後はBannonとの関係ではなく、安全保障問題担当大統領補佐官のH. R. McMasterとの関係で決まっていくものであり、McMasterの影響力が圧倒的なものになりつつある中で、どこまで影響力を持ち続けるか予想は難しいが、政権全体としては中東問題について積極的な行動をとっていく可能性は高いと思う。

 トランプの主張する「America First」とはAmerica über allesと解すべきだと考えている。Deutchland über alles in der Weltといえばもともとのドイツ国歌の1番の歌詞であり「この世界のすべての存在を上回りし国」ということだ。この表現がナチスドイツの覇権主義を象徴するものと批判され、現在では国歌としてうたわれることはまれであるが、この歌詞は十分すぎるほど有名である。1841年にホフマン・フォン・ファラースレーベンが歌詞を書いた時には、神聖ローマ帝国プロイセン等ドイツ語を話す地域がいくつもの国家に分裂しており、夢物語とされていたドイツ民族の統一を願いを込めただけのことであった[iv]。しかも、アメリカ独立、フランス革命と近代国民国家建設が進む中で、遅れた中部ヨーロッパの再編と国民国家建設を願うのは今から見れば普通のことであって、彼が特別に覇権主義であったとはいえない。他方、移民による多民族国家を目指すアメリカにおいて、ナショナリズムとは、帝国主義覇権主義とは常に一線を画すものでなければならず、自由主義と民主主義というイデオロギーと一体としてアイデンティティーを規定するものでなければならない。この文脈では「アメリカ第一主義」は、自国の国益のみを利己的に追及するということにとどまらず、世界最高の正義の体現者としての行動を求められるものになるのである。

 

トランプの「アメリカ第一主義」は進化するか?

 トランプ政権の「アメリカ第一主義」というドクトリンが、どのようなものとなっていくのかは現時点では判断できない。しかし、僕は気候変動枠組み条約のパリ協定への対応がその試金石となると考えている。9日付の報道によれば、月末にイタリアで行われるG7サミット前にパリ協定からの離脱を発表すると見られていたが、判断をサミット後に先送りするとホワイトハウスは発表した[v]

 この過程でもシリア空爆と同じ構造が見て取れる。BannonとPruitt環境保護庁長官が政権公約通り即時の離脱を表明すべきと主張しているのに対し、IvankaとKushnerの二人に加えTillerson国務長官が反対しているというのだ。環境保護庁長官のScott Pruittは、オクラホマ州の司法長官であった人物であるが、エネルギー業界、特に石炭業界との関係が強く、司法長官としても連邦政府温室効果ガス排出抑制のための規制などに関し環境保護庁(EPA)を13回も訴えている[vi]。一部報道では、気候変動の科学的根拠すら否定していると伝えられていたが、長官就任承認のための議会公聴会においてはそれを否定している。こうした経歴から、EPAを破壊するためにトランプが送り込んだ長官というイメージが広がっていた。気候変動問題への対応については、国務省の専門部局がEPAを含め各省庁の意見をとりまとめる権能を持っているが、国務長官のTillerson自身も石油会社の会長であり、この問題に対しては著しく後ろ向きと予想されていたから、今回の情報は意外である。

 国務省の担当次官補のDaniel Reifsnyderは90年代以来この問題を担当するベテランであり、交渉会議の顔であるが、現時点で引き続き国務省のHomepageに次官補として掲載されているから、このまま留任する可能性もある。Bannonらがパリ協定を破棄すべきと主張しているのに対し、閣僚級アドバイザーが本協定の国際的意味を強調し、最低でも条約枠内にとどまり条約の修正を協議すべきだと主張しているというのは、極めて注目すべき点である。客観的にはロシアも中国も参加している枠組みから、世界最大の温室効果ガス排出国のアメリカが離脱することはその国際的威信を大きく傷つけることになることは明らかであるが、選挙キャンペーンの勢いそのままに、TPP離脱と並びパリ協定離脱も表明する可能性が高いと思われていたことを考えれば、相当な路線転換となる。

 ただし、アメリカは京都議定書からも離脱している。その際、Reifsnyderは僕に「離脱することは却ってアメリカの立場を解き放つ(off the hook)ことになる可能性もある」としたたかに語っていた。アメリカの外交を担うスタッフはやわでなない。IvankaにKushnerそれにTillerson長官までパリ協定の価値を認めているというのは心強い。

 

 「アメリカ第一主義」と主張することは、孤立主義になるとは限らない。世界一の国家としての責任を自覚することになる可能性もある。それを期待しよう。

 

[i]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3

 

[ii]Gabriel Sherman, “Trump’s Syria Strike Is Latest Sign of Steve Bannon’s Waning Influence.” http://nymag.com/daily/intelligencer/2017/04/trumps-syria-strike-is-sign-of-bannons-waning-influence.html

 

[iii] Robert Costa and Abby Phillip, “Stephen Bannon removed from National Security Council, Washington Post, April 5, 2017

https://www.washingtonpost.com/news/post-politics/wp/2017/04/05/steven-bannon-no-longer-a-member-of-national-security-council/?utm_term=.e8014904422a

 

[iv] ドイツ大使館ドイツ連邦共和国国歌http://www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/01-Willkommen-in-Deutschland/03-bundeslaender/Hymne.html

 

[v] CNN Trump administration delays Paris climate agreement decision, May 9

http://edition.cnn.com/2017/05/09/politics/trump-paris-climate-agreement-decision/

 

[vi] Mosbergen, Dominique (January 17, 2017). "Scott Pruitt Has Sued The Environmental Protection Agency 13 Times. Now He Wants To Lead It.". The Huffington Post. Retrieved February 7, http://www.huffingtonpost.com/entry/scott-pruitt-environmental-protection-agency_us_5878ad15e4b0b3c7a7b0c29c

ちなみにすべての訴訟に敗訴している。

 

政治に翻弄される日本の牛肉食文化

 日本テレビAnother Sky。今週(2017年4月28日)のゲストは秋元梢。世間的には「千代の富士の娘」のイメージだけだけど、本当はパリコレで活躍するめちゃめちゃ本格的なモデルだという話。だから今週のAnother Skyはパリ。

肉好きゲストのために中条あやみが予約したレストランがObligado(http://obrigado.paris/)。

 前菜が10ユーロくらい、メインが15~20ユーロ、飲み物とデザートで一人1万5千円。住所はパリのど真ん中。フレンチのgrand maisonではないけど、十分に高級なところで肉喰いまくってだからリーズナブル。いいなあ。

  パリのレストランの価格帯は、東京に比べればはるかに安い。大統領選挙の第一回投票で決選投票に残れたMacronが、「高級店で有名人集めて大はしゃぎ。まるで選挙に勝ったみたい。」(http://www.sankei.com/world/news/170425/wor1704250033-n1.html

と批判されたのはLa Rotondo(http://www.rotondemuette.paris/)。モンパルナスの老舗ビストロ。有名人多数ご来席だったのかもしれないけど、六本木のフレンチで豪遊するのとはわけが違う。実際Bistroを名乗ってるわけだし、社会党を離れて39歳で挑む初めての選挙で第一回投票に生き残ったのだから、それなりにうれしいだろう。それを批判するのはちょっとかわいそうだと思う。

  美食の国フランスのこと、手の込んだものが食べられているというイメージがあるが、Steak frites、ステーキにフレンチフライ添えたものをよく食べる。フランス哲学に詳しい向きは、ロラン・バルトのMythologiesで取り上げられたのをご存知かもしれない。個人的には、昔ランチでよく行ったrue de Passy近くのお店で食べる生焼けのステーキが懐かしい。塩味もなくて、たいしてうまくもないが、安心する。

 中条あやみは肉を食べるためにわざわざブラジル料理のお店を予約したけど、フランス人の牛肉消費量は日本人が想像する以上に多い。国際比較は2007年と少し古いデータしか見つからなかったが[i]、それによると日本人の一人当たり年間食肉の消費量は46.5キロで世界で80位にすぎない。肉食大国アメリカが125.4キロだから1/3にすぎない。しかも、牛肉に限って言えば日本人は8.7キロ。アメリカが42.1キロ、世界一の牛肉大国のアルゼンチンが55.1キロ、ブラジルが37.2キロというのと比べると極めて少ない。驚くことに、日本は世界全体平均の9.5キロより少ないのである。他方、フランスは食肉全体で88.7キロの19位。ヨーロッパの平均くらいで、肉食大国のイメージのあるドイツが87.7キロより多いが、牛肉だけ見るとドイツが13.2キロであるのに対しフランスは26.9キロと倍もある。こうみるとフランスは先進国として平均的な牛肉消費量であるのに対し、日本は極端に少ないとみるべきなのだろう。

 

 日本で牛肉が広く食べられるようになったのは明治以降のことであり、魚より肉の消費量が上回るのは戦後の高度成長期以降にすぎない。なぜ日本人が肉を食べなかったかについては、一般に仏教が獣肉食を禁止していたからと説明されるが、歴史的には獣肉が食べられていなかった時期は存在せず、狩猟によって捕獲したシカやイノシシは一般庶民の食物として流通していた。それなのに、なぜ食用の家畜を育てる習慣が定着しなかったのかについては諸説あり、簡単ではない。

 日本の牛肉食は伝統が短く、まだまだ発展途上とは言える。しかし、食習慣の世界にも政治が色濃く影を落とす。今は焼肉帝国の韓国でも牛肉をたくさん食べるようになったのは朝鮮戦争後であり、米軍の影響が大きい。沖縄だって、米軍統治下ですっかりアメリカ流の食生活が定着した。食べ物の習慣なんて30年もすれば一変してしまう。日本の牛肉食だって同じだ。高度成長期だった1960年代以降以降、食の欧米化が進み米や魚介類の消費が減少し日本人一人当たりの食肉消費量は10倍になった[ii]。牛肉に着目すると1991年の日米経済摩擦の結果、輸入が自由化されたことから90年代に消費は急増するが2001年に日本、2003年にアメリカで発生した狂牛病問題を機に減少に転ずる。吉野家の牛丼が食べられなくなった時だ。札幌でも吉牛と同じ薄切り牛肉のフォーを売りものにするベトナム料理屋があっという間に消えていった。

 90年代、米国産輸入牛肉に対抗するために、国産牛の生産者は「和牛」ブランドの確立にまい進する。ここで急速に浸透したのは霜降神話だ。国産牛のきれいにサシの入った肉こそが一番おいしいとする考え方である。輸入自由化に対抗するための差別化戦略とすれば、赤身の肉とサシの入った和牛では食べ方が異なると共存するものとなるはずであるが、10年たたずに狂牛病により米国からの輸入が減少したために和牛優位になってしまった。スーパーにはオーストラリアやニュージーランドの牛肉もステーキ用として販売されているけれど、圧倒的な割合はしゃぶしゃぶ用や焼き肉用として売られている薄切りの肉だ。レストランでは霜降りを意味するA5ランクの和肉を宣伝文句にするところも少なくない。

 しかし僕は、霜降り薄切りでなく分厚い赤身が食いたい。肪が外側にしかない赤身を一気に高温で焼き上げて中心部がまだ赤いのに外側は焦げているというのは文句なくうまい。そのためには肉にはある程度以上の厚みが必要だし、霜降りだと自分の脂で揚げ物になっちゃうから普通の肉でよい。こういう意見は最近市民権を得てきているようで、いくつかの料理店がA5ランク以外のランクの肉を使うと宣言しているし、立ち食いステーキ屋が話題になっている。牛肉が食材として普通のものになってきているのはうれしい。

 20年位前ボストンに住んでた時は、月に数回近くのステーキレストランに通ってた。Soup or salad?って聞かれるから、スープでない時はサラダのドレッシングはチーズにして、小さな1斤まるごと出てくるパンにつけて、もちろんパンは半分も食べられなくてお持ち帰り。だって安いんだもん。15オンスの肉に突き合せてのポテトとスープかサラダがついて2千円弱。今メニューを調べるとちょっと値上げしてるので残念だが、日本国内で食べるのとは比較にならない。

Franks Steak House

 フランス、アメリカと比較サンプル数は少ないけれど、日本における牛肉の値段はどう考えても高すぎるという結論は動かない。さらに貿易自由化とその後の狂牛病事件によって、霜降り肉極上主義が日本の牛肉食文化の中心となった。更なる自由化を進めるはずだったTPPはトランプ大統領によってストップしたが、日米貿易交渉で牛肉の輸入自由化が議論されることになるのは必至だ。貿易交渉の結果は食文化も変えてしまう。霜降りも赤身のステーキもともに楽しめる結果になってほしい。

 

[i] The Economicst “Kings of the Carnivores,” Apr.30,2012, データはFAO (http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2012/04/daily-chart-17)

 

[ii] 農畜産業振興機構「食肉の消費動向について」2015年9月15日(https://www.alic.go.jp/koho/kikaku03_000814.html

アメリカ・リベラル派の苦悩

これも眠ってましたな。同じく2013年9月です。

 

アメリカ・リベラル派の苦悩(9月13日)

 

今朝の朝日新聞にジョン・アイケンベリー氏のインタビューが載っている[i]プリンストン大学の国際政治学の教授であるが、いわゆるリベラル派でありながら現実主義の立場をとる。学者としてのスタートは、国際関係論の世界でも国際経済秩序の形成過程といった経済政策の分野の仕事だったので、僕もずいぶん勉強させていただいた。しかし、9・11テロ後は米学界も安全保障の議論一色になってしまい、アイケンベリ―先生も、ブッシュ政権対テロ戦争を、「戦争をしてはならない」という理念の問題というより、「そんなことをしても事態は収拾できない」という批判をしていることの方で有名になってしまった。このインタビューに、困惑の中で萎縮する米外交の縮図が見て取れる。

 

前提として、この手のインタビューが一国の外交政策の縮図といえることは少ないことは念頭に置く必要がある。新聞社に所属するジャーナリストが、米国のオピニオン・リーダーの立ち位置を正確に把握している可能性は100%ではないし、まして学問の世界の構図に精通している可能性はそれほど高くない。学者本人の過去の著作に不案内なままの記者も少なくなく、インタビューされた側が不快感を覚えることもある。実際、的外れな記事もあるし、インタビューされる側も、日本語で掲載されたものがきちんとニュアンスを伝えているかどうかチェックすることもできない[ii]。実際、今回のインタビューでも、アイケンベリ―先生の古い業績を知っている立場からすれば、朝日新聞の今の関心から離れて、もう少し多極化する世界経済における通貨外交の話を聞いてほしいと感ずる部分がある。しかし、この記事は、日本のメディアである朝日新聞の立ち位置から、本人の学問的関心との接点をきちんと見極めてまとめている。

 

まず、シリア介入問題だ。米国が直面する問題として、こうした問題に対する3つの姿勢の区別を掲げる。第1は、アイケンベリ―氏が『新帝国主義』と批判したブッシュ政権時代の直接単独介入である。第2は、「米国など自由民主主義国は、人道的に悲惨な状況や国家の破綻がどこかで起きた場合、その国民を暴力や大量虐殺から守るために介入すべきだ」と考える『リベラルホーク』だ。アイケンベリ―氏はこれを『ネオコン民主党バージョン』と表現するが、ネオコンそのものが、ケネディ政権下の国際協調主義者がベトナム戦争後の萎縮する米国外交に我慢しきれなくなり進化したものであるから、この表現は適切である。アイケンベリ―氏が主張する『伝統的なリベラル国際主義』とは、介入すべきという結論は共有するが、アイケンベリ―氏が「国際機構や国家間の関係があって初めて、世界各国はより平和的で、相互に利益をもたらす形で共存できている」と考え、「グローバルコモンズ(国際公共財)を守り、地球規模の諸組織、機構を支えようという姿勢」を重視するのに対し、『リベラルホーク』は「国連が行動しなければ独自対応もいとわない」と一歩踏み込むことを主張していることに違いがある。アイケンベリ―氏は、地域の問題にも深く関与すべきだが、単独で行動せず国際的な枠組みを通じて関与すべきであるとするのである。

シリアで問われているのはまさにこの問題である。国連安全保障理事会は、いつものごとくロシアや中国の反対で動かない。議論されている化学兵器の国際管理への移行問題も、現実の化学兵器禁止条約の運用体制は極めて不十分にしか機能していないし、紛争の解決、少なくとも軍事行動の停止なしには、実行性に疑問がある。イラクの例が常に持ち出されるが、イラクは核開発疑惑であり、核の場合は原子力技術者という軍人以外の専門家を関与させるという手があったが、化学兵器の場合ダイレクトに兵器であり、その管理には軍人の専門知識が不可欠である。だから、国際管理といっても、実際には化学兵器の扱いに慣れた米軍かロシア軍の管理になるのであって、現在の交渉が時間稼ぎにしかならないことは明らかだ。もちろん時間稼ぎが問題の解決につながることは否定できないが、本質は化学兵器の使用という犯罪行為に対する制裁とシリアの治安の破綻をどうするかという平和構築という2つの問題であって、「リベラル国際主義」なるものがそこにどのような解決策を打ち出すかが問われている。

日本国内では、アメリカが好んで戦争をやっているように議論する人がたくさんいるが、少なくともアメリカ国内で米国外交を議論している人にそうした議論をする人は極端に少ない[iii]ネオコンにせよ、リベラルホークにせよ、既存の国際機関が手をこまねいているうちに、多くの人が犠牲になることを座してみているわけにはいかないという十字軍的精神を共有しているのであって、世界のリーダーたる米国が「リベラル国際主義」にとどまって何もしないことは移民国家アメリカの存立意義に悖ると考えるのである。

 しかし、インタビューアーはここを深堀せずに、「最近の雑誌論文で中国を『潜在的に地域覇権を争う相手と書いています。なぜですか』と話題を変えてしまう。執筆中の新著では、「台頭する中国は、米国主導のリベラルな国際秩序に挑戦するのか、あるいはそれに自ら参加し、協力していくのか」と問う。確かに中国は、世界で唯一米国に対し「対等な競争相手」として挑戦してくるが、「中国の重商主義的な資本主義が成功するためには、グローバルな自由貿易を必要とする」。そのため、自由民主主義国が効率的に社会経済問題を解決するモデルを構築し、国際的な諸組織を改善できれば、中国がそうした枠組み参加せざるを得なくなるという結論だ。

 中国に、米国主導の同盟システムは正当性に欠けるものであって、「中国を地域に結びつける多国間の地域安全保障システムの障害になる」という見方があることを、問題にする。米国のアジア回帰を中国自身の脅威と認識し、米中緊張が高まっている。これをそう安定化させるのか。

 アイケンベリ―氏は、「米国は二つのことを同時にやろうとしている。まず一連の関与策を通じて、中国を地域およびグローバルなシステムに引き込もうとしている。その一方で、同盟システムを強化することで、中国の拡大する影響力に対抗しようとしている。我々が今、目の前にしている大きなドラマは、米国が安全保障、経済の両面で中心となった覇権秩序から、大国間の均衡に基づく多極型力学への移行だ。米国は中国との均衡をはかることによって、地域各国が安全保障は米国に依存する一方で、中国との経済的な関係を深めることができるようにしている。」と述べる。

ここに根本的な矛盾がある。米国は、既存の米国主導の同盟関係と国際経済秩序の維持を前提として、拡大する中国の影響力に対抗しながら、しかし同時に中国を地域及びグローバルなシステムに引き込もうとしている。これは、中国から見れば、米国主導の国際システムに飲み込まれることにほかならない。しかし、アイケンベリ―氏が指摘するように我々が目にしているのは米国中心の覇権秩序から大国間均衡に基づく多極型力学への移行なのだ。米国主導の国際秩序を改革し、経済社会問題に機動的に解決策を提示できるようにすることにより中国の参加を促すというが、中国の主導性はどのように認めるのか。現在の共産党政府は、自由主義経済の進展に伴い反日以外の存在の正当性を見いだせなくなっている。ナショナリズムに基づく政治的な動きは、中国全体の利益にならないとしても、共産党政府の利益にはなっているのだ。

戦後最悪といわれる日中関係について「非常に危険な状況」としながらも、「平和憲法や抑制的な防衛政策に代表される戦後システムを脱却することには、非常に慎重であるべき」とする。集団的自衛権行使を巡る憲法解釈については、「地域における日本の安全保障上の性格を根本からくつがえしてしまうような大きな変更」には懸念を示す。そして、「日本は二つのことを同時に行う必要がある。米国と同盟強化の協議を進める一方で、中国や韓国に対し、歴史問題に積極的に取り組み、国際主義を支持する特別な大国であり続けるとシグナルを送ることだ。」とし、日本はアジアでの軍備管理協議を検討すべきだと提言する。

 

オバマ政権が直面する問題は、優等生の「リベラル国際主義」がリアリティを持った解決策を提示できないことにある。確かに、ブッシュ政権イラクでやったような乱暴な介入では、平和は構築できない。しかし、自国民に対する化学兵器使用という虐殺行為を行う独裁政権を野放しにすることは許されるのか。シリアの後ろには、化学兵器の使用実績のあるイランが核兵器を持ちつつある。ブッシュ政権の功績は、米国に逆らい続ける独裁者は抹殺されるという実績を作ったことだ。だから、アサド政権も国際管理移行への交渉は応ずるのだ。

94年の北朝鮮の核危機において、クリントン政権内で核関連施設へのピンポイント攻撃である「外科手術的攻撃」が議論されていた最中に、元大統領のジミー・カーターが訪朝し、これが米朝枠組み合意への道を切り開いた。しかし、その裏で着々と核兵器は開発され、今やその運搬手段の手に入れている。核開発を行っていたリビアカダフィイラクサダム・フセイン北朝鮮金正日の3人の独裁者のうち、実際に核を手にした金正日だけが生き延びることができた。独裁者が次々に核を手にするとき、安全保障をどのように維持するというのか。

中国の考える経済秩序は、地域の安全保障体制と切り離して議論できるのか。海洋権益を求める中国の対米防衛の第一防衛線は、尖閣列島どころか九州から沖縄を含み、その中には東シナ海の石油ガス田開発という経済権益を含むのである。米国の覇権が揺らいでいる今、中国と軍事的にどのような均衡を模索するのか。その中で、同盟国である日本に対し、どのような役割を求めるのか。

こうした問題に対し、即時にそれなりの回答を出さなければならない。それが外交であり、政策である。単独行動主義の先制攻撃型の軍事力行使に反対するのはよいが、国際的な枠組みが機動的に暴力の行使を抑制できるためには、どのような改革が必要なのかを具体的に提示しなければ回答にならない。

 

インタビューアーの加藤洋一編集委員は、付け足しのように「米国ではリベラル派も外国への軍事介入を忌避しない」と書いているが、ここに日本の閉鎖された言論空間での議論のゆがみが集約されている。「権力を批判する」ことに終始し、暴力や人権侵害に向き合わないリベラル派はリベラルではない。

 

 

[i] 朝日新聞2013年9月13日朝刊17面(http://digital.asahi.com/articles/TKY201309120491.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201309120491

[ii] 朝日新聞は英語版で記事の本文を英語で掲載している。(http://ajw.asahi.com/search/?q=ikenberry)英語の朝日新聞を購読しているわけでないので英文のニュアンスをチェックしたわけではないが、信頼に値する記事と考えて構わないものと考える。

[iii] だからオリバー・ストーンはアメリカ国内では極左扱いになる。

解釈改憲の技術的限界―集団的自衛権に関する山本最高裁判事発言の本当の破壊力―

内閣法制局関連で、最高裁の山本庸幸判事の就任記者会見の発言に触れたが、その発言についても眠っている原稿がある。2013年8月時点では必要であったが、公表する時期を失してしまっている。ついでなので、自分自身の問題意識を確認する意味もあるのでそのままここに公開しておく。

 

 8月20日に就任した山本庸幸最高裁判事が、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を「非常に難しい」と発言したことが波紋を呼んでいる。行使容認を目指す安倍政権が、最大の障害となってきた内閣法制局の見解を変更させるため、そのトップである長官に内閣法制局に勤務経験を持たない小松一郎前駐仏大使を就任させた直後であり、小松氏の長官就任に伴う前長官の山本氏が最高裁判事就任の記者会見の場での発言であったことから、翌日、菅義偉内閣官房長官が不快感を表明し、その後憲法9条改正を巡るいつもの議論に取り込まれる展開となっている。

 しかし、この発言の本当の破壊力は理解されていない。今回の発言のインパクトは、安倍政権自身が任命した最高裁判事が、法律技術論として内閣の解釈では集団的自衛権行使容認は不可能だと言っていることにある。政策判断の問題として集団的自衛権の行使が妥当かどうかではない。行使容認には憲法改正が不可避であり、内閣の憲法解釈変更では不可能だと、政権自身が指名した判事が言っているという事実なのである。

 小松長官の就任に至る議論に共通する理解は、内閣法制局を官僚支配の牙城とみなし、戦後レジームの擁護者として憲法9条の解釈を墨守する機関とみなすことである。だから、9条改正を視野に集団的自衛権行使容認をその第一歩とみなす論者は、内閣法制局悪玉論を唱え、内閣に属するはずの法制局が内閣の政治判断を制約するなら長官人事に積極派を置くべしとし、今回の発言に対しても最高裁判事の政治的発言の不当性を指摘する。これに対し護憲論者は、解釈改憲の危険性を指摘し、今回の発言でも最高裁判事の内閣からの独立性を指摘する。そして、議論は集団的自衛権行使の是非に収斂していく。

 今回見過ごされようとしているのは、集団的自衛権の行使は、内閣法制局が解釈を変更し、政府見解が変更されようとも、憲法自体の問題として現行の条文の下では不可能であると、憲法の真の公定解釈機関である最高裁判所の一人の構成員が認めているということである。これでは、安倍内閣はもとより全ての内閣の下での努力が意味がないということになる。山本判事の発言の詳細を報道されているところに基づき検証しよう。

 

朝日新聞8月21日朝刊http://digital.asahi.com/articles/TKY201308200375.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201308200375

Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか

A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。

というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。

しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、その必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっとやってきた。

従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。

 だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている。

 しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。

 

Q 憲法の条文が変わっていないのに、解釈を変更して対応することは可能か

A 一般に法解釈論だが、9条は非常にクリアカットに武力行使はいけないと書いてある。それについて、例外的に我が国自身が攻撃されたときは、前文と13条の趣旨からして反撃が許されると解釈してきた。私はそれが法規範だと思ってきた。法規範そのものは変わっていないわけだ。その範囲内で、それと同様の説明がまたできるのかが一つの考え方だと思っている。その可能性は決して否定するものではないが、私自身は、国会で何回も説明されたこともあり、説明してきたこともあり、非常に私自身は難しいと思っている。

 ただ、一般論として、法解釈だから、新しい事態に対して新しい法律的な論拠を持って説明することは、それは一般的にはあり得ると思う。

Q ご自身の考えとしては、基本的には難しいと

A そうですね。そういうふうに長い間、国会でも説明してきた。ただ、そこを新しい解釈を持って、新長官がどう内閣に対して、法律的な進言をするかということにもよると思う。それは論理的な考え方の工夫というのはあり得るとは思っているが、私自身がどうかといえば、なかなか難しいと思っている。

Q 集団的自衛権の解釈変更以外に、憲法を改正する方法もある

A それは国民の選択であって、何らかの法規範が現状に合わなくなったということであれば、その法規範を改正するということは、普通の法律では、私は長官として常時やってきたわけだから、そういうふうなことは一番クリアカットな解決ではある。クリアな解決だ。するかどうかは、国会と国民のご判断だ。

Q 解釈変更よりは憲法そのものを変えた方がはっきりしていると

A そうだと思う。なかなか難しいという非常に細い道をたどるよりは、憲法そのものを変えないとなかなかできないことだと思っている。ただ、いろいろ議論がある。集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されてそれを一緒に戦おうということ。それが完全にOKとなるなら、地球の裏側まで行って共に同盟国と戦うということになる。それが、現行の憲法9条のもとで許されるかどうかという議論になるが、それが一つの極端。もう一つの極端は、4類型といわれている、「併走する米艦をどうするか」「我が国を飛び越えてくる同盟国に向かうミサイルをどうするか」という話。これはかなり次元が違う話。4類型は比較的目の前を見た細かい話で、もし集団的自衛権を完全に認めるなら徹底的にいってしまう。だから、そこは私自身は、我が国自身が攻撃されたときという解釈を、アナロジーで何かそういう集団的自衛権的なものができると考えついたとしても、そこでやはりある程度の制約は9条上は必ずかかると思っている。

 いずれにせよ、私は前職についてかなり申し上げたが、これは新しい法制局長官が判断することだと思っている。もう一度言うが、私自身は完全な地球の裏側まで行くような集団的自衛権を実現するためには、憲法改正をした方が適切だろう、それしかないだろうと思っている。

Q 解釈変更のために、伝統的な人事の在り方に介入するという手法についてはどう考えるか

A それは人事権者のなさる話なので、私が申し上げる立場にはないと思う。

 

 これを素直に読めば、山本判事が集団的自衛権の行使の政策的な当否を注意深く避けて議論していることがわかる。国際情勢の変化に対応するために政権が決断を行うに際し、内閣法制局は法律理論に基づく助言を行うとしている。しかし、憲法9条は、いうまでもなくその第1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とし、第2項において「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定する。ただし、我が国自身に対する急迫かつ不正な武力攻撃に対しては、さすがにこの憲法の規定も必要最小限の反撃まで禁じているわけではないとされてきたわけだ。

 今、集団的自衛権に関して主として問題となっているのは、例えばイラク戦争において多国籍軍への参加を求められた場合、どこまで軍事行動に協力することができるかとか、北朝鮮の米国本土を狙ったと考えられるミサイルが日本上空を通過していく際に、これを見過ごすのかといったことであって、日本国土本体への攻撃ではない。日本本土に対する攻撃に際し、米軍との共同行動をとることは日米安全保障条約上、当然のこととされているのである。これに対し、米国をはじめとする同盟国が攻撃の対象である場合、あるいは国連平和維持活動に参加する自衛隊が、同一活動に参加する他国の軍隊が攻撃されている場合に、自衛隊がどこまでの活動が行いうるのかといった問題、自然権生存権の存在を前提とする自衛権の問題ではない。

 こうした問題について、最高裁判事として「憲法そのものを変えないとなかなかできないことだと思っている」といったわけだ。最高裁判所は15人の判事の合議体であり、山本判事一人の意見の影響力が絶対ではないが、直前まで内閣法制局長官として現行憲法下で政府見解を理論的に支えてきた専門家が「前職のことだけに私には意見があって」と前置きしての発言である以上、最高裁が法律技術論の問題として集団的自衛権行使の解釈変更による容認を認めない可能性が十分あると考えざるを得ない。今後、内閣法制局の解釈が変更され、それに基づき自衛隊法やその他関係法令が改正されても、最終的には最高裁でそれが違憲とされることがありうる。日本の場合、裁判所の違憲立法審査権はアメリカ型の付随的違憲審査制をとっているというのが通説であるため、実際に自衛隊が問題となる行動を起こした後、それを裁判の中で問題となった場合にのみ判断が示される。具体的に言えば、集団的自衛権自衛権の行使としての自衛官武力行使に伴い死者が発生した場合などにおいて、その殺害行為が正当なものだったかというように問われる場合である。集団的自衛権発動を容認する法令が違憲であった場合には、それ以外の法令で当該殺害行為の違法性を阻却する事由がない限り、当該自衛官及びその指揮官は刑法上の殺人罪に問われる可能性があることになる。

 

 法律技術論は、とかく面倒くさい議論であることから敬遠されがちである。マスコミは、「有識者」にコメントを求める。この場合集めるべきコメントは、①憲法9条の改憲派護憲派の見解、②その対立に基づく与野党の動き、③軍事問題と外交問題の専門家、④内閣法制局という行政組織に関する専門家、⑤山本判事個人の評価、⑥外国マスコミの報道ぶりくらいであろう。これらの中に、立法過程と法律技術論に関するものは含まれない。

 テレビ局の報道部という何でもアリだから、こういう細かい話は扱わない。マスコミの中で専門性の高い新聞社でも、政治部、経済部、社会部といった組織建てであり、この手の問題は政治部の扱いであるから、与野党の動きのフォローがメインとなる。専門性といっても、外交・軍事の経験のある記者くらいだから、立法技術や法律の制定過程についての目配りは欠ける。

 学者はどうか?憲法学者改憲、護憲の議論をするが、内閣法制局の位置づけは政治学行政学の分野である。政治学は、行政過程の詳細については案外疎い。行政学は、行政という法律の執行過程を分析するものという位置づけだったから、法案作成過程に関する研究はここ10年くらいの話である。まして、内閣法制局なんて地味な役所の話を知っている人はどこにもいなかったのだ。

 そして、今回も根本的な問題が見過ごされていってしまうのだ。